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「自分の人生を他人に委ねない」 ルールやアドバイスに従う必要がない理由

澤円(株式会社圓窓代表)

2026年08月12日 公開

「自分の人生を他人に委ねない」 ルールやアドバイスに従う必要がない理由

「上司に言われたことは、おかしいと感じても守らないといけない」「意味を感じないルールでも破っていはいけない」...そうした理不尽な場面に遭遇した人は多いかもしれません。

「ルールや慣例について違和感を覚えたら、疑問を持って向き合うことが大切」だと語る、株式会社圓窓代表の澤円さん。本稿では、会社のルールや他人に振り回されないための考え方を紹介します。

※本稿は、澤円著『思考をアップデートする全技術』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

押しつけられたルールや慣例はすべて疑問を持つ

まず、僕たちが知っておかなければならないのは、「社会や会社には、誰かが勝手に敷いたルールや慣例に何の疑問も抱かない人たちがたくさんいる」ということです。

僕はそんな人たちのことを総称して、「オッサン」と呼んでいます。ちょっと誤解を招きがちな表現ですが、年齢が若くてもオッサン化している人もいるだろうし、オッサンのような女性もいるかもしれません。年齢や性別にかかわらず、決められたルールや習慣にとらわれた「オッサン」がどんどん増えているように感じます。

さて、日本の社会や会社には、特に明文化されていないようなルールや慣例を押しつけることを信奉するオッサンたちが本当にたくさんいます。その一例をご紹介します。

2018年の第100回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)で大活躍した選手に、秋田県立金足農業高校のエース・吉田輝星投手がいました。吉田投手は試合前に居合い抜きのような仕草を交わす「侍ポーズ」をルーティンとして行っていました。これが大会本部から禁止され、話題になったのです。

僕はあまり高校野球を観戦しないので、ポーズそのものについては詳しくないのですが、禁止になった理由を知って唖然としてしまいました。

「高校生らしくないから」

心底驚きました。要は、プロ野球と高校野球は違うものであり、「侍ポーズ」は高校野球に求められているものではない。高校野球では高校生らしく振る舞うべきなのである、ということなのでしょう。さらに吉田投手は「巨人に行きたい」と発言したことも問題になりました(実際にはドラフトで日本ハムが交渉権を獲得)。このときも高野連のオッサンからこう言われています。

「(この発言については、本人に対して)注意しようとは思っています」

いったい何の権限があって、このオッサンは若者の芽を摘むのでしょうか?ドラフト制度上の理由もあるようですが、吉田投手は「ドラフト制度はないほうがいい。そんなものをなくしてもらって、巨人に入団したい」と主張でもしたのでしょうか?

違うでしょう。自分の子どものころからの夢や希望を発信しただけです。僕はこのニュースを知って、正直「またか......」と思いました。

ちなみに、「侍ポーズ」を取ることについてはメジャーリーグでもNGでしょう。でも、それは相手に対するリスペクトの観点からであり、自然な感情が表れることについては当然禁止などしていません。他者に対する気遣いは価値があるので、わからないでもありません。

一方で「高校生らしくない」というのは強烈な押しつけだと思ってしまうのです。いろいろな意見があって然るべきですが、僕は高野連とは一生わかり合えないなと感じたのでした。

この件に限らず、最近は日本のスポーツ界全体にパワハラやセクハラが横行し、オッサンたちの狭い価値観にまみれている世界だということがバレ始めています。ルールや慣例を力によって押しつけることの他に、もうひとつ僕が酷いと感じるのは、そんなオッサンたちが試合のルールまで握っているということです。

つまり、オッサンたちへの忖度が勝負にまで影響してしまっているのです。2018年の日本ボクシング連盟不正問題では、当時の会長による「助成金の不正流用」や「試合判定への介入」が報道され、審判の公正性が問われました。オッサンが平気で審判を操作してしまうので、勝利を目指して戦う選手たちはオッサンのほうを向いてスポーツをしてしまうことになるのです。

でも、そんなオッサンマインドはグローバル視点で見れば通用しにくい。ですから、結果的に日本のスポーツはどんどん弱くなっていく悪循環に陥っているのではないかと思っています。日本のスポーツがイマイチ伸び悩んでいるのは、体格的な問題もなくはないですが、それよりも指導層や管理する側にたくさんいるオッサンたちのせいだと僕は確信しています。

 

自分の人生を他者に決めさせることはしない

あなたは、これまで自分の人生のターニングポイントにおいて、どのような決断をしてきましたか?

