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石田退三 松下幸之助が尊敬していた男

北康利(作家)

2014年05月22日 公開 2022年10月05日 更新

会うことを勧められてすぐ、幸之助は愛知県豊田市挙母町にあるトヨタの工場へ石田を訪ねていった。

そして少し言葉を交わしただけで、彼は石田の非凡さを感じとった。それは物事の本質を背面まで見とおしてしまうような鋭利さであり、強靭な精神力であった。その圧倒的な迫力に、生まれてはじめて味わう戦慄を覚えた。そのくせ気取らず威張らず、愛想を絶やさない。そして何より私心がない。

(これは怖いお人や。こんなお人が世の中におったんか。こりゃかなわん。もういっぺん勉強のやり直しや)

それが石田の第一印象であったと、後々まで幸之助は一つ話のようにして周囲に語った。

石田は自ら工場を案内してくれた。これがまたすごい。鮮やかな流れ作業が行われていて、どれ1つとっても無駄がない。

「わしは技術のことはわからんから」

そう言って石田は謙遜したが、幸之助は生産方法に関しても兜を脱いだ。そして社に帰ると、すぐさま重役たちを集めてこう命じた。

「君たち、すぐトヨタさんへ行って石田社長の話を聞いてこい。そして工場を見せてもらえ」

この話から、読者はどういった感想を持たれるだろう。

確かに石田退三は素晴らしい経営者に違いない。しかし筆者はこのエピソードから、石田以上に松下幸之助という人物の圧倒的な大きさを感じるのである。

当代随一の名経営者としての名声を得てもなお、幸之助は謙虚に学ぶ姿勢を忘れなかった。石田の卓越した経営センスを見抜き、そこから学ぶべき点が多いと感じるやいなや、すぐに膝を曲げて教えを請うた。

“怖いお人”なのは石田ではなく、松下幸之助その人である。そのたゆまぬ向上心と謙虚さこそが、“神様”と呼ばれるようになった秘密に違いないのだ。

石田に刺激を受け、幸之助の経営に対する姿勢はさらに厳しいものになっていった。そのことを示すのがカーラジオに関するエピソードだ。

昭和30年代後半、貿易自由化による国際競争の激化を背景に、国内自動車メーカーは軒並み価格見直しをはじめ、松下通信工業もカーラジオを納入していたトヨタから価格引き下げを要求された。

「即日5%下げ、向こう半年でさらに15%下げ、合計20%下げていただきたい」

というのが先方の要求だった。利幅は3%しかなかったから、どだい無理な話である。

担当役員は、石田とも親しい幸之助から、こちらの厳しい事情を伝えてもらうことで解決を図ろうと考えた。

ざっと事の次第を聞いた幸之助は、同情してほしげな視線を送る幹部たちを前に、彼らが予想だにしなかった言葉を口にする。

「そもそも3%の利益率とはどういうことや。話にならん。トヨタさんの要求は現状を考えると当然のことや。至急、20%価格を下げても10%儲かるように工夫せぇ」

やぶ蛇とはこのことである。トヨタからの要求を押し返してくれるどころか、逆にもっと厳しい要求を出されてしまい、担当役員は頭を抱えた。

数%のコストカットならやりくりで何とかなる。だがここまでになると、もう発想の転換しかない。そして時代がそれを要求しているのだということに幸之助は気づいたのだ。

トヨタも熾烈な国際競争を生き残っていくために根本的な発想転換をしている。部品を提供している自分たちが、それを傍観していていいはずがない。現場は死に物狂いになってこの課題に取り組み、見事応えた。

幸之助は石田に礼を言ったという。

かくして松下は、カーラジオ年間150億円の販売先であるトヨタ自動車をがっちりつかんだのである。

カーラジオの一件もあって、石田との関係はますます深まっていった。幸之助はトヨタ自動車株を会社と個人の分を合わせて100万株ほど購入し、大阪で行われる決算説明会には欠かさず出席した。

決算の話などすぐ終わる。その後、石田とざっくばらんな意見交換をした。話題は天下国家に広がっていく。幼くして奉公にあがり、厳しい丁稚生活を経てはじめて見えてくる風景というものがある。自分と同じ感性を持つ人間に出会えたことが嬉しくてならなかった。

決算説明会など普通は部長クラスの代理出席がほとんどなのに、トヨタ自動車の大阪での決算説明会だけは軒並み銀行の頭取や大会社の社長が出席し、2人の会話に神妙に耳を傾けたという。

「一番尊敬する人は?」

と尋ねられるたびに、

「石田退三さんです」

と答え、長く友情を温めたが、昭和54年(1979)9月18日、石田退三は幸之助より一足早くこの世を去った。享年90。

長寿だったという点でも2人は共通している。葬儀にあたって幸之助は友人代表を引き受けた。

幸之助は石田の追悼集の中で、

〈私は、兄2人、姉5人の末子として生まれたのであるが、兄は2人とも私が小さいころに早逝してしまった。そんな私にとって、石田さんは1人の兄、しかもきわめて頼りになる賢兄とでもいった存在であった〉(『軌跡九十年』)

と語っている。

 

<書籍紹介>

松下幸之助 経営の神様とよばれた男

北康利著

なぜ松下幸之助だけが「経営の神様」とよばれるのか? その決断と行動の理念を、彼の人生を辿りつつ鮮やかに追体験できる傑作人物評伝。

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