谷川俊太郎・詩を書くということ
2014年06月14日 公開 2014年06月14日 更新
《『詩を書くということ 日常と宇宙と』より》
読者を意識した詩
- 詩人としてのスタートの段階から、欲求不満や問題意識を抱えていたわけではなく、何かに対してぶつかる手段が詩ということではなかった。ということは、自己表現のために詩を書くということでは、少なくともなかったと?
自己表現はしていたと思いますけれど、僕としては、自分が他の人と結びつきたい、つまり社会の中で何かしらの役割を持ちたい、それが詩につながるわけですから、その気持ちのはうが強かったんですね。だから自分の表現よりも、他の人と自分がどうやったら言葉で結びつけるかってことを考えていたような気がします。だから 「おもしろいものを書かなきゃ。美しいものを書かなきゃ」っていうふうには思っていたと思います。
- では、何か他の人を意識して、受け入れてもらえるような詩を書くということですか?
基本的に読者が必要ということは若い頃から思っていましたね。同世代で「読者なんか要らない、好きなように書く」という人もいて、もちろんその立場はひとつあると思いますけど、僕の場合には読者がいないと、原稿料・印税が入ってきませんからね(笑)。
- だからこう、わかりやすい言葉、あの世界になるのでしょうか?
それもあるけど、僕そんなに難しいことを考えられない人間なんですよ。世界の意味とか、そういうことを突っこんで考えるタイプじゃなくて、なんか世界が快ければそれでいい、美しければそれでいいっていうタイプなんですね。だから、哲学者には絶対なれないって思ってるんですけど。
- 喜んでもらえる詩を書くということですが、具体的にはどんなふうに作っていかれるんでしょう。
詩を書き始めた頃から、日本の詩の世界ってすごく狭いっていう感じがしていました。だから、ただ詩の雑誌に書いて詩集を出すだけではなく、よその世界から誘いが来たら、それにできるだけ乗ろうと。例えばラジオドラマの脚本とか歌の作詞とか、自分ができる範囲でどんどん出ていったってことがありますね。
それはやはり、自分の詩を受け取ってくれる人たちを広げたいっていう気持ちだったと思うんですね。だから、ただ単に行分けの活字で印刷された詩の形だけじゃなくて、いろんな形で詩というものが人々の間に広がっていくことを望んでいたと思います。
- いろんなところからの注文が来るわけでしょうから、対応も相当大変なんじゃないですか? または、そのほうが書きやすいですか?
わりあい幸運だったと思いますが、詩が商業的な雑誌に載ってからぼちぼちと注文が来るようになったんです。その注文に応える形でだんだん仕事が増えていって。もちろん自分で自発的に書く詩もありましたが、いつの間にか完全に受注生産になっているんですよ。でも別にそんなに大変じゃないですよ。詩ですからね。詩って形では同じわけだから。
例えば、「この詩は3歳向けに書け」と言われたとしたら、自分の中にいる3歳の子どもの気持ちで書くだけなんです。
今は高齢化社会で、「この詩は90歳の老人向けに書け」って言われたとしても、やっぱり自分で書くしかない。そう簡単に変えられないわけですから、受注生産で注文されても、それがひとつの枠みたいになって、かえって書きやすいって僕はずっと思ってきましたね。
例えば 「13字詰め20行で書け」って言われると結構うれしいんですよ。自由に書くとなんか心配で。型に入れられると、キチッと詩の形が決まるのがうれしかったし書きやすかったです。短歌や俳句ってそうでしょ。五・七・五・七・七。詩にもある程度の形を求めるところがあると思います。
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