ホモ・サピエンスよりもさらに古い生命の起源を遡っていくと、どこにたどり着くのか。生物はどこまで続いているのか。進化生物学の第一人者である長谷川眞理子氏が解説する。
※本稿は、長谷川眞理子著『美しく残酷なヒトの本性』(PHP新書)より内容を一部抜粋・編集したものです。
単細胞生物と多細胞生物の決定的な違い
この地球ができたのは46億年ほど前だ。そして、およそ38億年前に、地球上に生命が誕生した。
ところで、生命とは何かと言えば、その定義はなかなか難しい。何しろ、この地球上で生命だと思われているものしか、私たちは知らないのだから。地球上で生命と思われているものたちに共通する特徴を並べてみると、
①膜で囲まれている
②その膜を通してエネルギーと物質のやり取りが行なわれる
③その結果として、身体が成長し
④やがて自分と同じものを複製する
ということが挙げられる。
単細胞生物は、身体が大きくなって分裂することで増えていく。分裂してできた2つの細胞は同じものが複製されただけで、どちらが親ということもない。一方、私たちのような多細胞の生物は、生殖細胞である精子と卵子が結合し受精卵となり、それが成長して大人になっていくので、親と子という世代の分離が明確である。
単細胞生物でも多細胞生物でも、身体をつくって、栄養やエネルギーを代謝していく仕事を働かせるためのシナリオとして、遺伝子をもっている。単細胞生物の場合、その遺伝子がそっくり複製されるとともに、その遺伝子のセットを1組ずつもって、身体が2つに分裂する。こうして、同じ身体が複製される。
多細胞生物の場合は、単細胞生物とは違って、個々の細胞が、特定の仕事だけをするように分化している。肺の細胞は呼吸に関与するのであって消化には関与しない。胃の細胞は逆に、食物の消化にしか関与しない。
しかし、すでに分化してしまったどの細胞であっても、遺伝子としては、身体全部をつくる遺伝子をそっくりもっているのだ。ただ、分化していく過程で、遺伝子の中の自分の仕事に関わる部分だけを活性化し、残りは休止状態にするのである。こんなふうにいろいろ分化してしまった身体を、そのまま複製することはできない。
複製には、その仕事に特化した細胞がある。それが精子と卵子だ。多細胞生物とはつまり、すべての仕事を細胞ごとに分業化して、全体を維持している生き方である。
すべての生物は同じ起源でつながっている
さて、私たちのような多細胞生物の身体は、時間が経つと必ず寿命がきて死んでしまう。それでも生物が存続しているのは、精子と卵子が合体して次世代の個体をつくっているからだ。精子と卵子の中に含まれていた遺伝情報が、次の身体をつくるのである。
そこで、いまここにいる私から始めて時間を遡っていこう。
私には親がいる、その親にも親がいる、その親にも親がいる、というふうにたどっていくと、およそ30万年を遡ったところで、ホモ・サピエンスの先祖にたどり着く。しかし、その先祖にも親がいる、その親にも親がいる、というようにまだまだ続く。そして、およそ600万年前まで行き着くと、そこでは、人類の系統とチンパンジーの系統のもとになった先祖にたどり着く。遺伝子の構成は少し違ってしまっているが、連綿と続いていることは確かだ。
しかし、そこでも終わらない。その先祖にも親がいる、その親にも親がいる、というようにさらに6500万年以上遡ると、哺乳類の祖先にたどり着く。しかし、そこでも終わらない。その祖先にも親がいて、その親にも親がいる。そうして最終的には、38億年前の全生物の起源にまでたどり着くのだ。
38億年前に、たった1種類の生物だけが出現したのかどうかはわからない。もっとたくさんの異なる生命がいたのかもしれない。しかし現存する生物はすべて1種に由来していることが明らかなので、それをLUCA(Last Universal Common Ancestor「最終普遍共通祖先」)と呼ぶ。
私という身体は終わりになるし、私の親たちもその親たちも皆、身体は死に絶えてしまった。遺伝子の内容も、この38億年の間にずいぶん変化した。しかし、受け継がれてきたという点では、たしかに続いてきたのである。
これを、いま空を飛んでいくスズメに当てはめてみよう。そのスズメには親がいる、その親にも親がいる。と、同じように遡っていくと、やがて鳥類の祖先にたどり着き、私たち哺乳類の祖先とも合流して、この両者を生み出した爬虫類の祖先にたどり着く。そして、最後にはやはり38億年前の全生物の起源にたどり着くのだ。
生物は必ず生物から生まれるので、途中で無から飛び出てきた生物はいない。いま私たちの周りに存在しているタンポポも、イチョウも、ドジョウも、アブラムシも、皆こうして38億年前の祖先にまでたどり着く。そう考えると、生きていることが大変に愛おしくなりませんか?
祖先を敬う、生きとし生けるもののすべてを大切に思う、というのは、日本の伝統思想である。もしかしたら、もっと広く東洋思想でもあるのだろう。祖先が必ずしも「偉い」わけではないが、現在の私という存在があるのは、きちんと繁殖してくれた祖先があってこそ、という思いは理解できる。
私は最近、日本の伝統文化に触れる機会が増えたことで、こんな感想をもつようになった。そして、いま自分の周囲にあるすべての生物の親をたどっていくと、皆1つの祖先にたどり着くというのも、なんとなく心温まる事実である。








