《特設サイト『松下幸之助.com』今月の「松下幸之助」 より一部を抜粋》
これからの日米関係はどうあるべきか――。
松下幸之助が生きた時代、アメリカは日本にとって、戦勝国であり、目標であり、最重要国家でしたが、松下自身はアメリカをどう視ていたのでしょうか。
太平洋戦争終戦後の日本人にとって、戦勝国アメリカはどんな存在だったか。1950年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による経営上の各種制限がほぼ解かれ、事業に全精力を傾けることが可能になった松下幸之助は、当時の社内報「松下電器時報」にこんな風に書き綴っています。
その後まもなくして、松下は初渡米します(写真:昭和26年、ニューヨーク街頭にて)が、この認識は的を射たものでした。アメリカの繁栄ぶりに、みずからの理想とする社会の姿=「PHP(物心両面の繁栄を通じて平和と幸福を実現)」がおおむね具現化されていると感じたようです。感動と驚きに満ちた体験を松下は社員と共有すべく、現地から日本へ通信。その文面には「光、光、光」と書かれていました。街頭の商品広告が「ネオンよりも電球を多く使い、平面でなく立体的」だと感じ、アメリカの広告技術の素晴らしさに刺激を受けたのでした。また当時のアメリカ国民が「ノウ・ハウ」の重要性を強く認識していることを知り、松下電器にもその文化を根づかせたいと思ったことなども書き記されています。心してみれば万物すべてわが師なりと説いた松下は、アメリカ滞在中もその繁栄ぶりがなぜ生まれたかを自分の眼と頭でとらえ、見定め、そこに日本の生きる道を見いだそうとしたのでしょう。1963年1月のある講演の場では、当時を振りかえり、学び得たこととして、とくに以下の2点を取りあげています。
(1)2度の世界大戦を経ても、アメリカのメーカー(ユニオンカーバイトという会社)の乾電池の売値が、約30年間変わっていない。
→その経営を支えたのは「ダム」経営である。アメリカには需要にこたえるだけの企業の供給設備が豊かにある。「ゆとり」がある。
→日本は需要供給のバランスがうまくとれていない。それはダムが不足しているからだ。
(2)民主主義が一番徹底しているアメリカが、一番繁栄している。
→アメリカのように民主主義になりきったなら、適材が適所に立ちやすい社会になる。各人の特質や能力が生かされ、「ムダ」がなくなり、繁栄が生みだされる。
→封建主義や年功序列などで適材適所が徹底されず、まだまだムダが多い日本は、民主主義の良さを殺してしまっている。
→本来、カネと時間がかからないのが民主主義。民主主義イコール繁栄主義であり、繁栄に結びつく尊いものだという考え方を日本人は根本にもつべきではないか。
そしてこのころ、1960年代はというと、松下電器をはじめ多くの日本企業の海外事業が躍進した時代であり、日本経済が国際社会の一員として、貿易の自由化、開放経済体制に大きく踏みだしたときでした。
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