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名建築、帝国ホテル・ライト館は“日本だから完成した”と言える理由

植松三十里(作家)

2023年02月22日 公開 2023年02月22日 更新

 

日本的な美を突き詰めたライト館

――普通は予算内で建物を完成させますが、細部にまでこだわるライトは建築費用を増大させ、経営陣も頭を悩ませます。なぜライトは、予算を無視したのでしょうか。

【植松】大正時代は第一次世界大戦の影響で、日本も景気がよかったり、悪かったりしています。

景気の変動を受けて、ライトの建築費用に対する経営陣の捉え方も変わっていきますが、全体を通して言うと、帝国ホテルの建設にかかわった大倉亀八郎の「ライトは力み過ぎだ」という言葉が正しかったような気がしています。帝国ホテルは圧倒的に装飾が多く、それだけ力を入れたのだと思います。

――作中には、帝国ホテルと並行してライトが設計した自由学園の話も出てきますが、シンプルで機能的という意味では、自由学園の方がライトらしさが出ていますね。

【植松】そうです。ライトが自分の好きなパターンを組み合わせ、子供が好きだったので楽しんで設計したのが自由学園だったと考えています。林愛作邸もライト建築ですが、三方が窓で囲まれていて、陽が当たらなかったら寒そうに思え、あまり快適には見えませんでした(笑)。ただ、とてもライトらしかったです。

――完成したライト設計の帝国ホテルの評価はどうだったのでしょう。評判はよかったのですか。

【植松】第一次世界大戦が終わって、日本が国際連盟の常任理事国になり、世界中から来賓を迎えるホテルが求められていた時代に、帝国ホテルの名はライトが造ったことによって世界中に広まりました。海外では"東洋の真珠"と呼ばれ、帝国ホテルに泊まるために来日する人がいたくらい人気がありました。

ただオープニングの広告には、「ライト設計」とは一言も書いてなかったんです。当時の経営陣はライトを評価していませんでしたし、日本人からの評判は悪く、完成から10年くらいで建て替えの話さえ出ています。

実際の日本人の評価を読んでも、薄暗くて建物の中にいるのか外にいるのか分からないなどと、散々な言われようです。日本人は日光の金谷ホテルのように、きらびやかなホテルを求めていたのかもしれません。

――ライトは日本の美術や建築に詳しかったので、薄暗いというのは日本的な美を突き詰めた結果かもしれません。

【植松】ライトは、若い頃にシカゴ万博に展示された平等院鳳凰堂を模した建物を見て衝撃を受けたという逸話が残っていますが、ライトは浮世絵のコレクターだったので、私は浮世絵に描かれた日本家屋を参考にしたと考えています。

――今後、書いてみたい建物や建築家はいますか。

【植松】以前、二宮尊徳を書いた時に、当時の土木工事について調べたのですが、測量したり、駕籠に石などを詰めた蛇籠で土手を造ったりする方法が面白かったんです。だから今は、建物や建築家だけでなく、そうした土木工事にまつわる物語を書いてみたいです。

【植松三十里】
静岡市出身。東京女子大学史学科卒業。出版社勤務、7年間の在米生活、建築都市デザイン事務所勤務などを経て、作家に。2003年に『桑港にて』(文庫化時に『咸臨丸サンフランシスコにて』に改題)で歴史文学賞、09年に『群青 日本海軍の礎を築いた男』で新田次郎文学賞、『彫残二人』(文庫化時に『命の版木』と改題)で中山義秀文学賞を受賞。著書に、『家康の海』『家康を愛した女たち』『調印の階段』『かちがらす』『大正の后』『万事オーライ』『梅と水仙』『慶喜の本心』『空と湖水』などがある。

 

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