2000年前に元奴隷が見せた大逆転劇 古代ローマ「パン屋の墓」に刻まれたメッセージとは?
ガッリエーヌスの門
古代ローマの街には、今も2000年前の碑文が刻まれた建造物が残っている。そのそばにひっそりと立つある墓が、古代ローマの社会のある側面を今に伝えている。高校2年生でラテン語の学習を始め、2016年からX(旧Twitter)でラテン語の魅力を毎日発信し続けるラテン語さん(東京古典学舎研究員)。その新著『今に生きるラテン語を求めて 「永遠の都」ローマ滞在記』から、マッジョーレ門周辺の散策で出会った驚きの史跡を紹介する。(写真提供:ラテン語さん)
※本記事は、『今に生きるラテン語を求めて 「永遠の都」ローマ滞在記』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
遺跡が日常生活に溶け込む街、ローマ
ここで増永さんと別れ、一人で市内を歩く。サン・ヴィート通りを歩いていると、かなり古い門があった。そこには碑文が書かれているが、建造物が古いせいで碑文が曲がってしまっている。これは「ガッリエーヌスの門」と言い、アウグストゥス帝の時代、つまり2000年前に建てられたものだ。ガッリエーヌスは3世紀の皇帝で、彼の時代にこの門がガッリエーヌスに奉献された。それが今も残っているのだが、特に観光名所にはなっていない。市民が行き交うこのサン・ヴィート通りに建っており、人々はそこを通り抜けるだけだ。遺跡が日常生活に溶け込んでいる、そんな様子がうかがえる場所であった。
ジョヴァンニ・ジョリッティ通りを南東の方角に進んでいると、左手に古代に建設されたと思われる建物を見つけた。これは「ミネルヴァ・メディカ神殿」と呼ばれるものである。とはいってもこれはミネルヴァにささげられた神殿ではなく、泉の精ニンフを祭る建物であった。そして、この十角形の建物をよけるように、鉄道路線や道路が敷かれているのだ。言ってしまえば実用性に乏しいこの「神殿」を取り壊してまっすぐな道を建設することもできただろうが、少々の不便はあっても古い建物を残すという、ローマの人々の気持ちを感じた。
1世紀に建てられた水道橋の碑文
マッジョーレ門にやってきた。ここには複数の碑文が書かれている。その一つは、このような文章である。
IM[p c]AESAR VESPASIANVS AVGVST PONTIF MAX TRIB POT II IMP VI COS III DESIG IIII P P
AQVAS CVRTIAM ET CAERVLEAM PERDVCTAS A DIVO CLAVDIO ET POSTEA INTERMISSAS DILAPSASQVE
PER ANNOS NOVEM SVA IMPENSA VRBI RESTITVIT
皇帝カエサル・ウェスパシアーヌス・アウグストゥス、大神祇官、護民官職権2度、最高司令官歓呼6度、執政官3度、次期執政官4度、国父は、神君クラウディウスが引き、その後中断され9年間荒廃していたクルティア水道とカエルレア水道を、私財を投げうって市のために修復した。
この門の碑文の裏には水道管が通っており、これはもともと水道橋として1世紀に建てられたものだ。3世紀にアウレーリアーヌスという皇帝がローマ市の周りに城壁を築き、現在のマッジョーレ門も城壁の一部になった。その城壁が、現在でも一部残っている。
「PISTORIS」の文字が刻まれた豪華な墓
このマッジョーレ門と同じくらい見るべきものは、近くにあるモニュメントである。大きな穴が特徴的なこの建造物は、マールクス・ウェルギリウス・エウリュサケースというパン屋の墓である。ここに彫られている碑文にもPISTORIS(パン屋の)という文字が確認され、パン屋の仕事風景を描いたレリーフもある。かなり豪華な作りになっているが、これは解放奴隷、つまり元奴隷の墓だ。
2000年前のパン屋から感じ取ったこと
このように、奴隷になったら、あるいは奴隷の子として生まれたら一生奴隷として生きるというケースが全てではなかった。中には主人から解放を認められたり、奴隷自身や第三者が主人に金銭を払って解放されたこともある。おそらく、このマールクス・ウェルギリウス・エウリュサケースは労働に力を入れて大金を稼いだのだろう。恵まれない環境にいてもあきらめない精神を、2000年前のパン屋から感じ取った。
門や墓の写真を撮っていると、近くになにやら怪しい人たちがいる。もしかしたら、自分が狙われているかもしれないとさえ思った。マッジョーレ門の近くにトラムの大きな駅があり、観光客のお金を狙う人たちがここに来ているのかもしれない。写真を撮る手も落ち着かなくなってきたので、トラムに乗ってこの場を離れようか。
トラムが停車すると同時に、その怪しい人々がトラムの出口付近で商品を地面に並べ、物を売りはじめた。おそらく、ブランド品のコピーではないだろうか。トラムに乗る気も失せてしまい、バスでテルミニ駅へ移動した。
市街地に突然現れる古代遺跡と猫のシェルター
テルミニ駅でバスを乗り換え、目指したのはアルジェンティーナ塔広場(Largo di Torre Argentina)。ここには4つの神殿の遺跡がある。市街地の一角に突然、古代遺跡が丸々出現するなんて、さすがローマである。
「アルジェンティーナ塔」とは、この広場の近くにあった塔の名前である。名前の由来は現在のストラスブールのラテン語名Argentoratumで、この地出身の聖職者が屋敷と塔を建てたのだ。ちなみに、アルジェンティーナ塔広場で見るべきものは遺跡だけではない。猫のシェルターが神殿の遺跡に設置され、そこで飼育されている猫が時おり外に出たりする。先ほどのマッジョーレ門での緊張が、広場の猫でやっと癒された。
広場の周りにある建物を見ていたら、とある文字が目に入った。
ITALIAE FINES PROMOVIT BELLICA VIRTVS
ET NOVVS IN NOSTRA FVNDITVR VRBE DECOR
ANNO DOMINI MCMXXXVII IMPERII PRIMO
戦の美徳がイタリアの国境を拡張させた。そして新たな魅力が我々の都に生まれる。1937年 帝国元年
「帝国元年」というフレーズが気になるが、これは1936年5月にイタリアにおける帝国の復活が宣言されたことを反映していると考えられる。注目すべきは、なんといっても文字がモダンなフォントで彫られていることだ。アール・デコのデザインに似合いそうなフォントである。この碑文は「エレゲイア」という韻律に沿って書かれているので、ラテン語に熟達した人が文を考えたと思われる。政治的に作られたこのラテン詩が、全体主義社会が持つ危険を私に教えてくれたような気がした。







