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- 連載小説「NY襲撃」 第一章・過去を引きずる者たち【4】 高嶋哲夫
SP・明日香が次に護るのはNY!?「襲撃」シリーズ第三弾。
3
キャビンアテンダントに案内されて、ビジネスクラスまで行った。
窓際にゆったりしたシートが並んでいる。
「ビジネスクラスなんですか。ファーストクラスじゃなくて」
「これでも有り難いわよ。今は、私は一市民なの」
新崎(しんざき)が当然でしょうという顔で言う。
明日香(あすか)が麻衣子(まいこ)を見ると、肩をすくめ背後のシートに目を向けた。私はここ、という意味か。
「でも、前総理の公務です。私たちは公務に同伴する警護官」
新崎は意に介さないという風に振る舞っている。
「窓際に座りなさい。十三時間のフライトよ。私を見てるより、雄大な自然を鑑賞して。世界はつながっている。地球は広いようで狭い。この感覚、日本人には必要なこと。特に若い人には」
新崎はそう言って通路側の椅子に座り込んだ。
「そんな余裕はありません。仕事で行くんです」
「もっとリラックスして。アメリカ旅行を楽しむくらいにね」
「私にとっては初めての外国での仕事です。失敗は許されません」
「分からなくもないけど、私とあなた、世界にとって有用なのは、間違いなくあなたよ。あなたと私は三回りほど違う。これからの社会の未来の貢献度は、あなたの方が断然上」
「そういう考えは先生らしくない」
「でもそれは事実。あなたも心の中では分かっているはず」
明日香は答えられなかった。何を言おうと反論され、言い含められる。
「あなたは窓際の席。私は通路側。トイレに近い方が安心なの」
新崎はふうと息を吐いた。
「話し相手がほしかったのよ。この歳になると、十三時間以上も寝ることは難しいから」
そう言えば、二年以上の付き合いになるが、プライベートなことはほぼ知らない。
「対象者の現在の交友関係、警護に必要なことは知っておくように。しかし、警護対象のプライベートには深く踏み込むな。色んな意味で最後の決断に影響する」
高見沢(たかみざわ)の言葉だ。聞いた時は矛盾に満ちた言葉だと思ったが、今になって、分かる気がする。しかし、エリーゼについては別だ。エリーゼの中には母マリナが生きている。彼女は何があっても、私が護る。
「あなた、アメリカは初めてなの」
「ハワイは一度行った事があります。学生時代に。語学研修です。ふた月滞在しました」
「なるほど。でも大したものね。ふた月でそれだけ聞き取れて、喋れれば」
「商社志望だったので、語学には力を入れていました」
「どうして警察官に」
「色々ありました。最大の理由は、第一志望に落ちたことです」
「警察官は滑り止めか」
「それだけではないんですが――」
明日香は言葉を濁した。
「新崎総理は――いえ、新崎先生はなぜ政治家になったんですか」
「似たようなことよ」
「第一志望に落ちたからですか」
「私の場合は大学。医学部に落ちて、法学部に通った。両親は地方都市のサラリーマンで、三人兄弟。浪人する余裕はなかったの。早く大学を出て、就職するしかなかった」
「就職先が政治家ですか」
「指導教授の友達が政治家だった。頻繁に研究室に来てた。その人の影響かな。でも当選するまでに十二年かかった。議員秘書や、フリーのライターをやりながらね。私はタナボタ議員」
勢いに乗った政党の比例議員だ。比例順位下位に名前があっても、通るときには通る。
明日香は新崎のデスクにあった写真を思い浮かべた。新崎より二回り以上、歳上の男が二人写っていた。たしか、一人は議員バッチを付けていた。
「人の運命なんて、何げないことで決まるのよね」
確かにその通りだ。明日香はここ数年のことを思い浮かべた。人生を変えるべきことが続けて起こった。
「じゃあ、私は寝るから静かにしててね」
新崎はそう言うと目を閉じた。
明日香はぼんやり新崎の顔を見つめていた。威勢のいい言葉とは裏腹に、疲れの滲んだ顔だ。ムリもないと思う。この二年間、新崎にとっては生死の境を駆け抜けてきたのだ。その結果、右目の視力を失い、右半身が麻痺した身体になった。
集中しろ。明日香は自分自身に言い聞かせた。
やがて機内放送が離陸を告げ、飛行機は静かに動き始めた。
機体は高度を保ち、夜と昼の境界を縫うように進んでいく。
成田国際空港を離れてから、時間の感覚はすでに曖昧になっている。
窓の外には、雲の海が広がる。やがてその下に、荒々しい大地の輪郭が浮かび上がる。カムチャツカ半島だ。火山の影が長く伸び、雪をまとった稜線が無言のまま連なっている。
