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「閉ざされた日本は危険」サントリー出身作家・吉村喜彦さんが初の時代小説で「江戸の酒造り」を描いた真意

「文蔵」編集部

2025年10月07日 公開 2025年11月13日 更新

江戸酒おとこ江戸時代から人気の、神田・豊島屋酒店の田楽。小説にも登場。

秋。日本酒のおいしい季節です。各地で酒造りもはじまっています。時代小説に新風を吹き込み、出版界はもちろん日本酒業界でも話題の『江戸酒おとこ』の著者、吉村喜彦さんに、作品への思いやテーマ、その背景について聞きました。(インタビュー:上杉朗/写真:吉村喜彦

 

初の時代小説に「日本酒」を選んだ理由

――はじめての時代小説とうかがいましたが、なぜ時代小説を?

吉村(以下Y):作家になる前は、サントリーで宣伝の仕事をしていました。洋酒やビールに関しては興味や知識もあり、たびたび小説のテーマにしてきました。で、書いていないお酒のジャンルは何かなと思ったら、日本酒が残っていたんです。

――でも、どうして江戸時代?

Y:日本酒といえば、清酒。清酒はちょうど関ヶ原の戦い(1600年)の頃、伊丹で誕生したといわれています。それ以降、上方で質の高いお酒が造られていきました。日本酒を書くなら、その原点である江戸時代からじゃないかと。

 

江戸時代の酒造り――隅田川のほとりで生まれた名酒

『江戸酒おとこ』にも登場する江戸の豊島屋酒店。白酒売り出しの賑わい。
『江戸酒おとこ』にも登場する江戸の豊島屋酒店。白酒売り出しの賑わい。

――江戸でよく飲まれていたのは、上方から下ってきた酒だったんですよね?

Y:人気があったのは、最初は伊丹や西宮、やがて灘...と下り酒でした。小説のテーマを「酒造り」にしようと思ったとき、まず浮かんだのは灘。ぼく自身、大阪生まれですし、身近なのは灘でした。

でも、ぼくは母が東京生まれなので、子どもの頃、東京弁を大阪でしゃべると、言葉が違うことでいじめられた。その経験がぼくの言葉や生き方の根本にあります。要するに、大阪で、ぼくはマイノリティでした。

――だから主人公の小次郎も灘の酒蔵の息子だけれど、母親が江戸生まれに?

Y:ええ。江戸と大坂の、いわばハイブリッドな主人公が、ちょっと開放的な気分で、憧れの江戸に向かう。

――小説冒頭の、小次郎が船で江戸にやってくるシーンの晴れ晴れした感じは、そんなところにあるんですね。

Y:松平定信の頃、上方に負けぬ酒を関東で造ろうとした「御免関東上酒」というプロジェクトを知ったのも、江戸の酒造りを書く動機になりました。灘の酒は、いまも菊正宗や白鷹などとても好きなんですが、灘を書くのはちょっとありきたりかなと思いました。

つねに勝っている酒を書いてもつまんない。書くなら、劣勢で悔しい思いをしてる方が面白い。たとえば阪神タイガースが勝っていてもあまり面白くない。負けているタイガースを、「がんばれ!」と応援するのがいい。そんな感じ。

――たしかに酒飲みは判官びいきですもんね。しかし、江戸に造り酒屋があったというのは驚きでした。江戸のどの辺りで造っていたんですか?

Y:おもに隅田川近く。『江戸酒おとこ』に登場する山屋という蔵元は実在の酒屋。その名も「隅田川」という酒を造っていました。仕込み水は、いまのアサヒビール本社あたりの井戸水を使っていたようです。かつて札幌麦酒の工場もありました。いい水がないとビール工場はできません。

山屋は浅草雷門の真ん前、並木町にありました。「ありやなしやと振ってみる隅田川」という川柳などもあり、江戸っ子に親しまれたお酒だったようです。

「灘の酒よりも安くて、しかも美味い」と評判だったようです。戦後のトリスウイスキーのキャッチフレーズ=「うまい、やすい、トリス」と同じだ、とひらめきました。そういえば、江戸時代、水割り酒を飲んでいたことを知ったのも衝撃で、これらのことが創作のヒントを与えてくれました。

――ウイスキーの水割りはありますが......。

Y:会社員時代、薄い水割りをちびちび飲むおじさんたちにものすごい反発がありました。いまは水割りがハイボールに替わり、でかいジョッキで薄いショボショボのハイボールを飲む......。売るために工夫しているのはわかるけど、それでは味が台なしじゃないか。そんな思いが「江戸の水割り酒」を知って、ムラムラッときたんです。

――どう、ムラムラッときたんですか?

Y:サントリー時代、「水割りではなく、まずはストレート」と思い、「山崎」や「白州」というシングルモルト・ウイスキーのキャンペーンに関わりました。ストレートで勝負できない酒はダメ、と思っていた。「江戸の水割り酒」を知ったとき、同じ思いを抱きました。なんとかストレートで勝負する江戸酒を造らなきゃ。そう思ったひとは、絶対にいたはずだと。

 

琉球人、脱藩浪人…個性的な登場人物たち


府中の大國魂神社に奉納された東京の地酒(江戸酒)。

――そして、主人公・小次郎は仲間をつのって、原酒で勝負する酒を造っていくんですね。そのメンバーがちょっと面白い。はぐれ者が多くて、魅力的です。

Y:まず、小次郎。短気でコンプレックスのかたまり。相棒の福山脱藩浪人・龍之介は、藩内の派閥闘争のあおりを食って、泣く泣く妻とわかれ、地位も捨てて江戸に出てきたが、藩では酒造りの第一人者だった。琉球人・海五郎は、薩摩藩に支配されるのが嫌で逃亡してきた男。 そのほか願人坊主や瓦版売りなどが蔵人になりますが、かれらは酒造りの素人。

