最後に勝つのは「不確実な時代を嘆く人」より「失敗を愛する人」
2011年01月18日 公開 2024年12月16日 更新
終身雇用の崩壊が指摘されるようになって久しい。良しとされるビジネスの転換サイクルは早まり、会社も常に不安定といった時代に若者たちはどう人生を送ればいいのか。
経営コンサルタントとして活躍していた冨山和彦氏は、「挫折」こそいまの時代に必要ではないかと語る。冨山氏も様々な挫折を味わってきた当本人だというが、彼が若者に向けて発信したいこととは。
※本稿は、冨山和彦 著『挫折力』(PHPビジネス新書) より、内容を一部抜粋・編集したものです。
豊かな人生には「挫折」が必要
「挫折力」――少々変わったタイトルだと思われるかもしれない。
簡単にいえば、「挫折を愛し、乗り越え、活かしていく力」というくらいに解釈していただければと思う。
挫折から立ち直る方法、という現状復帰のための方法論ではない。むしろいいたいのは、「挫折をしない人生ほど窮屈でつまらないものはない」「挫折をした人だけが、実り多い豊かな人生を送れる」ということであり、「積極的に挫折を体験し、それを乗り越えることで、これからの時代に通用する力を身につけよう」という前向きな方法論である。
そもそも、私がこのテーマで本を書こうとした理由は大きく分けて3つある。
1つは、今の日本は、幸か不幸か皆が同じベルトコンベアーに乗っかって成功にたどり着ける時代ではなくなってしまったことだ。
今の若い世代で、いい大学、いい会社、いい人生という高度成長期のモデルで、一生を無事まっとうできる人がいったい何人いるのか。その尺度で見たら、ほとんどの人がどこかで「挫折」することになる。世界の現実、日本の現実を見るかぎり、この傾向はより強まるだろう。
そもそも人生、誰しも自分ではどうしようもない事情でいろいろな壁にぶつかったり、石ころにつまずいたりするのが通常。おまけにこれからの時代、こうすればうまくいく、このレールに乗っていれば将来、出世やリーダーとしての地位が約束されるといった標準コースは完全に崩壊している。
だとすれば挫折を人生における不可避の現象として、それをいかに糧として生きていくかについて、少しでも伝えておくことこそが、親の世代の責任だと感じている。
いなすのもよし、乗り越えるのもよし、しばし自虐的に落ち込んでみるのもよし。要は挫折と上手に折り合いをつけながらも、それが未来に向かって生きていくための何らかの糧になれば結果オーライ。
実は大抵の挫折は結果オーライにできるものだから、人間は挫折によって不幸になるとはかぎらない。いや、私のまわりには成功の呪縛ゆえに不幸になっている人のほうが多いように思う。
もう1つの理由は、私個人の私的な体験である。すなわち、自分や自分の家族のたどってきた道、あるいは私の身近で豊かな人生を送っていると感じる人々を振り返ってみても、「挫折が人を成長させ、人生を豊かにする」ということを強く実感していることだ。もちろんその術を自分自身で考え、工夫し、努力を続けることが前提だが。
私はコンサルティングファームを経て産業再生機構の仕事に携わり、今でも企業の経営改革や再生を専門として手がけている。産業再生の仕事はまさに、挫折からいかに立ち直ってもらうか、という仕事でもある。
この仕事から得られたことは、一度挫折を経験した企業が立ち直るのは困難ではあるが、それが成功すればその企業は非常に強くなるということだ。
倒産という現実を突き付けられたからこそ、無駄は省かれ、人も一致団結する。最悪なのは、どう見ても未来がないのに、その場しのぎの延命策によりズルズルと生き長らえているような企業だろう。
貧しい北米移民として日米関係の悪化に直面した私の祖父母も、勤めていた会社が30代半ばの働き盛りに実質的に破綻した父親も、そして私自身も、挫折から多くのものを得てきた。
実はこのことは、このテーマについて考え出してから、改めて気づいたことでもあった。
司法試験の失敗、入社後すぐに会社を離れることを余儀なくされた就職、留学後に待っていた経営危機と「出向」の経験……こうした経験こそが、自分を大きく成長させるターニングポイントになっていたことに、改めて気づかされたのである。
そして3つ目の理由、それは「これからの時代にビジネスマンとしてリーダーを目指す人は、否が応でも挫折とは不可分の人生になる」ということだ。これは経営する単位が会社でも、国家でも同じである。
現在のビジネスマンは高度成長期に比べ、格段に厳しい土俵で戦うことを余儀なくされている。人口は減少傾向にあり、ビジネスのサイクルもどんどん短くなっている。かつては同じことを40年続けても通用していたものが、現在は5年、10年しか通用しないのが当たり前である。
小売業やIT産業のような変化の激しい業界はもちろん、自動車のようにハンドルやアクセル、ブレーキなどで動かすといった本質的な構造が変わらない産業ですら、今や電気自動車などの大きな構造変化が訪れようとしている。
そうなると、企業は今までとはまったく違うルール、違う土俵で勝負することが求められる。スポーツでいえば、かつては野球がソフトボールに変わったり、せいぜいクリケットになるくらいですんだものが、今は野球からいきなりサッカーに変わるといったような事態が起きているのだ。