この世界は、めくるめく多様な生物であふれていて、それぞれの生物は住む場所に「適応」し暮らしています。
中でも、田んぼに生息しているカブトエビは、2億年前と変わらぬ姿のまま生き続けているといいます。なぜ彼らは、この途方もない年月の中を、絶滅せず生き残れたのでしょうか。
北海道大学大学院准教授で進化生物学者の長谷川英祐氏に、カブトエビを例に生物の進化や、その繁殖戦略について詳しく聞きました。
※本稿は、長谷川英祐氏著『面白くて眠れなくなる進化論』(PHP文庫)より、一部抜粋・編集したものです。
生物の繁殖に欠かせない「適応度」とは?
ダーウィンの「自然選択説」を要約すると、「2つの異なる遺伝的変異体は、どちらがより子どもを残しやすいかという競争をしており、この能力に優れたほうが 生き残り、劣ったほうが滅びる」というものです。
競争は、足の速さ、力の強さ、飢えに耐える力など様々な形質において行われますが、結局は、「子どもをどれだけ残せるか」という観点に還元されて評価される訳です。
「総合説」も含めて、現在の「自然選択説」では、「適応度」という概念が最も重要なものとなっています。2つの遺伝タイプがある時、その環境で有利なものが頻度を増すというのが自然選択の根本です。
この時に有利とはどういうことでしょう。競争に強いという意味ですが、強いとは?
捕食者から逃れるためならば、足が速いとか、水中で効率よく活動するためにはヒレがよいとか、競争の形は様々です。
しかし、適応進化を考える時は、持っている形質の差、例えば足の速さによって「適応度」が異なり、「適応度」の高いほうが有利だと考えるのです。
具体的には、「適応度」とは何であると考えられているのでしょうか。それは、生物が次世代に伝えた、形質を支配する遺伝子(DNA)のコピー数です。
2つの遺伝タイプのうち、この値が高いほうが頻度を増していくことは明らかですね。
その形質が存在することで、次世代への「遺伝子伝達コピー数(適応度)」がどのようになるかを考えて、適応度の高いほうが進化する。この考え方を採用することで、複雑な形質の進化を単純化し、モデル化することが可能になりました。
ここで「適応度」は、「次世代に伝えられた遺伝子コピー数である」と考えていることに注意してください。そうだとすると、なるべくたくさんの子どもを産んで、伝わる遺伝子の数を多くするほうが有利である、ということになります。
カブトエビの繁殖戦略
しかし、時にはそう単純ではない場合があるのです。カブトエビという節足動物の繁殖戦略について見ていきましょう。
カブトエビは、水の中で成長する生物ですが、乾燥した場所に住んでおり、時折降る雨によってできた水たまりで発生・成長して、産卵します。乾季に水が干上がった時は、卵の形で休眠して、次の雨が降るのを待つのです。
さて、雨によってできる水たまりは不安定な環境です。雨が少ししか降らなかった時は、すぐに干上がってしまいます。この時に、カブトエビはどのような繁殖戦略を採るべきでしょうか。
もし、卵が次の降雨時に全て孵化するとします。通常の生物はこういう卵を産みます。次に好適な条件が整った時に孵化するようにプログラムされているのです。
しかし、カブトエビの場合は、全ての卵が一斉に孵化するようにプログラムされていると、降雨量が少ないときには、子どもの成長が完了して産卵する前に水たまりが干上がってしまう可能性があります。そうなると子どもは全滅です。親の適応度はゼロになってしまいますね。
しかし、カブトエビには、次に降る雨が子どもの成長に十分な水たまりを作るかどうかはわかりません。
では、どうすればいいでしょうか。
実際には、カブトエビが産む卵の中には、1回濡れると孵化するもの、2回濡れると孵化するもの、3回のもの、もっと多いものと様々なものがあるのです。
そうすることで、1回目の雨で孵化した子どもが全滅したとしても、2回目に十分な量の雨が降れば、遺伝子を将来の世代に伝えていくことができます。
何回かに1回は十分な雨は降るでしょうから、子どもの孵化に必要な濡れる回数をばらつかせておく遺伝子型を持つ親は、自分の遺伝子を確実に将来の世代に伝えていくことができるのです。
このような戦略は、例えばルーレットをやる時に、自分がすっからかんになることを防ぐために赤と黒の両方に同時にかけるようなやり方(両掛け)に似ています。そこで、カブトエビの繁殖戦略のようなやり方は「ベット・ヘッジング(両掛け)戦略」と名付けられています。
もちろん、このような掛け方をすれば、必ずいくらかはもらえるのですが、いくらかは必ず損をするので、大きく儲けることも難しくなります。
この点、カブトエビのやり方はどうでしょうか。
全ての卵が一度濡れただけで孵化するとしたら、その一度で子どもが次の産卵までに成長することが可能であれば、次世代に多くの遺伝子を伝えることができます。
その子どもたちは、また次世代に数多くの卵を残すでしょう。この条件では、一度に卵を孵化させる戦略は、適応度が高いように思えますし、常に子どもが産卵まで育つことができる安定した環境ならば成立するでしょう。
カブトエビのやり方では、1年ごとに孵化する子どもの数は、全ての卵を一度に孵化させるよりもどうしても少なくなります。常に子どもの成長が保証されるような安定した環境では、卵は一度に孵化するほうがいいのです。
カブトエビの繁殖戦略は短期的な利益は少ないのですが、いつ好適な環境になるかわからない以上、全ての卵を一度に孵化させてしまうのはリスクが大きすぎます。万一、その時が不適な環境であれば、次世代に伝わる遺伝子量はゼロになってしまうからです。