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平安遷都はエネルギー問題だった!―地形で解く日本史の謎

竹村公太郎(元国土交通省河川局長/リバーフロント研究所研究参与)

2014年01月31日 公開 2024年12月16日 更新

平安遷都はエネルギー問題だった!―地形で解く日本史の謎

PHP文庫『日本史の謎は「地形」で解ける』より

 

謎の平安遷都

 794年、桓武天皇は奈良盆地を出て京都へ遷都した。
 4世紀頃、畿内の豪族が連合して大和に統一政権を誕生させて以降、約400年間、権力の中枢と文化の中心は奈良盆地にあった。大坂の難波京や大津の近江京に政治中枢が移転したことはあった。しかし、それらは一時的であり、あくまで都は一貫して奈良盆地であった。
 6世紀末に飛鳥京、694年に藤原京、710年に平城京が奈良盆地に次々と建設されていった。奈良盆地は日本文明を生んだ母なる盆地となった。
 桓武天皇は、この母なる奈良盆地から出ていく決断をした。
 この遷都は本格的でかつ徹底していた。784年にまず淀川のほとりの長岡京に遷都し、さらに10年後、長岡京から平安京へと移った。
 朝廷や貴族たちはもちろん官人、工人そして一般庶民のすべてが移動した。さらに宮廷の建材、瓦、内装装飾品は解体され持ち出された。奈良盆地には一部の寺社と農民以外は何も残らなかった。
 それ以降の日本史は、琵琶湖-京都-大坂の淀川軸で華々しく展開されていった。
 この奈良から京都への遷都には、未だに謎が横たわっている。
 「桓武天皇が遷都した理由は何か?」である。
 平安京への遷都の理由は、歴史家の間でも諸説ある。
 1つは、道鏡をはじめとする仏教の影響力から遠ざかるため。
 1つは、桓武天皇は天智天皇系だったので、天武天皇系の奈良から離れるため。
 1つは、藤原一族などの在来貴族の影響を遠ざけるため、などである。
 歴史の専門家は文系である。そのため歴史の解釈は政治、経済、宗教など人文社会的なものとなっていく。人文解釈は実に多様であり、決め手がないまま果てしなく論議が続いていく。そのため謎は謎として、いつまでも残されてしまう。
 私の歴史解釈は、地形、気象、インフラの下部構造からのアプローチを取っていく。
 今回も同様である。つまり、奈良盆地が都に選ばれたのも、その後、奈良から脱出し京都へ遷都したのも、その原因は「奈良盆地の地勢」にあったと考えている。
 

奈良盆地が都になる必然

 21世紀の現在の地形から見ると「なぜ、奈良盆地が都になったのか?」が理解できない。
 ともかく奈良盆地は大阪湾から離れていて内陸に入っている。さらに360度周囲は山で、他の土地との連絡も悪い。奈良はどこから見ても交通の要所とはいえない。
 歴史の楽しみは、タイムトンネルを抜けて、当時の人々の気持ちになり、彼らの時間を追体験していくことである。
 地形や地理に関しても同じである。現在の地形で歴史を考えると間違いを犯す。地形も時間と共に変化する。そのため地形もタイムトンネルを抜けなければならない。そして、当時の地形の上に立たなければならない。
 なぜ奈良が日本最初の首都になったかを3~4世紀の地形の上に立ちシミュレーションしてみよう。
 今の大阪平野は、当時は湿地帯であった。大坂湾は上町台地を回り込み内陸の奥まで入り込んでいた。
 また、今の大和川は堺市へ流れている。しかし、奈良時代の大和川は奈良盆地を出ると向きを北に変え、大坂湾に流れ出ていた。堺へ流れている今の大和川は、江戸時代に掘られた人工の水路なのだ。
 奈良が都になる4世紀頃、大坂平野の奥まで海と川が混じる湿地帯が広がっていた。まさに河内と呼ばれた地であった。
 船で瀬戸内海から大坂湾に入り、上町台地を回り込み、大和川を遡ると生駒山、金剛山の麓まで行くことができた。中国大陸から生駒山麓の柏原市まで直接舟で行けたのだ。柏原で小舟に乗り換え生駒山と金剛山の間の亀の瀬を越えると、もうすぐそこは奈良盆地であった。
 この奈良盆地には、大きな湿地湖が広がっていた。その湿地湖を利用すれば奈良盆地のどこにでも舟で簡単に行くことができた。
 奈良盆地全体が、大坂湾の荒波を避ける穏やかな自然の内港のようであった。
 舟を利用すれば奈良盆地は便利がよく、ユーラシア大陸との連絡も容易であった。
 奈良盆地が日本の都になったのは、地形から見て合理的であった。
 しかし、この奈良盆地を抱える大和川流域はいかにも小さい。348ページの図では豆粒ほどだ。
 川の流域が小さいということは、資源が少ないということであった。
 川の流域が支配する資源は「水」と「森林」であり、水は生命の源で、森林はエネルギーの源である。大和川の流域の小さい奈良盆地は、この「水」と「森林」に限度があった。

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変貌した奈良盆地

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