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13歳・人生の選択、父は息子とどう向き合うか

鷲田小彌太(札幌大学名誉教授/哲学者)

2013年06月04日 公開 2024年12月16日 更新

『父は息子とどう向き合うか』より》

息子にいうべきこと、いってはならないこと

 いってはならない言葉がある。とくに息子には、だ。

 1 「オレの給料で食わしてやっているのだ」
 妻に向かっていってはならない夫の言葉だ。

 2 「父さんのようになりたくなかったら、もっと勉強しなさい!」
 息子に向かっていってはならない母親の言葉だ。

 3 「おれはこんなに頑張っている。おまえはなんだ!」
 父親が息子に向かっていってはならない言葉はたくさんあるが、これなどもその1つだろう。
  

 たかが言葉じゃないか、というかもしれない。そうではないのだ。

 行為(doing)は、試行錯誤に陥っても、再挑戦し、行為で訂正できる。だが口から飛び出た言葉には、どんなに打ち消しても、たとえ行為で訂正しても、消えないものがある。

 その言葉がまったく事実に反する「虚言」だからではない。逆なのだ。動かし難い事実を語る言葉だからだ。しかしそれをいっちゃおしまいよ、というように、関係性の根本を壊す言葉なのだ。

 夫と妻のいずれが働こうと、夫婦は共同生活(家族)という関係性(共同幻想)のなかにいる。食わす食わさないは、この関係性のなかに入り込んではならない。共同の生活である。「夫に稼ぎがないから、離婚したい」と主張しても、認められない。妻が稼げばいいからだ。

 なにをするのでもない。「ながら族」そのままに、1日をぼーっと過ごしているように見える息子に、少しはきついことをいってやりたい。「おれ(の精勤)に比べて、おまえ(の怠惰)はなんだ」という非難はどんなに正解でも、息子に「父さんだって、たいしたことをやっているわけじゃないじゃないか」という反感しか生まない。

 しかも禁句ともいえるこれらの言葉は、なんの気なしに口から飛び出す類のものである。しかも腹のなかにある言葉だ。

 

息子に、自分が果たせなかった「夢」を託さない

 1 どんなに才ある父親でも、自分より才ある(と思える)息子に、自分の「夢」を託そうとすると、とんでもないことになる。

 ジョン・スチュアート・ミル(1806~73)は経済学(『経済学原理』)と哲学(『論理学体系』)の双方で大きな仕事をした。父親も著名な経済学者で、息子を学校に入れず、自分の手で、3歳でギリシア語を教えはじめるなど徹底した早期教育をほどこした。

 ミルは13歳で、すでにいっぱしの経済学者を超えるような知力を発揮し、ジャーナリズムや実業界でも注目を浴びた。しかし20歳を過ぎたころから、何事にも喜びを感じなくなるという「精神の危機」に襲われ、無為のなかで過ごすことが20代後半まで続いたのである。

 父親の早期教育、それも父親が教師となっての教育は、二重の意味で無理(強い)である。加重のストレスをかけることだ。

 その上、父親の「ようになってほしい」、父親を「超えるような人物になれ」という有形無形の親心が、息子を蝕んで苦しめた、もっとも顕著なケースだろう。

 ミルのような天才において然りである。その危機をなんとか乗り越えることができたのは、ミルの才能というより、「幸運」(偶然)ゆえだろう。

 2 中途半端に優れた父親は、自分が中途で諦めざるをえなかった「夢」を息子に託そうとする。ほとんどの分野で「成功」する例は稀の稀にしかない。

 3 見栄えのしない父親は、自分が懐いた淡い「夢」を息子に託しても、無駄かつ無理である。
  

 しかしおれの分身である。わたしのできなかったことを、子のおまえに託したい。こういう気持ちをどうやって「消すこと」ができるのか。

 1 時がたてばおのずと消えてゆく。ほとんどは、遅くても息子が20歳にならないうちに消えてゆく。だから放っておくのがいいのだ。それでもDNAだけは残る。

 2 父がやり残した「志」を受け継ぎたい、などという息子の言葉を信用する必要はない。もちろん、否定する必要もないが。

 3 決定的なのは、息子は息子の「夢」、自己本位の夢をもって生きることだろう。誰であれ、それを阻む理由なぞない世の中になった。
   

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