さらに北へ。シベリアの白い風景が続き、やがてそれは暗い森へと変わる。日本上空を出て、ロシアからカナダ、アメリカへ。国境という線は見えない。ただ、大地だけが延々と続いている。
明日香は目を閉じた。眠ろうとするが眠れない。機内の静けさが、かえって思考を際立たせる。過去と、これから向かう場所が、交互に浮かんでは消える。
景色が再び変わった。カナダの湖が光を照り返し、その先に、整然とした人工の光と線が現れる。アメリカ合衆国だ。地球の半分をなぞる距離を、約十三時間のフライトがひとつの軌跡で結ぶ。
それでも少しは眠ったらしい。気が付くと、新崎が明日香の方を見ている。慌てて身体を起こした。
「若いっていいわね。結構ぐっすり眠ってた」
新崎が笑いながら言う。反論は出来なかった。ここ二日間は準備でほとんど眠っていない。疲れには勝てないということか。
やがて、アナウンスが流れ始めた。機体はゆっくりと降下を始める。
窓の外に、複雑に交差した高速道路が続いている。滑走路の光が一直線に並び、その先に影のような機体が動いているのが見える。
タイヤが地面に触れる短い衝撃が伝わる。ワシントン・ダレス国際空港だ。
乗務員に助けられて飛行機を降りると、二人の日本大使館の職員とアメリカ政府の役人が待っていた。
「私は日本大使館の一等書記官の宮本正人(みやもとまさと)です」
年輩の男が新崎の前に来て頭を下げた。
「アメリカのSPの方たちは」
「何のことですか」
聞いていないのか。横田はアメリカ入国後は、ホワイトハウスのシークレットサービスも警護に加わると言っていた。
「早く入国手続きを済ませて、車に移動してください」
こんな所で立ち話は出来ない。
宮本に導かれ、特別室で入国手続きを受けると、空港出口に案内された。
明日香は麻衣子が押す車椅子の背後について歩いた。
空港ビルを出ると、黒塗りの大型車が待っている。明日香は辺りを見回し、車を見てわずかに眉をしかめた。
「申し訳ないが、この車は防弾車じゃないですから」
宮本が明日香の横に来て、危惧に応えるように囁く。
「日本の前総理大臣がアメリカで狙われるという発想がないですからね。しかし今回は――」
「十分承知していますが、すべてが国費で運営されているので」
皮肉を込めて言う明日香の言葉を宮本が遮る。
「我々も去年の東京でのテロ事件は驚きました。世界観を変えたと言っていいくらいです。当然、二年前の官邸占拠事件、東京の爆破事件は、アメリカでも大騒ぎでした。何かあればオンタイムで世界に広がる時代ですから」
宮本は言い訳がましく言う。
空港を出るとすぐに、車は市内への専用道路、ⅤA-267、ダレス・アクセスロードへ向かった。高速道路I-66へ入ると、車の流れは少しずつ増え、都市の気配が濃くなっていく。そして、ポトマック川へと出ると、市街地が広がっている。
橋を渡ると、景色が一変する。遠くに白く細い塔、ワシントン記念塔が空を突き刺すように立ち、その向こうには歴史の重みを感じさせる建物群が広がっていた。
町に入ると、道路は一気に整然とした碁盤の目に変わる。政府機関の建物が並び、石造りの重厚な雰囲気を感じる。どこか静かな緊張感が漂っている。
やがて車はEストリート付近へと滑り込む。その先にあるのは、世界の政治の中心、ホワイトハウスだ。
「何度見ても感動する。アメリカ建国の歴史が刻まれている。自由と平等の象徴」
新崎は言ってから軽いため息をついた。
「首都はどこでも同じ。だけど、理念と現実は大きく違う。あなたもそう思っているんでしょ」
「政治的な発言は控えます」
「そんなに硬くならないで。すべてここだけの話だから」
新崎は言った。
「日本には国会議事堂があります。戦争に遭いながらも今の姿を保っています」
「国会は何を象徴しているのか知ってる?」
新崎は明日香を見ている。明日香は答えることが出来なかった。考えたことすらなかった。
「私も知らない。日本には理念がない。とくに政治的な理念はね。でもそれって、最高に幸せなのかもしれない」
確かに自由とか平等とかを、深く考えたことがない。子どものときから当然のこととして、受け入れている国だ。しかし世界の多くの国は、それらを血と涙の結晶として手に入れている。
「考える必要がないほどに当たり前のモノとして存在している」
新崎が現役の時、静かな夜などは寝るのがもったいないと、度々明日香に一方的に話したことがあった。もっと勉強しろということなのかもしれない。
4
車はワシントンD.C.の郊外に入っていった。
「道が違う。ホテルに行くんでしょ。何が起こってるの」
