素っ気ない態度の上司や、仕事にだらしない同僚...尽きない「人間関係の悩み」に思わず感情的になってしまうことも...。いつも人間関係に恵まれている人と、どんな違いがあるのでしょうか。精神科医の和田秀樹さんが「いつも朗らかでいる」方法を語ります。
※本稿は、和田秀樹著『感情的にならない本』(PHP文庫)より、一部を抜粋・編集したものです。
感情を悪化させる「should思考」
「○○でなければならない」とか「○○すべきだ」といった決めつける考え方を「should思考」といいますが、感情的になっているときはしばしばこういった思考法に陥っていることがあります。
たとえばデスクの上を散らかしっぱなしの同僚に対して、「どうして平気なんだろう。わたしだったらこんな乱雑さ、絶対に我慢できないのに」と思うような人です。
その場合、相手に対しても自分に対しても「デスクの上はつねに整とんしておくべきだ」とか、「周囲に不快感を与えないようにすべきだ」といった強い思い込みがありますから、無神経な同僚に対してそれだけで腹を立ててしまいます。
こういった思考法は、神経質だったり生真面目な性格の人がしばしば陥るものですが、問題は相手を黒と決めつけるところにあります。
なぜなら、散らかしっぱなしのように見えてもその同僚は片づけているつもりかもしれません。あるいは周囲に不快感を与えているつもりなんかまったくなかったりします。それどころか、「隣にうるさい人がいるから、デスクの上はなるべく片づけておこう」と思っているかもしれないのです。
つまりこの人にとって、自分は少しも悪くありません。無神経だなんて、とんでもない誤解なのです。
仕事でも同じようなことが起こります。
should思考の強い人は、「完ぺきでなければならない」とか「ベストを尽くすべきだ」と考えます。それじたい、少しも間違いではありませんが、人間ですからコンディションの波もあるしうっかりミスも起こります。
「完ぺき」とか「ベスト」というのは、目標としては正しくても実現はむずかしいのですから、本来は「完ぺきだといいな」「ベストを尽くしたいな」といった「wish思考」が自然なのです。
そこにむりやりshould思考をもち込むと、自分が苦しくなります。「まだまだ」と追い込むからです。あるいはちょっとしたアクシデントや手違い、パートナーのミスが起こると「せっかくうまくいっていたのに!」とか、「なにもかも台無しだ!」と怒りが込み上げてきます。周囲に対して感情的になってしまうのです。
いつも朗らかな人の思考法
「○○でなければならない」とか「○○すべきだ」という思考法につかまってしまうと、ささいなことで感情が悪化します。これは「満点でなければいけない」という思い込みが強すぎるからですが、同時にグレーゾーンを認めないという「曖昧さ耐性」の低さが原因ということもできます。
そういう場合でも、「まあ、予定より遅れたけど許容範囲だからいいか」とか、「60点の仕上がりになってしまったけど、初めての仕事にしては上出来だな」といった受け止め方ができる人なら、「曖昧さ耐性」は十分に備わっていることになります。
「満点でなければいけない」という思い込みなんかもたずに、100点から0点までの間のゾーンを認めて、「60点を超えているんだからまず合格だな」と受け止める人だからです。
こういうタイプの人は、should思考の人から見れば「自分に甘い人」だったり「大ざっぱな人」に思えるかもしれません。だから「甘いなあ、あれくらい甘いと楽だろうなあ」と羨ましくなる反面、「結局、雑なだけじゃないのか」と考えることもあるでしょう。
でも、一つだけはっきりしていることがあります。グレーゾーンを認める人は少しぐらいのことではカリカリしないのです。他人に対して大らかに接してくれるし、自分を責めることもありません。感情的にとても安定しているのです。
いつも朗らかな人には、「曖昧さ耐性」がちゃんと備わっているのです。そして大事なのは、感情的に安定している人のほうがコンディションにもむらがなく、しかも周囲の人間から好意的に接してもらえることで、アベレージ(平均値)的にはshould思考の人よりいい結果を残すということです。
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柔らかい人間関係は「曖昧さ」を認めるところから始まる