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平安遷都はエネルギー問題だった!―地形で解く日本史の謎

竹村公太郎(元国土交通省河川局長/リバーフロント研究所研究参与)

2014年01月31日 公開 2023年01月11日 更新

変貌した奈良盆地

 生物の中で人間だけが燃料がなければ生きていけない。文明の誕生と発展にとって燃料すなわちエネルギーは絶対的なインフラであった。19世紀に石炭と出会うまで日本文明のエネルギーは木であった。
 エネルギーだけではない。日本の寺社、住居、橋、舟など、構造物はすべて木造であった。モンスーン地帯の日本は森林が豊かであり、木材は潤沢に手に入った。エネルギーであり資源となった森林は日本文明存続の大前提であった。
 故・岸俊男氏(奈良県立橿原考古学研究所長)の推定では、平城京内外に10万から15万の人々が生活していたという。
 また、作家の石川英輔氏によれば燃料、建築などで使用する木材は、江戸時代で1人当たり1年間で20~30本の立木に相当する量であったという。
 奈良時代でも1人当たり最低10本の立木は必要であったと推定すると、奈良盆地で年間100万から150万本の立木が必要となる。いくら日本の木々の生育が良いといっても限度がある。毎年毎年100万本以上の立木を伐採していたのではたまらない。その量は小さな大和川流域の森林再生能力をはるかに超えていた。
 森林伐採がその再生能力を超えれば、山は荒廃する。
 荒廃した山に囲まれた盆地は、極めて厄介で危険である。荒廃した山では保水能力が失われ、沢水や湧水が枯渇し、清潔な飲み水が消失していく。
 また、雨のたびに山の土砂が流出し、盆地中央の湿地湖は土砂で埋まり奈良盆地の水はけは悪化していく。
 水はけが悪くなれば、生活汚水は盆地内でよどみ不衛生な環境となり、さまざまな疫病が蔓延していく。また、水はけが悪ければ雨のたびに水が溢れ、住居や田畑が浸水してしまう。
 桓武天皇がこの奈良盆地を脱出し、大和川より何倍も大きく「水」と「森」が豊かな淀川流域の京都に遷都したのは当然であった。
 現在、奈良盆地の周囲の山々は見事な緑となっている。それは第8章で述べたように、淀川交流軸から外れた奈良盆地は、歴史から忘れ去られていたからである。この忘れ去られた1000年の時間が、奈良の山々を癒してくれたのであった。
 「地勢的に、奈良から京都への遷都は必然であった。あのまま奈良盆地にこだわっていたら、文明は衰退し自滅していった」
 これが、桓武天皇が平安遷都を行った私の解釈である。
 

著者紹介

竹村公太郎(たけむら・こうたろう)
1945年生まれ。横浜市出身。1970年、東北大学工学部土木工学科修士課程修了。同年、建設省入省。以来、主にダム・河川事業を担当し、近畿地方建設局長、河川局長などを歴任。2002年、国土交通省退官。現在、リバーフロント研究所研究参与及び日本水フォーラム代表理事。社会資本整備の論客として活躍する一方、地形・気象・下部構造(インフラ)の視点から日本と世界の文明を論じ、注目を集める。著書に、『日本文明の謎を解く』(清流出版)、『土地の文明』『幸運な文明』(以上、PHP研究所)、『本質を見抜くカ――環境・食料・エネルギー』(養老孟司氏との共著/PHP新書)などがある。

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