突然、明日香が運転手に声を上げる。右手は腰の拳銃を握っている。
「落ち着いて。どうしても行かなければならないところがあるの」
返事をしたのは新崎だった。
「ホテルに直行して」
「私の話を聞きなさい」
「ダメです。何が起こるか分かりません」
明日香はためらいなく、断固とした口調で言う。
「私はもう民間人よ。誰からも制約されません。たとえ、あなたの指示であっても」
新崎が睨(にら)むような目で明日香を見ている。
「私は公務員です。政府から命じられています。先生を警護するようにと」
「私が誰に狙われるというの」
「新崎先生は前日本国総理大臣。新崎先生は要人に違いありません。十分殺害する価値があります」
明日香は言い切った。新崎は毅然とした顔で明日香を見ている。
「ハッキリ言うのね。殺害する価値だなんて。でも、有り難う。変な気持ちだけど、嬉しいわ。私にも価値があると言われると」
「だから自制してください」
「それとこれは話は別」
新崎の口調は今までになく強い決意を感じさせる。思わず、明日香は視線を外した。
車のスピードが落ちた。
「止まらないで」
「どうしろというんです。決めてください」
明日香の声に運転手が泣きそうな声を上げる。
「行けばいいのよ。私の命令」
新崎はポケットから折り畳んだ札を出して明日香に渡した。五ドル紙幣だ。
「裏を見てごらんなさい」
石造りの荘厳な建物だ。中央に座っているのは――。
「リンカーン記念堂よ」
「写真で見たことがあります。リンカーンがイスに座っている像があるんですね。正面にはワシントン記念塔が見える。その間にはプールがあるんですね」
「エイブラハム・リンカーンは奴隷解放のために戦いました。私は自由の象徴だと信じています。ケネディ大統領はそれを平等にまで押し上げた。公民権運動よ」
新崎は自分自身に言い聞かせるように、一語一語ゆっくりと、明日香に話した。このように生き生きと話す新崎は久し振りだ。明日香は腰の拳銃から手を離した。
「自由と平等。人間にとって最も重要な概念だと信じている。でも、日本にはそれらが溢れすぎてる。だから当然だと思ってる。その大切さを認識していない。それを得るために、いかに多くの日本人が死んでいったかには、無頓着。でも現在も、世界にはその欠片さえ持てない人々が多く存在している」
明日香は腹を決め、辺りに視線を向けながら新崎の言葉を聞いていた。
車は記念堂の駐車場に止まった。
麻衣子が新崎の車椅子を押した。明日香は車椅子と並んで歩いた。
リンカーン記念堂は、ワシントンD.C.によくある建物とは少し違い、古代ギリシャの神殿のような形をしている。建物のまわりには大きな柱が三十六本あり、これは当時のアメリカの州の数を表す。
中にはリンカーン大統領の大きな像があり、壁には有名な「人民のための政治」の言葉が刻まれている。
外に出ると、前にはリフレクション・プールという大きな池があり、晴れた日には空やワシントン記念塔がきれいに映る。
「あなた、マリアン・アンダーソンのことは知ってる?」
新崎は銅像に目を向けたまま言った。
「初めて聞く名前です」
新崎は明日香に向き直り、大げさにため息をついた。
「一九三九年に歌手のマリアン・アンダーソンが、自身の肌の色を理由にD.C.にあるDARコンスティテューション・ホールでのコンサートを拒否される事件が起きた」
「彼女は黒人だったわけですね」
「そう。で、当時の大統領夫人、エレノア・ルーズベルトは急遽マリアンのコンサートをリンカーン記念堂の階段から出来るよう手配したの。その結果、アメリカ全土から実に七万人もの人が押し寄せるコンサートとなったのよ」
新崎は視線を正面に向けた。明日香は新崎から目を逸らせた。新崎の目は涙で潤(うる)んでいるように見える。
「じゃ、マーティン・ルーサー・キングは」
新崎が改まった口調で聞く。
「知っています」
「ホッとする。でも、良く知ってたわね」
「警護官になるときに本を読みました。暗殺された人でしょ」
新崎は明日香を見て、肩をすくめた。
「大丈夫です。〈私には夢がある〉で有名な人ですね。そのくらい知っています」
明日香はわざとらしい笑みを浮かべ、新崎に視線を向けた。
「Freeatlast!Freeatlast!ThankGodAlmighty,wearefreeatlast!最期の一節ですね。ついに自由になった!ついに自由になった!全能の神よ、感謝します、私たちはついに自由になったのです!神への感謝と力強い自由の宣言です。長きにわたる苦難の末に手に入れた自由の喜びと、神への深い感謝が込められた言葉です」
