美人やイケメンはやっぱりトクしてる。それは事実。でもそれ以上に大切なのは自分自身が美人・イケメンだと思い込むこと。人生の満足度や幸福度は思い込みで決まると言っても過言ではない。心理学を使った人生の変え方を心理学者の内藤誼人氏が語る。
※本稿は、内藤誼人著『世界最先端の研究が教える新事実 対人心理学BEST100』(総合法令出版)より一部抜粋・編集したものです。
勘違いでも、自分は美人だと思っていたほうがいい
ハンサムな男性や美人の女性は、いろいろなところでトクをします。買い物をするときには、ハンサムや美人ほど店員は愛想よく接してくれるでしょうし、レストランでは店員がすぐに注文を取りに来てくれるでしょうし、職場では上司や重役がやさしくしてくれるでしょう。
その点、顔立ちがあまりよろしくない人は、周囲の人にチヤホヤしてもらえることもなく、心の中にはうっぷんが溜まりそうです。
ハンサムや美人は、いろいろとトクをするので、人生に不満を感じることがありません。ですので、彼らの人生満足度は非常に高い、と想像できます。
米国イリノイ大学のエド・ディーナーは、 221人の男女に、まず自分自身の魅力の自己評価をしてもらいました。つまり、「自称ハンサム」「自称美人」の得点を出してもらったのです。
その一方で、撮らせてもらった彼らの顔写真を10分の人生にどれだけ満足していますか?」「どれだけ幸福ですか?」と尋ねてみると、判定員に「魅力的」と判断された人ほど、人生満足度も幸福度も高いことがわかりました。やはりというか、ハンサムや美人は人生満足度が高かったのです。
ところが、さらに面白いことをディーナーは発見しました。
他の人から魅力的だと評価されていなくとも、自分で自分のことを魅力的だと思っている、すなわち「自称ハンサム」「自称美人」のほうが、さらに人生満足度は高かったのです。本人の思い込みのほうが、客観的な評価よりも人生満足度には影響していました。
たとえ客観的には十分に「ブサイク」というカテゴリーに分類される人であっても、もし本人が「私は美人」と思い込んでいれば、その人は自分の人生にとても満足していることでしょう。幸せな人生を歩むことができているはずです。
ところが、仮に客観的には「美人」に分類される人でも、自分で自分のことを「魅力的ではない」と思い込んでいたら、その人は自分の人生に満足していないでしょうし、幸福を感じることもないでしょう。
人生を楽しく生きるコツは、自分をだましてしまうことなのです。「私はとても魅力的」だと自分に言い聞かせ、本気でそのように思い込んでしまったほうが、楽しい人生を送れるのだということを覚えておきましょう。
美人やイケメンはみんなからやさしくされる
顔立ちが整っている人、いわゆる美人やイケメンは、たいていの人からやさしくしてもらえます。本当に羨ましいですし、「世の中ってホントに不公平だなあ」と文句のひとつも言いたくなってしまうものですが、それが事実なのですからどうしようもありません。
最近は、ルッキズムが問題視されており、容姿のことを言ってはいけないという風潮ですが、美人とイケメンは、何かとトクをしやすいのです。これは、研究でも明らかにされています。
たとえば、もしどこかに荷物を置き忘れても、顔立ちがよい人ならきちんと届けてもらえます。米国インディアナ州にあるアールハム大学のピーター・ベンソンは、中西部のとある空港の公衆電話のブースに、わざと書類を置き忘れておくという実験をしたことがあります。
書類は、大学院受験の応募用紙なのですが、その用紙には受験者のものらしい写真が貼りつけてありました。写真は4種類用意されていて、魅力的な男性、魅力的な女性、そうでもない男性、そうでもない女性の4種類です。書類にはすでに切手が貼られており、それを投函してもらえるかどうかを測定してみたのです。書かれていた送り先の住所は、ベンソンの研究室でした。では、最終的にどれくらい届いたのでしょうか。
離れた場所から観察したところ、全部で604人(男性442人、女性162人)が公衆電話のブースを使っていました。実際に戻ってきた書類は、魅力的な写真が貼られていた場合では47%、そうでもない人の写真を貼っていた場合では35%でした。ただし、男女差はありませんでした。
この結果は、顔立ちがよい人ほど、親切にされやすいということを示しています。顔立ちがそれほどよくない場合では、わざわざ書類をポストに投函してあげよう、という気持ちにならないようです。
会社でもそうでしょう。美人の女性は、やはり職場の人たちからチヤホヤされやすいでしょうし、もし困ったことがあっても、「どうしたの?」「大丈夫? 手伝おうか?」とやさしい言葉をかけてもらえる可能性が高いです。
その点、顔立ちがそれほどよくない人は、なかなか助けてもらえないという悲惨な状況に陥りやすいといえます。
私たちは、小さな頃から平等であることや公平であることの価値を学ばされるものですが、現実には、公平な扱いをしてもらえるということはなかなかありません。それが世の中の悲しい現実といえるでしょう。