「できる人、できない人」の大きな差を生む”打ち合わせ中の時計の見方”
2012年03月27日 公開 2022年12月27日 更新
身だしなみ、あいさつ、お客様対応、お酒の席での注意事項など、ビジネスマナーがわからず、どのように振る舞えばいいのか悩んだという経験は、誰にでもあるのではないだろうか。
ビジネスマナーというのは、仕事をする上でのルールである。だからこそ、知らないとゼッタイに恥をかくもの。
一方で、ビジネスマナーをきちんと理解し、表面的な礼儀作法ではなく、心が備わった気遣い、行動ができるようになれば、誰からも好かれる人になるはずだ。
国際関連業務に携わる一方、著作にも積極的に取り組み、同時に茶道裏千家などの文化面での活動を続けるビジネスコンサルタントの山崎武也氏に相手に好印象を与える方法を伺った。
※本稿は、山崎武也著『いますぐ身につけられるビジネスマナー』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
相手の立場で考えて振る舞うことが、マナー。
野球やテニスなどのスポーツ、バレエや日本舞踊などの表現的芸術、武道や茶道などの技法を習ったり練習したりするときは、まずそのフォームないしはカタチを身につけることに専念する。
それぞれのジャンルで長年にわたって練られ築き上げられてきたカタチが、その道の骨子となっている。
それは約束事となっていて、それを守ることが、「入門」の条件となっている。
そのルールを守らなかったら、その世界には入れてもらえないし、すでにその中にいる人たちの誰からも相手にされない。
また、そのジャンルの教えを忠実に守って切磋琢磨を図るのが、その世界で秀でるための確実な早道である。
ビジネスの社会におけるマナーもそれとまったく変わるところはない。
もちろん、仕事そのものがきちんと目的に沿ったかたちでできなくてはならない。
だが、それだけでは十分でない。
仕事を遂行していく過程で、同じ組織の中の上司を始めとする人たち、それに取引先などの外部の人たちと、さまざまな場面で接していくことになる。
その際に、どのようなものの言い方をし、どのような行動をとるべきかについて、皆の、というよりも正確には、洗練された人々のコンセンサスを得た方式がある。
それがビジネスマナーである。
したがって、それを知らなかったり実行できなかったりしたら、ビジネス社会の一員としての資格に欠ける。
マナーも仕事の能力の中の重要な一部分である。
仕事そのものに熱心になるあまり、マナーを無視していたら、結局は「能無し」の烙印を押されることにもなる。
それはビジネスパーソンとしては恥ずべきことといわなくてはならない。
仕事そのものができることと、正しいマナーにのっとった言動ができることとは、車の両輪のようなもので、その2つが相まってこそ、一人前の社会人といわれる資格がある。
学生時代から持ち続けてきた自由奔放な精神を失ってはならない。
それは内なるエネルギー源として燃やし続けながらも、それを品のいいマナーで覆っていくのだ。
情熱とマナーとを融合させていけば、周囲にいる人たちも、その節度ある仕事ぶりに共感をして、自分を盛り立ててくれて協力を惜しまないようになるはずだ。
マナーの根幹には、相対する人に敬意を抱き、常に相手がどのような考えをしているかを推測したうえで、礼儀正しい姿勢を崩さないという心構えがある。
自分の欲をできるだけ抑えて、相手の意向を優先するのがコツである。
マナーには、仕事のみならず人生がスムーズに進んでいくために必要な潤滑油のような働きがある。
大事な人に会う前に、自分の印象を少しでもよくしよう。
家族や馴れ合っている友人と会うときは、自分の顔や身なりにそれほど気を遣うことはない。
だが、初対面の人や自分にとって重要度の高い人と会うときは、ちょっとした緊張感を覚える。
相手に対して失礼にならないようにと気を遣って、身なりを整えようとする。
女性の場合は、鏡に向かって頭のてっぺんから足の爪先まで点検する。
化粧を直したりもするだろう。
男性の場合でも、ネクタイの歪みを直すくらいの神経は遣う。
特に新入社員であれば、取引先の人たちはもちろんであるが、社内の人たちも、どんな格好をしてどんな性格であるかを、興味津々と見守っている。
相手にどんな印象を与えるかによって、その相手の対応の仕方も異なってくる。
自分がきちんとした人間である点を相手に伝えるべく、できる限りの努力をする必要がある所以だ。
まず最初にすべきは、
自分の気を引き締めることだ。
何のために会うのかをよく考えたうえで、相手に自分のベストを見せようとして神経を集中していく。
本来ならば、水で身体を洗って清める、すなわち「みそぎ」をするくらいの気持ちを醸成していかなくてはならない。
そのくらいの真剣さが必要なのである。
しかしながら、ビジネスの場では、そのような時間を持つことはできない。
さらに効率を重視する点から見れば、それは到底許されるものではないし、非現実的なことこのうえない。
そこで、清めることとビジネスの効率性との間に折り合いをつける必要が生じる。
神社に参拝するとき、拝殿に行く前に手水舎(ちょうずや)がある。
そこで柄杓(ひしゃく)を使って両手を洗い口をすすぐ。
自分の身を清めると同時に、心の中まできれいにしてから、拝殿に詣でるのである。
これと同じようなことをすればいい。
人に会う前に手洗い場に行って、
顔や手を洗ってきれいにするのだ。
場合によっては、手だけ洗うのでもいい。
極めて簡単なことであるが、心を込めてすれば、邪気を払ってすがすがしい気持ちになるという効果もある。
極めて略式なかたちの「みそぎ」ないしは「清める」という行為を、インスタントにするのである。
顔と手は人目につく。
洗えば物理的にもきれいになるので、相手に与える印象もさわやかになる。
自分は心身ともにきれいであるという自信があるので、物おじすることなく、積極的に人に接していくことができる。
さわやかな印象を与えられる。