新崎が左手を後ろに回し、明日香の手を軽くつかんだ。
「正面の階段を昇ると足元に〈IHaveaDream〉と彫られた場所がある。多くの人がこの言葉に聞き覚えがあるでしょう。キング牧師が演説で語ったフレーズよ」
一九六三年八月二十八日、キング牧師は「ワシントン大行進」と呼ばれるデモの際に、リンカーン記念堂の正面階段で人種差別に反対する演説を行った。アメリカで最も大規模な政治集会の一つとして知られ、アメリカ公民権の獲得を訴えるワシントン大行進が行われた。それを記念して正面階段には、この文字が刻まれている。
「御覧なさい。あなたは今、キング牧師が見た景色と同じ景色を見ているの」
新崎は視線を正面に向けて自分自身に言い聞かせるように言う。リンカーンとキング牧師――新崎にとっては特別な人なのだろう。
「記念堂前にある階段に印がついているタイルがあるでしょ」
「はい。ありますね」
新崎は自分で車椅子を階段に進めた。明日香は慌てて車椅子の背をつかんだ。足元には確かに言葉が刻まれている。
「ここはキング牧師が演説の時、立っていた場所なのよ」
新崎の感慨深い声がする。
「私をそこに立たせて」
一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、明日香は新崎を支えて車椅子から降ろそうとした。
横を通りかかったスーツ姿の二人の男が新崎を支えた。二人とも三十代前半、一人は日本人だ。
明日香は警棒を抜いて男の頭に突き付けた。
「一撃で頭の骨を砕くことができる。だから動かないで」
明日香は最初英語で、次に日本語で言う。
「あなたは何者。拳銃を持ってるでしょ」
腰のベルトに拳銃が見える。
「シークレットサービスのノブオ・ハヤマです」
流ちょうな日本語で言うと、上げた手をゆっくりと降ろし、身分証を明日香に見せた。確かにシークレットサービスだ。
「ずっとあとを付けてきていた黒い車もシークレットサービスなのね」
「気付いていましたか」
「驚いた。日本人かと思った。日本語がうまいのね」
明日香は答えず言う。
「日系四世です。昭和の初めに三代前の祖父がカリフォルニアに来ました」
「日本にいたことがあるの」
「一度もありません。でも、家ではほとんどが日本語でした。お爺ちゃんが元気でしたから。外では極力英語でした」
「アルフレッド大統領も少しは気にかけてくれているのね。あなたを警護につけてくれるとは」
明日香は皮肉交じりに言う。
「我々はホテルまで追走します。以後はご自由に」
ハヤマは一歩後ろに下がった。
新崎は三十分近く、リンカーン記念堂に滞在して、駐車場に戻った。
「行ってちょうだい」
新崎が運転手に告げた。運転手はチラリと明日香を見て肩をすくめると、車をスタートさせた。新崎は事前に運転手に行き先を知らせているのだ。明日香に告げなかったのは、反対されるのが分かっているからだ。
「勝手なことはやめてください」
明日香は振り向いて思わず声を出した。車がホテルを通りすぎて、通りに入ったのだ。新崎は平気な顔をしてシートに身を沈めている。
「もっと力を抜いてリラックスして。私がここにいるなんてことは誰も知らない」
右手にホワイトハウスが見えてきた。
その前に数十人の団体が見える。老若男女、まさに多様性満点の人たちが手作りのプラカードを持って歩いている。
「デモをやっているグループが二組いるでしょ。大統領への賛成派と反対派。彼らを見てどう思う」
「ある意味、楽しそうですね。天気はいいし、みんなのんびりしています」
明日香は周囲に目を配りながら言う。
「テロリストには見えないでしょ。これがアメリカ、多様性の国なのよ」
車はスピードを落とし、止まった。二組のデモ隊が前を通りすぎていく。
お婆さんが車を覗き込んでくる。
「止まらないで。スピードを上げて」
明日香は鋭い声で言う。
車はホテルのあるジョージタウンに向かった。
ジョージタウンは洗練された静けさを保っていた。石畳に沿って並ぶ低層の建物、控えめな灯り、川から上がってくる風。その一角に宿泊予定のホテルはあった。フォー・シーズンズ・ホテル・ワシントンDCだ。ホワイトハウスは車で十五分ほどのところにある。
表通りからわずかに奥まったその位置は、視線を避け、動線を絞るために計算されている。出入口は限られ、裏動線も完全に管理されている。警護にとって、「守りやすいホテル」だった。
ロビーの照明は柔らかい。だがその穏やかさの裏で、見えない緊張が漂っていた。エレベーター前に立つ二人の男は無言で、しかし視線は常にフロア全体に動いている。客の出入りは制限されていた。







