パリで暮らす人の家は洗練されていて、まさに映画に出てくるような空間――そんなイメージを持っている方もいると思います。ところが、「実際に家にお邪魔すると、イメージしていた部屋と違っていた」と、20年近くパリで暮らす小栗きくこさんはいいます。
では、パリで暮らす人々は部屋を作る上で、何を大切にしているのか。パリ在住の小栗さんが紹介します。
※本稿は、小栗きくこ著『パリ時間』(大和出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
視線が忙しくなる部屋ではなく、落ち着きのある部屋がいい

夜の灯りもシンプルで、視線が忙しくなりません。
パリに住む友人の家にはじめて招かれたとき、正直に言って、少し拍子抜けしてしまいました。というのも、洗練されたインテリアや、映画に出てくるような「絵になる部屋」をどこかで想像していたからです。
実際に目にした部屋は、こちらが身構えていたほど「完成された空間」という感じではありませんでした。といっても何もない部屋というわけでもなく、適度に飾られていて、壁や棚のあちこちに住む人の気配が静かに残っています。それでも、なぜか視線が忙しくなることがありません。ただ不思議と、とても落ち着く場所だったのです。
まさにそれは、「飾らない」部屋。「見て、見て」と主張する物が少なく、部屋の空気がどこか静かでした。当時の私は、「飾らない」という言葉を少し勘違いしていたようです。パリの人の家にお邪魔して、「飾らない」とは、何も置かないということではなく、「増やしすぎない」ということに近いのだと気づかされました。
置いた物同士がぶつからないように、自然と距離が取られている。だから部屋には、ちゃんと表情があるのに、ごちゃごちゃしているように見えなかったのです。それはきっと、自分の中の「好き」という感覚を知っているからできることなのだと思いました。好きな物がわかっている人は、たくさん物を並べなくても、どこか満たされていますよね。何かを足して、「それっぽく見せる」よりも、余分な物を置かずに好きな物が息をできる工夫をしている。パリの部屋に、そんな印象を受けました。
私がお邪魔したその家の人は、部屋について積極的に語るわけではありませんでしたが、こちらが尋ねると、どこでその家具や雑貨を見つけ、なぜそれを選んだのかを楽しそうに話してくれました。部屋とは、住む人が自分の心地よさを基準にしている場所。そして、構えなくてもいい場所なのですね。だからなのか、そんな部屋に入ると、自然と肩の力が抜けていきます。
不思議なことに、自分が心地いいと感じる場所を大切にしている人は、その「心地よさ」を何気なく周りにいる人にも手渡しています。「どう?素敵でしょう?」と言葉にしなくても、背伸びせずにいられる空気や、そのままでいいと思える安心感が伝わってきて、こちらの呼吸が少しずつ整っていくという感じです。
それは、言い換えると、その人の持つ「静かな自信」。パリの部屋にあるのは、「華やかさ」というよりも、「静かな自信」のようなものなのかもしれません。
部屋は「見せるもの」「ちゃんとすべきもの」ではない

部屋は「見せるために整理する」ものでなくてもいい。
パリでは多くの人が、家に人を招くことを楽しんでいます。いわゆる「ホームパーティー」と呼ばれる集まりも、「パーティーのために整えて用意する場」というより、「集まった人たちと一緒に時間を過ごすためのもの」という印象があります。
約束した時間に家を訪ねても、まだ何も準備が始まっておらず、テーブルの上もキッチンもふだんのまま、ということもしばしば。けれど、誰もそれを気にすることはなく、まずはシャンパンを開けて、立ったまま乾杯が始まります。話しながらグラスを傾け、アペロ(軽いおつまみ)を口にし、その流れで家主がキッチンに立ちます。そして料理をしながら、また会話が続いていくのです。
そこでは、「部屋は人に見せるもの」「人が来るから部屋を整えなければいけない」という発想があまり感じられませんでした。もっと言うと、完璧に準備が整ってからゲストを迎えるのではなく、料理をし、その場ができていく過程も含めて、一緒に楽しんでいるようなのです。「部屋」という空間は、誰かに見せるための舞台でも写真に撮るための素材でもなく、まるで「その時間を支える場所」として存在しているようでした。
パリに来て間もない頃、私は「誰かを部屋に招くために、ちゃんと整えなきゃ」と思い込んでいました。けれど、ここで過ごすにつれて、「自分の部屋は、誰のための場所なんだろう」とあらためて考えるようになったのです。
自分の部屋とは、そもそも他人に見せるためのものではないはず。外出先から帰ってきて力を抜くための場所であって、その延長に人を迎える時間がある。だから、自分がリラックスできる空間が一番。少しずつ、そんな感覚へと変わっていきました。
「暗いな」と感じる空間に、ゆるやかな時間が流れる