小次郎はかれらを直感的に見込みがあると思って、スカウトする。そして、小次郎が恋する娘・お凜は目がわるく、一人歩きもなかなか覚束ない。しかし、嗅覚や聴覚が鋭く、彼女も酒造りに関わるようになる。小次郎の仲間たちは、どこか欠落がある。周縁の人が多いです。 文化(=酒)は周縁に生まれますから。

――それぞれが弱点を補いあって、良いモノを造っていくのが爽快でした。

Y:ぼくは、ブレンディッド・ウイスキーというのが組織のあり方の理想だと思うんです。ウイスキーというのは、一樽一樽、まったく個性が違う。尖ったもの、ひねくれもの、ふくよかなもの......それらをブレンダーが混ぜ合わせて、それぞれの個性を活かすような、大きな「円いもの」をつくりあげていく。これは編集力だし、クリエイティブなマネージメントそのものです。

――さまざまな個性をもった人を率いて、上質な酒を造った小次郎は、マネージャーとして優れていた?

Y:結果としては、そうですね。ただ、かれ自身が若くて、性格的にまだまだ問題がありますが(笑)ま、若い酒は尖っているけど、熟成すると円くなります。それと同じ。

――とくに琉球出身の海五郎がイイ味を出していると思うのですが。

Y:ぼくは沖縄が好きです。なぜ好きかと言えば沖縄人(ウチナーンチュ)の優しさ、懐の深さ、やわらかさ、何より、外に向かって開かれた感性が好きなんです。琉球王国は貿易国家でした。さまざまな人や文物を受け入れ、自らも移民となって生きてきた。ちいさな島国であるがゆえに、「開かれた」国だった。

酒の蒸留技術も日本より早く渡ってきて、それが泡盛という名酒を生みました。そんな「開かれた」琉球のシンボルとして海五郎が存在します。江戸(日本)は一般的に「閉ざされていた」と思われるけれど、はたしてそうか?そういう疑問がずっとあるので、閉鎖性をブレイクスルーする人間として、琉球人の海五郎を考えました。

江戸酒おとこ海を渡ってやってきた酒が、混じり合って美味しくなった

 

多様性がテーマ――「混じり合えば、おいしい」

――いま、排外主義がはびこるこの日本で、とても大事な視点ですね。

Y:閉ざされた日本は息が詰まるし、危険です。そこからは何も生まれません。日本って、すぐ「攘夷」に傾く。ほんとに視野が狭い。そんなやり方で、世界とコミュニケートなんかできない。日本酒は世界史のなかで生まれたんだと気づいてほしい。

メソポタミアに生まれ、インド、タイ、中国と旅をして、沖縄の泡盛になり、それが焼酎になる──という蒸溜酒の歴史が、日本の酒につながってるんだよ、ということを言いたいんです。だから、雑多で欠落のあるひとたちや、異人に酒造りに加わってもらいたかったんです。

――そういう深い歴史認識のもとに書かれているんですね。いまエンタメ系時代小説って、歴史や文化をどう見るのかという骨のないものが多いですが、それがこの小説にはあるんですね。

Y:骨を見せるのは、野暮。それをいかに面白おかしく伝えるか。それがエンターテインメントだと思うんです。思想や哲学は行間にあらわれてくるんで、理解していただけるかどうかは、読者のリテラシー次第です。ぼくにとって、「日本スゴイ」みたいな時代小説はまったく無意味。

ぼくらの暮らす日本の文化が、いかに混じり合っていて、ブレンディッド・ウイスキーみたいに豊かなのかを、楽しみながら知ってほしいんです。「混じり合えば、おいしい」んです。

――並木町・山屋の蔵人たちの多様性が、おいしい酒を生みだしたんですね。

Y:お酒の味は、人間味です。そのあたりが出ていれば、と思います。それと、「時代小説を書こう」というより、「日本酒造りのことを書こう」と思って書いたら、たまたま江戸時代になりました。なので、「時代小説」というジャンルに括られず、フツーの現代小説のように、読んでもらいたいんです。

――たしかに、すぐれて現代的な問題をテーマにしていますよね。日本の根にある問題点というか。

Y:小次郎のいた江戸を、フィリップ・マーロウのいたロスアンジェルスみたいな感じで、想像してもらえれば(笑)

――『江戸酒おとこ』を読むと、酒造りのこともわかりやすく書いているので、「なるほど、そうやってお酒ができるのか」という勉強にもなります。東西の文化が混じり合うところで生まれた山屋の酒、という観点で読むと、また新しい世界がひらけてきます。時間や空間を飛びこえる旅ができる小説なんですね。今日はどうもありがとうございました。

江戸名物、天ぷらと酒。 府中の大國魂神社に奉納された東京の地酒(江戸酒)。
江戸名物、天ぷらと酒。

著者紹介

吉村喜彦(よしむらのぶひこ)

作家

1954年、大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部に勤務し、バーボンや「響」「山崎」「白州」「角」などのヒットCMを連発。その後、作家に。
著書に、『炭酸ボーイ』(角川文庫)、『バー・リバーサイド』シリーズ(ハルキ文庫)、『マスター。ウイスキーください 日本列島バーの旅』(コモンズ)、『食べる、飲む、聞く 沖縄・美味の島』(光文社新書)『漁師になろうよ』(小学館)、『ビア・ボーイ』『こぼん』(新潮社、PHP文芸文庫)など。
NHK-FM「音楽遊覧飛行〜食と音楽で巡る地球の旅」の構成・選曲・ナビゲーターを長年つとめた。
2024年、初の時代小説『江戸酒おとこ 小次郎酒造録』(PHP文芸文庫)を刊行。

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