全員の意見が揃わず、なかなか会議が進まない…ということはありませんか?台湾のデジタル担当大臣にも抜擢された「若き天才」オードリー・タンは、会議では「完璧な合意」を求めずに「大まかな合意」を目的にすることで会議がスムーズに進むと言います。それはなぜか、また、その「大まかな合意」を形成するためにどうすれば良いかについて解説します。
※本稿は『オードリー・タン 私はこう思考する』(かんき出版)より一部を抜粋編集したものです。
最初から完璧でなくても「十分満足」なら実行に移していい
オードリーの会議では、毎回必ず前回の議論に基づいて話し合いを始め、最後は全員が「大まかな合意」に達することを目指す。
会議の目的が「大まかな合意」なのはなぜだろうか?なぜ「完璧な合意」を求めないのだろうか?
オードリーから返ってきたのは哲学的な答えだった。
「『完璧』は『十分』の敵です」
みんなが十分に満足だと思える大まかな合意に達しているのに、無理にでも「完璧」な意見を出そうとすることは、「十分」なアイデアに敵対することを意味する。
100パーセント満足できなくても、みんなが十分に受け入れられて、誰かの権益を損なうこともないという案があればすぐに実行するべきだ。「完璧」とは、問題を一足飛びに完全に解決できることを意味する。たとえば、そのアイデアが10年後に最善の策になるとわかっていたら、10年後ではなく今すぐにそのアイデアを実行し、2カ月後には期待どおりの結果が出ているか確認したくなる。
この「完璧を求めて必死になる」状態について、オードリーはその心持ち自体は決して悪いものではないと考えている。しかし、一足飛びに百点満点の結果を出してしまったら、周囲の人は結果を褒めたたえることしかできず、そこから何も学びとれない。
また、その優れたアイデアが10年後にようやく認められるものであり、現在の環境や人員で一気に実現することが不可能だとしたら、選択肢は二つしかない。一つは、アイデアを固持し、10年後に結果が出るまで、耐えがたい不遇や挫折を味わい続けること。もう一つは、「十分」な合意を受け入れて実行に移すこと。
現時点では完璧ではなくても、10年後には「より優れた」結果が出ているはずだ。「10年後によりよい結果が出るという点で、二つの選択に違いはありません。違うのは自分の感覚だけです」
合意を出発点とすれば物事が前に進む
一方、別の側面もある。「十分」なアイデアは、大まかな合意のもと現在目の前にある問題を解決できる。しかし「完璧」なアイデアは、そのレベルまで到達する必要があることを意味し、より多くの人手と時間をかけなければ実現できない。
「十分」ではなく「完璧」にこだわって現在の問題を解決しようとしても、合意に達していないことによる不満が生まれ、物事が前に進まない。「十分に受け入れられる」合意を出発点とし、少しずつ共通の経験を蓄積していくことで、物事が持続的に進展し、「十分」よりもさらに優れた結果を生み出すことができる。
近年、新たに生まれた職業であるeスポーツ選手を例に挙げてみよう。政府で議論を始めた当初、この業界をどの部門の管理下に置くべきかわからず、誰もが既存の枠組みに当てはめて考えようとした。教育部は「eスポーツは体育に該当せず、文化活動に属する」と考えたが、文化部は「伝統技能には該当しないため、経済部で管理すきだ」と考えた。
だが経済部は「自分たちが管理するのはゲーム機本体などのハードや設備だけで、選手は管理しない。だから教育部が管理すべきだ」と主張した。
そのときにオードリーが用いたのが「焦点討論法(ORID)」と呼ばれる手法だ。まずeスポーツ選手に、これまでにぶつかった問題や個人的なエピソード、成長を感じた経験などを自由に語ってもらい、文字起こししたものを公開して、各部門の担当者に見てもらう。
各部門の担当者の発言の文字起こしは、10日間は本人によって編集可能な状態にしておく。会議当日の発言に不正確な点があっても、修正や補足ができるようにするためだ。10日後、すべての会議記録をネット上に公開し、誰でも見られるようにした。
建設的な意見が出てくるのを待つ
会議記録が公開されると、さまざまなポータルサイトやオンラインコミュニティに集うネットユーザーたちが議論を始めた。最初のうちは個人攻撃などの理性的でない行為も見られたものの、コメントが一定数に達したころから徐々に建設的な意見も出始める。
台湾には「専業五楼」というネットスラングがある。4つ目のコメントまでは感情的なものが多いが、5つ目には専門家による知的な意見が出され、そこから議論が深まるというものだ。
