日露戦争が起こった理由を地政学的に考える
1904年に起こった日露戦争は、地政学的に見ると、ランドパワーであるロシアとシーパワーである日本が、日本本土でもロシア本土でもなく、リムランドである朝鮮半島と清、マージナルシーである日本海を主戦場にした戦争でした。
ロシアは冬でも船を出せる不凍港を手に入れるために朝鮮半島や清へ進出することを目指しました。しかし、ロシアが南下してくれば日本にとって脅威です。朝鮮半島などが大国ロシアの領地になれば、日本が侵略される可能性が高まるからです。
そして日本とロシアが朝鮮半島と清で激突。圧倒的に不利と予想された日本でしたが奇跡的に勝利しました。
その後、ポーツマス条約で、満州南部の鉄道および領地の租借権、大韓帝国に対する指導権などを手に入れて、ロシアの南下の阻止に成功したのです。日本は日露戦争の勝利をきっかけに本格的に大陸に進出します。
その後もランドパワー国家を目指して領土の拡大を続け、「大東亜共栄圏」構想(1940年7月に成立した第2次近衛文麿内閣が掲げた、日本、満州国、中国の東アジアを中心に東南アジアを含めた地域で、日本の覇権の確立を目指す考えのこと)を掲げますが、その先には「敗戦」という結果が待っているのはご存じのとおりです。
日本は地政学的な視点から見て、間違いを犯していたといえるのです。
日本のランドパワーへの渇望が敗戦を招いた
日露戦争でロシアの南下を抑え、1910年に韓国を併合した日本は、さらに中国大陸へ進出することでランドパワーの獲得を目指します。
第2次世界大戦中、日本は欧米の植民地支配に代わり、日本中心でアジア人(東亜民族)が共存共栄する「大東亜共栄圏」の建設を掲げます。その範囲は当時日本だった朝鮮(現在の韓国と北朝鮮)、台湾、満州のほか、欧米の植民地だった東南アジアの国々も含むものでした。
ところが、当時のアメリカは中国との貿易を重視していたため、日本とアメリカは利害が対立することになりました。
地政学では「シーパワー同士はその性質上、戦争を好まないが、いったん利害の対立が起こった場合は大規模な戦争になる」といわれています。
シーパワー同士の日米は激しく対立した結果、1941年12月8日 、日本がハワイの真珠湾にあるアメリカ軍の基地に奇襲をかけたことで戦争が始まります。そして、1945年8月に広島と長崎に原爆が落とされ、日本の降伏という悲惨な結末を迎えました。
歴史上、シーパワー国家がランドパワーになろうとして成功した例はほとんどありません。地政学的に見れば、日本はランドパワーの獲得を目指したことが大きな失敗だったといえるのです。