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松下幸之助 指導者に求められる最高の熱意

2017年03月14日 公開

PHP研究所経営理念研究本部

松下幸之助

祈る思い

江戸時代、いわゆる寛政の改革を行なった松平定信は、老中に就任した翌年の正月二日、吉祥院の歓喜天に次のような趣旨の願文を納めたという。

「今年は米の出まわりがよく、高値にならず、庶民が難儀をせずにおだやかに暮らせるよう、私はもちろん、妻子の一命にもかけて必死に心願します。もしこの心願が筋ちがいで、庶民が困窮するというのであれば、今のうちに私が死ぬようにお願いします」

さらに彼は、日々7、8度東照宮を念じてこの重責を全うできるよう祈ったと、自分の伝記に書いているという。定信の前のいわゆる田沼時代には、天災と放漫財政、わいろ政治が重なり、綱紀も乱れ、物価も上がるという状態になっていた。彼はこれを正すために、政治の抜本的改革を行なうべく心に期するわけだが、それについては、このように身命を賭して神仏に祈るというほどの、きわめて強い決意をもって臨んだのである。その結果、いわば時の勢いとして独り定信の力をもってしてはいかんともしがたい面はあったものの、一面非常な成果もあがり、徳川後期に一つの光輝をそえることになったのである。

みずから何もせずして、ただ神仏にご利益を願うというようなことは、人間としてとるべき態度ではないと思う。また、そんな都合のよいご利益というものはあり得ないだろう。

しかし、人間がほんとうに真剣に何かに取り組み、ぜひともこれを成功させたい、成功させねばならないと思う時、そこにおのずと何ものかに祈るというような気持ちが湧き起こってくるのではないだろうか。それは神仏に祈念するというかたちをとる場合もあろうし、自分なりにそれに準ずるものを設定して願うということもあると思う。そういうことは、一つの真剣さのあらわれであり、またそのことによってみずからの決意を高めるという意味からも、大いにあっていいことだと思う。

まして、指導者の場合は、それが単に自分個人のためでなく、定信の場合のように、天下万民のため、多くの人びとの幸せのための祈りであり、それはまことに尊いことであるといえよう。

指導者は何ごとにもほんとうに真剣にあたることが大切であるが、その際に、祈るほどの思いになっているかどうか、一度自問自答してみることも必要ではないかと思うのである。

松下幸之助 著 『指導者の条件』より

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