大人のコミュニケーションの極意とは?
2016年07月21日 公開 2024年12月16日 更新
PHP文庫『大人のものの言い方・話し方』 はじめに より
人と人の距離は言葉ひとつで変化する
私は、遠慮なくものを言うほうである。正直いって短気なところもあって、初対面の若い編集者などに、「私は気が短いよ」とくぎを刺すこともある。別に脅かしているわけではない。あらかじめこちらの性格を知っていたほうが、お互いにつきあいやすいと思うからだ。
最初に「自分はこういう人間だ」と伝えるのは、人づきあいを円滑にスタートさせるための、私なりのサービスなのだ。
つきあいが始まると、相性も分かってくる。それは相手との距離を把握するということでもある。「合う」「合わない」に応じて距離をはかればいい。
仕事上の人間関係であれば、ある程度の距離があって当然だ。話し方も相応の距離をとる必要がある。
例えば、営業マンとクライアントの会話で不用意なひと言を発し、相手の機嫌を損ねれば契約はとれない。逆に見事な殺し文句で商談成立ということもある。
心得ておきたいのは、相手に「快」「不快」を与える言葉があるということだ。
「おっしゃる通り」「先ほどもご指摘があったように」「十分にご理解いただいていることですが」など、相手の発言、理解、知識を素直にリスペクトする言葉は相手を「快」にする。
逆に「再三、こちらが申し上げている通り」「ご理解いただいていないようですが」「お言葉ではありますが」のように、自分の主張を正当化したり、相手に自分の至らなさを意識させる言葉は、相手を「不快」にする。
相手の理解が決定的に不足していたり、誤った理解をしていたら、それを指摘しなければならないこともあるだろう。そうした局面でも、頭から否定してはいけない。
「おっしゃる通り、この商品導入によって悪影響が予想されるという御社の危惧は十二分に理解できます」
と、いったん受け入れて、その後に「しかし」と続ける。いきなり相手のメッセージを拒否しない。開封して、読み取る努力をする。これが肝心だ。
営業では、主役はクライアントで、売り込む側は脇役。この距離感をわきまえていれば、冷静になれる。自分がしゃしゃり出てしゃべりまくれば、主役は間違いなく「不快」になる。
私自身、新聞記者時代に気難しい主役の取材をする際、脇役に徹して成功した経験が何度もある。この手法、ビジネスに限らず、妻や恋人相手との交渉のときにも通用するはずだ。
プライベートな場面では、憎まれ口が相手の心をつかむこともある。
私が以前、がんの手術をしたとき、古い友人と電話でこんなやりとりをした。
「入院しているっていうのに︑見舞いにも来てくれないのか」
「何言ってやがる。ピンピンしていればいじめがいもあるが、弱ったお前なんかに会いたくない。早く元気になって、そっちから会いに来い。いつでもいじめてやるよ」
実のところ、少なからぬ不安にさいなまれていた私は、この「憎まれ口」に救われた。
彼とは学生時代からの縁で、幾度となくけんかもしたが、どこか気が合ったのだろう。言いたいことを言い合いながら、相手を思いやる関係を続けてきた。だからこんな憎まれ口がたたき合える。お互いの距離が近ければ、憎まれ口は愉快な会話になる。真面目な言葉より元気を与えてくれることもあるのだ。
ものの言い方・話し方に正解があるわけではない。相手との距離に見合った言葉を選んで話し合う。大人の会話とはそうしたものだ。その会話がまた相手との距離を縮めもするし、離しもする。言葉には人間関係を変える力がある。あだやおろそかにするなかれ、である。