「親をただ悪く描きたくなかった」『虐幸のくるちゃん』作者が語る、母親を悪人にしなかった理由
母の期待に応えようと、顔色をうかがいながら生きる少女・くるみを描いた『虐幸のくるちゃん』(木陰ひな田/講談社)。「自分のことを描かれているようだった」「過去の自分を見ているよう」と、多くの共感を呼んでいる話題作です。
いわゆる「毒親漫画」として語られることもある本作。しかし、ホラーやサスペンス色の強い作品が多いこのジャンルの中で、『虐幸のくるちゃん』は、多くの読者が「身に覚えがある」と感じる生々しさを持っています。そのリアリティを生み出しているのは、作者・木陰ひな田さんの「親を単純な悪として描かない」という信念でした。
今回は木陰さんに、本作を描こうと思ったきっかけや、母親という人物に込めた思いについて伺いました。
親を「悪人」として描きたくなかった

──「凄い漫画だな」と思いながら拝読させていただきました。お母さんが結構強烈でしたが、このテーマを描こうと思ったきっかけは何でしょうか。
【木陰】自分の家庭のこともありましたし、医療職をしていた時代に、母子関係について考える機会が結構多くあったというのが、まず一つあります。
あとは、毒親というジャンルの漫画が今たくさん出ていると思うんですけど、親をひたすら悪く描いたり、怖いものとして描いたりすることにちょっと疑問があって。別の描き方ができないのかなって思ったんです。
親をただ悪く描くのではない形で、いわゆる毒親漫画を描けないかなと思ったことがきっかけだったのかなと思いますね。
「お母さん」の人物像をどう描いたのか

──確かに、このお母さんは働きながら子育てもしていて、イライラもすることもあるだろうなと感じました。完全に悪人という訳ではない、でも子どもにとってはしんどい「お母さん」のキャラクターを、どのように作り上げていったのでしょうか。
【木陰】モデルとして自分の母親の要素も入っていますし、仕事で出会ったお母さんたちも織り交ぜて、キャラクターになっている感じです。
いろんな人と話したり、自分の親とも赤裸々に話したりする中で、親もまた、自分の親からいろいろなものを受け継いでいて、それが世代を超えて連鎖しているんだなと感じました。そういうことを踏まえた上で、ちゃんとキャラクターを作りたいという思いはありました。
だから、親をただ憎むだけという描き方は、親にとっても酷だよなという気持ちはありました。そこは踏まえつつ、怖さというキャッチーさは持たせながらも、親をただ悪人として描かないことは曲げない要素として、キャラクターを作っていましたね。
──読んでいて、ご自身の体験がないと、ここまでリアルな空気感は出せないのかなと感じます。ご自身とお母様の関係と、くるちゃんとお母さんの関係は、近いものがあるんでしょうか。
【木陰】 そうですね。近いものはありますけど、物語が高校生、大学生と進んでいくにつれて、だんだん自分の家庭から離れていって、フィクションになっていってる感じはあります。
なので、自分の体験をそのまま描いたというよりは、エッセンスとして少しずつ入っているという感じのほうが正しいかもしれません。
「今だったら受け入れてくれる」と思って描いた

──少し気になったのですが、木陰さんのお母様は、この漫画を読まれているんでしょうか。
【木陰】はい、読んでますね。活動をしていく上でも、こういう漫画を描くとなった時に、「親を悪く描いている」と思われて悲しませたくないという気持ちはありました。
なので、どういうメッセージを込めて描きたいのかをちゃんと伝えた上で、家族全体にも「こういう漫画を描くよ」と話して、了承を得てから描いている感じですね。
──そうなんですね。反対されたり、何か言われたりすることはなかったんでしょうか?
【木陰】 黙って出すよりも、ちゃんと面と向かって話して、「これが私の生活費になるよ」みたいな感じで伝えれば、親も何も言えない…って言ったらあれですけど(笑)。
私のことを全然応援しない親、という訳ではないので、「ちゃんと仕事にして、お金になるようにやってるんだからいいよね」くらいの感じで話しました。
あと、親も年を重ねてだいぶ変わってきたなと感じていたので、多分今だったら受け入れてくれるかなというタイミングだったのもあると思います。
──大人同士、いい距離感でいらっしゃるんですね。
【木陰】いやいや、親子関係はまだまだ終わらないものだと思いますけどね。親子は一生親子なので。









