サンタジェロ城
ローマを歩いていると、街のそこかしこに意外な発見がある。老舗菓子店で味わうスイーツ、観光客でにぎわう広場、そして広場の名前が意外なところでつながっていた。高校2年生でラテン語の学習を始め、2016年からX(旧Twitter)でラテン語の魅力を毎日発信し続けるラテン語さん(東京古典学舎研究員)。その新著『今に生きるラテン語を求めて 「永遠の都」ローマ滞在記』から、ローマ散策で出会ったスイーツと言葉の旅をお届けする。(写真提供:ラテン語さん)
※本記事は、『今に生きるラテン語を求めて 「永遠の都」ローマ滞在記』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
1916年創業の老舗菓子店で「定番のマリトッツォ」を
近くのPasticceria Regoliという、1916年創業の菓子店に行った。色とりどりのお菓子がショーケースに並んでいる。いちごのケーキやピスタチオのシュークリームなどバラエティに富んでおり、選ぶのに迷ったが、ここは定番のマリトッツォにする。日本でも流行ったスイーツで、パンに切り込みを入れて大量のクリームを詰めて作られている。店で食べることもできるが、テイクアウトして外で食べることにした。
歩いて4分のところにサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂があり、外の噴水の縁に並んで腰掛けてかぶりつく。クリームがたっぷり入っているとはいえ甘すぎずしつこすぎず、パン生地から柑橘系の風味が感じられて見た目よりもすっきりした味わいになっている。口の周りを汚さないように気を使うが、定期的に食べたくなる味だった。
「ナボナ」の名前は古代の戦車競走場に由来する
スマホで地図を見ると、近くにナヴォーナ広場があるということが分かった。7分歩けば、ダン・ブラウンの『天使と悪魔』に出てきたあの広場を見ることができる。その場所は、広場と呼ぶには横長すぎる造りになっている。というのも、古代は戦車競走を行う競技場だったのだ。紀元1世紀に建てられたドミティアーヌス競技場のフィールド部分が、現在のナヴォーナ広場になっている。亀屋万年堂の「ナボナ」というお菓子は、この広場の名前に由来する。
広場にはネプトゥーヌス(ネプチューン)の噴水、ムーア人の噴水、そして中央に四大河の噴水があり、四大河の噴水の上にオベリスクが建っている。四大河の噴水はそれぞれの川(ガンジス河、ナイル河、ラプラタ河、ドナウ河)を表した人物の大きな彫刻があり、さらに動物や植物などの彫刻もあり大変豪華な造りになっている。
ナヴォーナ広場に面する建物のうち、特に目立つのはサンタニェーゼ・イン・アゴーネ聖堂(Chiesa di Sant'Agnese in Agone)だ。イタリア語名にあるin Agoneは、この広場の昔の名前である。もともとはPiazza in Agoneと呼ばれており、それがPiazza Naoneと変わり、最終的にPiazza Navona となった。
「苦悩」を意味する英語「agony」も同じ語源だった
agoneは「競技会、競技場」を指し、元はラテン語agon(競技)、さらにギリシャ語agṓn(競技、争い)にさかのぼれる。agṓnの派生語agōníā(戦い、緊張、苦悩)は、英語agony(苦悩)の語源になっている。
広場には観光客が多く集まっており、観光客狙いの人たちにも声をかけられてなんとなく居心地が悪くなったので、ここを離れて別の場所に行くことにした。10分歩けば『天使と悪魔』に出てくるサンタンジェロ城があるので、日が暮れる前に行ってみよう。
ウンベルト一世橋でティベリス川をわたり、サンタンジェロ城を目指す。ティベリス川沿いに、土産物を売る出店がずらっと並んでいた。ほどなくして、右手にサンタンジェロ城が現れた。この建物は、ハドリアーヌス帝の霊廟として2世紀に建てられたものだ。中世や近代には、要塞として使われていた時期もある。現在は、芸術品を展示する博物館となっており、多くの観光客を迎え入れている。当日券の列に20分ほど並んで中に入ると、ひたすら上りのスロープが続いていた。
上層部にある美術品の展示室に入ると、予想もしなかった光景が広がっていた。部屋の天井や壁にも絵が描かれていたのである。これを仕上げるのにどれほどの年月がかかったか、想像もつかない。外の開けた場所からローマの町を見下ろす。高層ビルなどがないため、遠くまで見渡せる。ローマの町全体が「旧市街」のようになっており、この景色はずっと見ていられる。夜になるまでここで過ごしたいところだが、学校に帰らなくてはいけない。
壁に刻まれた750年前の洪水の記録
テルミニ駅へ歩いていると、サントスピリト銀行通りからバンキのアーチに入るところにある一角で立ち止まっているカップルを見た。壁に何か書かれており、それを読もうとしているようだ。どんな文が見られるのか気になって目を近づけると、それは意外な内容だった。
HVC TIBER ACCESSIT SET TVRBIDVS HINC CITO CESSIT
ANNO DOMINI MCCLXXVI IND VI M NOVEMB DIE VII
ECCL'A VACANTE
ティベリス川の水はここまで上がってきた。しかし、その濁流はすぐにここから退いた。1276年 第6インディクティオ 11月7日 使徒座空位時に
つまり、これは災害の記録なのだ。13世紀に生きる人々が、当時のティベリス川の増水を後世に伝えようと石に刻んだ。この石は、以前は近くにあるサンティ・チェルソ・エ・ジュリアーノ教会にあり、後に現在の場所に移された。日本でも津波などがあったことを伝える石碑があるが、西洋にも存在していた。







