彬子女王殿下が、京都・二条通で感じられた「日本古来の薬の役割」
2024年08月25日 公開
かつて江戸幕府公認の薬種街として多くの薬問屋が軒を連ねていた「二条通」。
京都にもお住まいがある彬子女王殿下は、その二条通を、「京都のような、京都ではないような、古いような、古くないような、不思議な空気が流れている通り」だと評されていますが、どうしてそう思われるようになったのでしょうか。
※本稿は、彬子女王著『新装版 京都 ものがたりの道』より内容を一部抜粋・編集したものです。
不思議な空気が流れている二条通
6月に入ったと思ったら、あっという間に梅雨入りして、しとしとと降ったり止んだりを繰り返す雨に、頭を悩ます季節がやってきた。毎年この時期は、いまひとつ体調が優れなかったりする。新年度が始まり、行事が続いていたのが、夏前で少し落ち着いてきたところで、ふっと気が抜けてしまうのである。
私は疲れてくると、割と身体に出てしまうほうだ。手先や顔にプツプツが出てくると、それが身体からの疲労のサイン。ぼちぼちきちんと休まなければいけないな、と気付かせてくれるものなのだ。
先日も、大分予定が立て込んでいて忙しかったとき、案の定、鼻の頭にプチッとできてしまった。次の日は公務で人前に出なければいけないのに、このままでは赤鼻のトナカイである。どうしたものかと悩んでいたときに、はたと思い出したのがある軟膏だった。
数カ月前、仲良しの京都府警さんが、「彬子さま、職人さんとかよく取り上げておられるでしょう? この方も、江戸時代から一子相伝で作っている和薬屋さんなんですって。僕も買ったんですけど、よかったら......」と薄い缶に入った軟膏をひとつくれたのである。
腫れ物や切り傷によく効くと書いてある。蓋を開けてみると、出てきたのは真っ黒の膏薬。ちょっと勇気が必要な外見だったけれど、もしかしたら......と一縷の望みをかけて塗ってみた。すると、塗ったそばからじわじわとあたたかくなり、なんだか効いているのが感じられる。
翌朝、軟膏を落としてみると、すっかり赤みが引いているではないか。思わず鏡を見ながら、「すごい」とつぶやいてしまった。今まで和薬や漢方薬にはほとんどご縁がなかったけれど、日本で古くから使われている自然の薬の持つ力に感服したのだった。
その薬屋さんが、二条通を少し下がったところにある。あ、ここだ、と思ったら、周囲にも薬屋さんが点在していることに気付く。二条通は、「一条戻り橋、二条のきぐすり屋、三条のみすや針......」とわらべ歌にも登場するくらい、かつては江戸幕府公認の薬種街であり、80軒ほどの薬問屋が軒を連ね、同業者町を作っていたという。
今ではその数は10軒ほどに減少してしまったけれど、和薬、漢方薬や染料のお店があり、医薬品や医療機器関連の会社も多い。京都のような、京都ではないような、古いような、古くないような、不思議な空気が流れている通りなのである。
「草で治療する」から「薬」
その二条通には、薬の神様をお祀りした薬祖神祠(やくそじんし)がある。鳥居をくぐってひょいと中を覗いてみると、ガラス張りになっていて、その奥には、日本の薬の神様である「大己貴命(おおなむちのみこと)/大国主命(おおくにぬしのみこと)」と「少彦名命(すくなひこなのみこと)」、中国の医薬の神様「神農」、そして古代ギリシアの医者で、西洋医学の父とされる「ヒポクラテス」が合祀されていた。
日本も中国もギリシアの神様も一緒にお祀りして、感謝しようというこのおおらかさ。二条通の一風違った空気感はこういうことか、と、なんだかひとり合点がいった。
明治に入り、さまざまな文化が西洋から入ってきて、日本古来の文化がその役目を終えたり、規模を縮小せざるを得なくなったりした。それはもちろん自然の理であるのかもしれない。でも、その流れの中で、今もその姿をとどめ、残ってきているということには必ず理由があるはずだ。
「薬」という字は、艸(くさ)かんむりに楽と書く。楽とは、「治療する」という意味だと言われている。「草で治療する」から、薬。原始時代から人間は、天然の植物を薬用に使ってきた。それが、和薬や漢方薬という形で現代に残っている。
日本人が大切に守ってきた「薬」の役割を再認識し、自然が人間に与えてくれている恵みに改めて感謝したいと思ったのだった。