谷川俊太郎・詩を書くということ
2014年06月14日 公開 2014年06月14日 更新
詩が生まれる瞬間
- 注文を受けましたら、詩はすぐ湯水のようにわいてくるものですか?
湯水(笑)……。湯水のようにはわいてきませんが……。実は「自分の中に言葉がある」 って、ある時期から思わなくなりました。若い頃は考えもしませんでしたけども、それは言語……言葉を意識してからですね。自分の中の言葉がすごく貧しいって思うようになったんです。語彙も関係ないし、経験も少ないし。そういうんじゃなくて、自分の外にある日本語を考えると、これはもう巨大でものすごく豊かな世界だと。
それは文学だけじゃなくて、日常的に喋っている言葉でも、とにかくすべての日本語の総体っていうものをイメージすると、もう気が遠くなるくらい豊かで巨大な世界なんですよね。そこから言葉拾ってくりやいいじゃないかっていうふうになったんです。だから一種編集的な意識というのも出てきましたね。
あの「かっぱかっぱらった」なんて、いくら自分が考えても出てこないでしょ。あれは、かっぱというといろんなお話もあるし、「かっぱらっぱなっぱ」みたいなおもしろい日本語があるから、それをうまく組み合わせて細工物を作るように作っているわけです。だからあれは完全に自己表現ではないっていうことでしょうね。
- そうやって、わいてきたものを忘れないうちにすぐ書くわけですか?
鉛筆で書いていた頃はちゃんとメモをしていましたが、もう20年ぐらい前から、ワープロからパソコンになっているので、そのときはキーで打ち込んでます。
でも画面をただ見ていても浮かんできませんからね。ちょっと外から見たらアホみたいな顔してぼんやりしているんじゃないでしょうか(笑)。それで、なんかポコッと出てくりゃ、しめたものなんです。
生まれてくるときって理性は働いてないんですよ。「なんかわけわからないけれど、ポコッとこんな言葉が出てきちゃった」みたいな感じで。出てきたらディスプレイで読めますから、客観的に「これはおもしろい表現だな」とか「あ、これはだめだ」とか判断ができる。それの繰り返しで1行1行書いていくみたいなところはありますね、今は少なくとも。
- ポコッと浮かぶまで待っている間の谷川さんの精神状況、精神作用、それはどういう感じなのでしょう?
自分ではちょっとわかりにくいんですけど、禅の本なんか読むと、座禅をしているときと似たような状態になっているんじゃないかな。
- 座禅は、無我の境地、雑念を捨てる世界ですよね。
つまり、僕も書こうとしているときは、できるだけ自分を空っぽにしようと思っているんです。空っぽにすると言葉が入ってくる。そうじゃなくて、自分の中に言葉がいると、ついそういう決まり文句なんかに引きずられるわけだけど、できるだけ空っぽにしていると、思いがけない言葉が入ってくる、そんな感じですね。呼吸法と似ていますね、多分。
<書籍紹介>
詩を書くということ
日常と宇宙と
詩を書き始めた頃から現在まで、詩作の舞台裏をありのままに語ります。「かっぱ」「生きる」「さようなら」など人気の11作品も収録。
NHKBSプレミアムで放送中の番組「100年インタビュー」で語られた言葉を単行本化するシリーズの14冊目。