「怒りっぽい親」の根底にある心理
少しだけ脱線すると、以上の「真実」を、ぜひ「怒りっぽい親」や「肉親」をもつ人に理解してほしいと思います。
ずっと一緒にいる子どもですら、なかなか気づきにくいことなのですが、怒っている親というのは、やはり例外なくなにか強い恐れや不安にさいなまれています。幼すぎるとわかりようがありませんが、10歳を過ぎたあたりからうすうす感じとることのできるものはあるかもしれません。
子どもがモタモタしていては時間を失うという恐れ。子どもが幼稚な言動をするせいで自分の面目が失われる恐怖。子どもの無軌道な行動を見逃していては子ども自身が不利益をこうむる不安。子どもに馬鹿にされてはプライドに関わるというおびえ。子どもと自分の将来に対する不安。
親というものが怒るとき、心の底で感じられているのは、こうしたことへの恐怖です。そして、怒りとは、これらへの防衛的な反応なのです。
とくに「さっさとしなさい!どうしてそんなにノロノロしているの!」といった理不尽な攻撃は、時間を失う慣習的な恐怖感にのみこまれているせいで発されます。経験が足りず、身体も小さく、身体能力も乏しい「自分の子」には、自分と同じようにテキパキ行動できないのは当然だということすら、とっさの恐怖でわからなくなってしまうのです。
不公平で理不尽だということもありますが「さっさとしなさい!」と怒鳴られている子どもが、怒られたからといって、急にテキパキ行動できるようになるものではありません。
はたで見ていれば自明ですが、恐怖にのまれていると気づかないのです。恐れているヒトの脳は、まさに「は虫類脳」「妖精脳」です。視野が狭くなってしまうのです。
大ロングセラー『甘えの構造』(弘文堂)の著者である土居健郎さんも指摘していますが、「親子関係」は「甘えの原点」です。子が親に甘えることを身につけられないケースは、将来にどうしても不健全なしこりを残すものです。
かんたんに言えば、親にうまく甘えられなかった子どもは、親の「不安」をそのまま心にインストールしてしまいます。金切り声をあげるとき、親の本心は恐怖でいっぱいなのですが、子どもにはそれが見えません。代わりに、親の「怒り」だけが目につきます。そして、子どものほうが恐怖に取り憑かれてしまうのです。
子ども時代にそんな不安に取り憑かれてしまうと、教師の叱責に直面しても、上司の批判を目の当たりにしても、教師や上司の「恐怖」はまったく見えず、「怒り」だけが前面に迫ってきてしまうでしょう。それは避けがたいことだと思います。
それでも、怒っている彼らの「恐怖」を意識はするようにしたいものです。彼らは「怒っているのではなく恐れているのだ」と思えれば思えるほど、それだけ怖くなるのは確実だからです。