幼少期の不安定な愛着関係が大人になっても尾を引き、人間関係に執着してしまう人がいます。家の中でも相手の不機嫌に敏感になり、愛情を求めて苦しんでしまう人がいるのです。円滑な対人関係を阻む「不安定性愛着」について、加藤諦三さんが解説します。
※本稿は加藤諦三著『無理をして生きてきた人』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。
絶えず、つながりを確認したがる
ストレスに強い人間になりたい。ストレスに強い人間に変わりたい。そう思っている人は多い。人生は課題の連続である。ストレスの連続である。だから誰でも自分は「ストレスに強い人間」になりたいと思う。ストレスに弱ければ、「自分はストレスに強い人間に変わりたい」と思う。
しかし人間関係依存症の人は、大人になっても小さい頃の見捨てられる不安が尾を引いている。その人が成長した「小さい頃の社会的枠組み」の中で起きていることを土台にして、物事を解釈する。
多くの場合、母親との関係であるが、小さい頃に愛着人物との関係が不安定である場合、不安定性愛着という言葉を使う。不安定性愛着という幼児期からはじまる人間関係が、その人の一生を支配することは珍しいことではない。
イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィの解釈では、そういう人は、被害者意識から行動する。小さい頃から人に助けてもらっていない。大人になってからなにかを体験すると、一人で生きてきた小さい頃からの経験からの解釈になる。別の言葉でいうと「愛情的絆」がない。
不安定性愛着とは、養育者と子供との関係を表している言葉だが、他の関係でも本質的に同じ関係がある。関係が不安定であるから、絶えず「つながり」や愛されているということを確認していなければならない。関係が不安定というのは、事実が不安定というのではない。心理的に不安定という意味である。
大人になってなにか不愉快なことを経験する。しかしそれは、小さい頃の不安定性愛着ということに原因があることが多い。
不安定性愛着とは、執着のこと
ボウルビィのいう不安定性愛着は執着のことである。愛着人物に対して不安定性愛着になるのではなく、自分に対して不安定性愛着を持つのが自己執着である。
自己執着が強いという人は不安定性愛着の強い人である。自己執着が強いということは、情緒的未成熟と同じ。自分のことしか考えられない。嫌われるのが怖いから、おびえる。よいしょする。迎合する。疲れる。もともと愛はない。自分の不安感を消そうとする、誰でもいい。
冬山で遭難して自分が閉じこめられた時に通りかかった人によく思われようとする。しかしその人のためになることをなにかしようとは思わない。自分が凍傷を起こしている。その人によく思われようとする。自己執着になる。家の中にいても「良い子」は遭難しているようなものである。
不安定性愛着は、愛着人物の有効性に不安であるということである。具体的には、接近性と応答性に不安である。日常的な生活のレベルでいえば、相手が機嫌よくしていてくれないと、不安である。相手の好意を常に確信できていないと不安になる。従って相手の不機嫌にはおびえる。相手が不機嫌だとすごく不安になる。
不安定性愛着の者は、相手がいつも機嫌よくしていてくれないと嫌なのである。いつも機嫌よくしていてくれないと、不安になる。心理的に落ち着かない。そこで相手の好意を確認したくて、相手に絡む。相手が機嫌よくしていないことを責める。責めるのは、それだけ相手の不機嫌に耐えられないということである。
ところが、直接は攻撃できないので「嫌だなー、その声は」とか「嫌だなー、その言い方は」とか「嫌だなー、その態度は」とか言う。それが相手を責めるということである。
不安定性愛着の人が、不安定性愛着の心理のままで結婚をする。親になる。すると、親との関係で満たされなかったことを、配偶者や家族との関係で満たそうとする。配偶者や家族がいつも機嫌よくしていないと耐えられない。
今、述べた「嫌だなー、その言い方は」というような言葉は、「機嫌よくしていてくれ、俺は耐えられない」という叫びである。不安定性愛着の者は、相手の不機嫌には敏感である。相手が接近しにくいということで、心理的にパニックに陥るのである。
急に不機嫌になる人
不安定性愛着を分かりやすい日常の言葉でいえば、大人の場合それは「気難しさ」である。「あの人は気難しい」と表現された時、それはその人が不安定性愛着の大人であることを意味する。
自分の言うことに「こう応えてくれるだろう」と期待している。露骨ではなくうまく自慢話をしたとする。そして「すごいわねー」と応じてくれると期待した。しかし、あまり感心されなかった。それで傷ついた途端に不機嫌になる。
ある人の悪口を言ったとする。聞いている人が「へー、そんなにひどい人なの、知らなかったー」と驚いてくれると期待した。「それにあなたは我慢していたの、つらかったでしょう」と話は進むと思っていた。
ところが相手の応答はあっさりしたものだった。「そー」で終わってしまった。今までご機嫌で話していたのに、相手の応答で途端に不機嫌になる。相手の応答の仕方が愛情欲求を満たさないので、急に面白くなくなる。相手は自分の応答の仕方が、そんなに話し手に影響力があるとは夢にも思っていない。そこで突然の不機嫌に驚く。そして、「あの人は気難しくて」と嘆くことになる。