人生で大切なことは、母から繰り返し言われた「この一言」だった──。『人は話し方が9割』の著者・永松茂久氏はユニークな人材育成法を多くの人に伝えてきた。
その背景には、自身の人生を支えてくれた母からの言葉があったと語る。本稿では、その母の言葉とエピソードを綴ったドキュメンタリーエッセイ『喜ばれる人になりなさい』から、母から学んだエピソードを紹介する。
※本稿は、永松茂久 著『喜ばれる人になりなさい 母が残してくれた、たった1つの大切なこと』(すばる舎)から一部抜粋・編集したものです。
商店街は毎日が宴会
昭和50年代、商店街にはまだ活気があった。
夏の毎週土曜日の夜には夜市といって夜9時まで営業をやるイベントがあり、商店街には人があふれた。
その日ばかりは、毎日通っていた明屋書店のお兄さん、お姉さんもまったく僕に取り合ってくれないくらい忙しく、幼かった僕の目には渋谷のセンター街さながらに見えた。
当たり前だが、商店街の中にあったたこ焼き屋も同じように大繁盛で、僕もいつのまにかレギュラーになっていた。
もちろん夜市ほどではないにせよ、毎日が大繁盛。商店街の各店舗の人たちも景気がいい。商人たちはみな「この世の春」を謳歌していた。
今の時代と違い、世の中はもっとファジーで、商店主たちの中には昼からお酒を飲んで、夕方にはすでにできあがっているおじさんもいて、アーケードの中でビール樽をひっくり返し、自然と宴会がはじまるということもザラにあった。
僕が手伝っていたたこ焼き屋のおばちゃんも酒好きで、お店を僕に任せ、父や母たちとの宴席に入ることもしばしばだった。
「商売人なら、ちゃんとしなさい」
「茂久、たこ焼きを5パック焼いて持ってきなさい」
母が買いにくる。
「わかった~」
「わかった~じゃないよ、ありがとうございますでしょ。あんた働いてるんだから。商売人ならそこはちゃんとしなさい」
「あーい。あざーっす」
たこ焼きを焼き、僕は届ける。
そして店を閉めてその輪の中にいるおばちゃんに終わりの報告をする。
「お、終わったか。茂久、こっちに入れ」
どこの街にでも1人はいる近所のノリのいいおじさんから声をかけられ、僕はいそいそとその輪に座ろうとする。すると母からこう飛んでくる。
「あんた遅いんだからもう帰りなさい」
「えーなんで?」
「子どもだから」
さっきまでは普通の商売人教育をしていたくせに。
しかし、それを口にすると母とケンカになるから、ふてくされながら僕は黙って帰る。
「母ちゃんにこう言われるとしかたないなー。茂久、早く大人になれよ」
こんな理不尽なことを言われるたびに、「1日も早く大人になってやる」そう思った。それくらい大人たちの世界が輝いて見えた。