入試や就職、転職や結婚などいろいろなターニングポイントがありますが、そのときに両親や親友、先生や先輩たちに相談して決めた人もいることでしょう。信頼できる人に相談すると、自分では気づかなかった視点から課題を見られるので、自分の考えや視点の「抜け・漏れ」を知ることができます。できる限りたくさんの人からのアドバイスを吸収しながら、自分で考えをまとめて最終的に自分で判断する。僕はこれこそ、人生そのものだと思います。

「そのとき大切になるのは、"自分の頭で考える"ということ」

たくさんの情報を得るのはいいのですが、他者の考えばかりを重視してしまって、自分の頭で考えなくなるのはちょっと違うと思います。相手がどんなに年上でも、経験が豊かでも、知識が豊富でも、社会的地位が高くても、その人はあなたの人生を生きることはありません。あなたもその人の人生を生きることはありません。憧れたり、参考にしたりするのはいいですが、他者の人生を追いかけることに意味はないのです。

この世に生を与えられた以上、とにかく自分で判断することが最も大切なこと。失敗したり後悔したりすることも起こりますが、それも含めて自分の足で前に進むしかありません。

「自分の人生を他人に決めさせてはいけない」

自分の頭で考えて判断することに、年齢は関係ありません。どんなに若くても、逆にどんなに歳を取っていても、常に自分の頭で考えて決めること。それこそが、人生なのです。

親についても同じことが言えます。いくら親身になってくれていても、親があなたの人生を生きることなどないですよね。ましてや親の世代の経験則は数十年前のものであり、現代に通用するとは限らない。仮に「まだ親も現役で働いている」と言っても、20代や30代ではないのだから、見えている世界はまったく違うはずです。

同じ時代に生きていても、それこそ20代と50代では生きている世界がまったく異なると言っていいほどに、触れている情報も違えば、コミュニケーションの中身も違います。参考意見として聞くのはいいかもしれませんが、従わなくてはならない理由もないと断言できます。

若い人たちはものすごく大きな可能性を持って生きているのです。僕はすでに50歳を過ぎ、ある程度は自分の可能性を厳選するフェーズに差しかかっています。残りの人生の長さを考えると、しなければならないことや、やりたいことを取捨選択する必要性に迫られるでしょう。

でも、20代や30代だったなら選択肢はまだまだたくさん残されています。だからこそ、「こうしなければならない」と言われることに振り回されずに、あなただけにしか見えない選択肢に気づかなければなりません。

そして40代、50代の人は僕と同じように「しなければならないこと」をある程度決めて、広い視野を維持しながらより磨きをかけていきましょう。さもなければ、当てにならない情報やアドバイスに、いつまでも振り回されることになりかねませんから。僕は、成功したことがないオッサンたちが、過去の考え方や価値観を若者に押しつけることこそ、最もやってはいけないことだと思っています。

若い世代の人たちも、物事に対して信じる前にそれを俯瞰して、違和感があれば疑問を持って向き合ってみましょう。そこからすべては始まるのです。もちろん、「あなた、成功してないですよね」などと面と向かって言う必要はありません。無用な対立をしても時間のムダ。オッサンたちが無自覚に生み出している同調圧力に対して、自分自身が変わっていく勇気が必要なだけです。

戦うもよし、逃げるもよし。同調圧力がない世界はいくらでもあります。そのような場所を自分のベースにして、どんどん自分の頭で考えて再定義しながら、前に進んでいってください。

プロフィール

澤円(さわ・まどか)

株式会社圓窓代表

株式会社圓窓代表。武蔵野大学専任教員。元・日本マイクロソフト株式会社業務執行役員。マイクロソフトテクノロジーセンター長などを歴任。
現在は、プレゼンテーション、コミュニケーション、グローバル人材育成を中心に講演・研修・メンタリングを行い、大手企業の顧問やスタートアップ企業のメンターとしても活躍。著書に『メタ思考』(大和書房)『The Giver 人を動かす方程式』(文藝春秋)などがある。

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