少し暗いくらいが、ちょうどいい。
日本では、部屋の照明は昼夜問わず、ずっと明るいものですよね。一方、パリでは日本のように天井の照明が空間全体をくっきりと照らしているような部屋はあまり見られません。
パリでは、スタンドライトや小さなランプをいくつか灯し、必要な場所だけにやわらかな光を落とすため、その光のやわらかさが、部屋に落ち着いた空気をもたらします。それは、明るさで部屋を満たすというより、光の居場所を作るような感覚です。夜になると、スタンドの灯りや間接照明だけで過ごしている部屋も珍しくないのですが、私自身、ここに来たばかりの頃は、このような明るさを落とした照明に少し戸惑いました。
でも、しばらくそんな空間に身を置いていると、「暗くて困る」という感覚がなくなり、次第に慣れていったのです。むしろ、目が疲れにくく、時間が少しゆるやかに流れるように感じられました。
実際に、パリの人たちの部屋でテーブルの上に置かれたキャンドルの灯りで食事をしたときのこと。光が少ない分、手元のお皿に視線が移るため、余計な物が目に入ることなく、自分の周りだけがやさしく浮かび上がってくるようでした。照明を明るくしすぎないことで、料理の色や向かい合う人の表情までも不思議と穏やかに見えてくるのです。壁も床もテーブルの上も、何かを置くためではなく、視線を休ませる場所になっています。
あなたも、たまには照明を落として過ごしてみませんか?素敵な発見があるかもしれません。
花を飾る瞬間、部屋にふわっと季節が訪れる

マルシェでは季節を先取りしたお花が並びます。
その季節に出回り始めた花をマルシェ(市場)で買って、部屋にそっと置くだけで、新しい季節の気配が入り込んできます。「花」という物は増えているのに、不思議と空気が軽くなるこの瞬間、部屋の中が一気に切り替わったように感じられるのです。
何かを足したり引いたりしなくても、窓の外の光や空気の匂いに合わせて、自然と過ごし方が変わっていく。その変化を無理にコントロールしようとしない。私はパリに住んでいて、こんなふうに、「部屋をどう変えるか」よりも、「今の季節をどう受け止めるか」に意識を向けることがあります。
夏時間が終わる頃には、冬の始まりを感じます。時計の針が1時間戻るだけなのに、朝の空気や光の入り方に季節が動いたことを知らされます。1日の始まりが少し静かになり、夜の時間に重さが増していき、1日のリズムがゆっくりと変わっていくようです。
冬から春にかけては、マルシェに鮮やかなミモザが並びます。春から初夏には、ふんわりと香る芍しゃく薬やく。そして夏の終わりから秋にかけては、やわらかな色合いの紫あじさい陽花が花屋に並びます。同じ部屋でも、花が変わるだけで空気が少しずつ移ろい、季節の流れを静かに知らせてくれるように感じます。
こんなふうに、何かを変えなくても、暮らしが先に季節を教えてくれ、それに合わせて部屋の中で過ごす時間も自然と切り替わっていきます。物を動かさなくても、部屋はちゃんと変わっていくのですね。