続いて開かれた行政院の会議では、感情的なコメントはすべて削除し、「専業五楼」の意見だけを伝えた。
「今どきは囲碁すらネット上での対戦が行われている。だから私は棋士もeスポーツの選手だと考える」「バスケットボール選手にも代替役(だいたいえき:兵役に代わり特定の業務に従事すること)が認められているのだから、eスポーツ選手もそれにならうべきだ。文化部がそれを許すなら、だが」「教育部は新しい取り組みで教育課程の改革を進めている。eスポーツの専門学部を作ってもいいはずだ」といった外部の意見を取り入れることで、公務員たちに新たな視点を与え、凝り固まった思考をほぐすことに成功した。eスポーツ選手にも棋士と同等の権利が与えられるべきだという声があがるようになった。
一方で、公開された記録を見たネットユーザーたちも、自分たちの意見が受け入れられたことを喜び、感情的な発言を垂れ流すよりも行政院の問題解決を応援したいと思うようになった。「騒ぐ子どもに飴を与えて黙らせる」より、「台所へ招き入れて一緒に飴を作る」ほうがいい。各部門と外部の一般市民が会議に参与し、実行可能な方法を共に探っていった。
その後、eスポーツに関する議題は4回の会議を経て大まかな合意に達し、三つの部門で政策が実行されることになった。オードリーは語る。
「この結果は私がもたらしたものではありません。生活も考えも異なる人々を客観的に結びつけ、その考えが一定の融合に達したため、成功したのです」
会議はすべて文字起こしで記録する
「大まかな合意」を形成する過程で、重要な点が一つあるとオードリーは強調する。それは、会議のたびに詳細な記録をとることだ。次回の会議では、前回の記録にある結論をもとに、より踏み込んだ議論をすることができる。
2016年に入閣した際に提示した条件の一つが、自分が開く会議の内容をすべて公開することだった。動画があれば動画を、なければ文字起こし原稿を公開する。完全な記録が残っていれば、前回と同じ議論を繰り返すことはなくなり、新しい建設的な議論へとつなげていくことができる。記録が残っていなければ前回の発言を覆す人が出てきて、議論が後戻りしかねない。
詳細な記録がなければ、前回すでに否決された提案が忘れられ、次回の会議で再び議論されるという事態も起こり得る。そうなると前回の会議はまったくの無駄になり、コストもかさんでいく。
また、会議が終わったあとには作成した文字起こし原稿を会議の参加者に送り、10日間で修正や補足をしてもらう。議事録の完成度を高める目的のほかに、文字起こしを読むことで参加者に自分の発言を改めて確認してもらい、次回の会議で同じ提案を繰り返させないというねらいもある。
ORIDは通常、グループ内のコミュニケーションに対して用いるものだ。しかし、長い間意識的に用いていると、いつしか、まるで本能のように自然に反応できるようになっていく。相手の感情がどんな状態であっても、問いかけによって基礎的な事実を確認し、「感情」から「事実」へと相手の意識を引き戻すことができる。
一対一のコミュニケーションにも生かせる
2022年5月、新型コロナウイルスの流行が深刻だった時期に、オードリーは急遽、「陽性者管理システム」を構築する必要に迫られた。既存の通報システムが不安定で、リアルタイムで反映されないという問題を解決するためだ。緊急事態のため、短時間で完成させなくてはならなかった。あるメディアに「負担が大きいのでは?」と問われ、こう答えた。「マシンの負担は大きいですが、設備の増強で対応できます。人間はさほどではありません」
ユーモアを交えた回答で、感情面にばかり焦点が合いがちな一般市民の意識を、目の前の事実に向けさせることに成功した。
ORIDはグループ内のみならず、一対一のコミュニケーションにも生かすことができる。特に、相手が強く意見を主張するときには言葉にはしないものの、「事実を認めたくない」という強い感情が隠されていることがある。「そういうときには、正しいか間違っているかを議論する必要はありません。『そこまで強く主張するのは、なんらかの事実に気づいたからではありませんか?その事実を共有してもらえませんか?』と尋ねればいいのです」
ネット上の誹謗中傷への対応にもORIDは使える。かつて、心ないネットユーザーがオードリーの髪形を「100年くらい時代遅れだ」とけなしたことがあった。オードリーの対応はまさに客観的事実に焦点を当て、理性を取り戻させる手法だった。「ご意見に感謝します。コロナ対応のため『好剪才(オードリー行きつけの美容院)』に行く暇がなかったのです。来週、髪を切ってきます」