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生き方

「人間関係に恵まれる人」の一つの特徴...なぜいつも朗らかに見えるのか?

和田秀樹(精神科医)

2024年01月12日 公開

 

柔らかい人間関係は「曖昧さ」を認めるところから始まる

「曖昧さ」というのは、一般的にはあまりいい受け止め方をされません。「彼女の態度はいつも曖昧だ」とか、「あの人は曖昧な返事をしてごまかす」というように、ずるさや計算高さを感じさせるからでしょう。実際、仕事でも遊びでも、曖昧な態度を取り続ければ「煮え切らないヤツ」と思われてしまいます。

けれどもここで説明している「曖昧さ耐性」というのは、自分の認知状態として、相手や周囲に対して曖昧なものも受け入れるという意味になります。

たとえば他人を「好き」「嫌い」で分けないといった態度です。好きな人の中にも、ちょっと嫌いな部分があったり、嫌いな人の中にも好ましい部分があったりするのですから、真っ二つに分けることなんてできませんね。

それだったら、どんな相手に対してもその人の好ましいところや、長所に目を向けてつき合うようにするのが自然な態度だし、気持ちのいい人間関係をつくることができます。

そして、たしかにそういう関係をつくっている人がいるのです。周囲の人間に対して「好き嫌い」とか、「敵味方の区分」を当てはめず、だれとでも臨機応変につき合っているような人です。

こういう人の周りには、いつもリラックスした雰囲気が流れています。敵対する人間同士でも、こういう人のそばにいるとついことばを交わしたりします。

ところがここでも変な人間がいて、「八方美人だ」とか「風見鶏だ」とかいい出します。

「彼女って結局、みんなにいい顔しているだけじゃない」
「ああいう人って、敵だか味方だかわからないから油断できない」

そんな受け止め方をしてしまいます。「曖昧さ耐性」の低い人間です。

はたしてどちらが感情的にならずにやっていけるでしょうか? 曖昧さを受け入れられない人は、かぎられた人間以外にはカリカリした関係しかつくれないことになります。

 

イヤなことをふんわりと受け止めるコツがある

「曖昧さ耐性」は、いろいろな可能性を考える能力のことでもあります。たとえば同僚に声をかけたら素っ気なくされたとか、おしゃべりの輪に近づいたらみんな黙り込んでしまったとか、なんだか「イヤな感じ」を受けたとします。

「曖昧さ耐性」のない人は、そういった場面でたった一つの可能性だけを思い浮かべて「そうに違いない」と決めつけてしまいます。

「悪いうわさが広まっているな」
「わたしのことを仲間はずれにしているな」

そう思い込んで、「なぜだ」と考えるのです。

「だれかが悪いうわさを流したんだ」
「きっと陰で動き回っているやつがいる」
「それはだれだ?」

こういった考え方に決めつけや強引さがあると本人は思っていません。ごく自然な推理だと信じ込んでいます。でもいろいろな可能性を考える気持ちになればどうでしょうか。

同僚に素っ気なくされたのは、たまたまつぎの予定が詰まっていたり、なにか考えごとでもしている最中だったのかもしれません。近づいたらみんな黙り込んでしまったのは、あなたに咎められると思ったのかもしれないし、じつはあなたの背後に上司がいたのかもしれないし、そもそもおしゃべりの切り上げどきだったのかもしれません。

そういった可能性は、冷静に考えれば決して否定できないはずで、少なくとも「絶対にない」とはいえないはずです。

すると、真実はすべて曖昧になってしまいます。その曖昧さをまるごと受け止めるのが「曖昧さ耐性」の高い人です。「なんだかよくわからないけど、まあ、いいや」で終わらせることのできる人です。

 

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