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高速鉄道事故の“敗者”は誰か?

清水美和(東京新聞論説主幹)

2011年09月26日 公開 2023年10月04日 更新

高速鉄道事故の“敗者”は誰か?

"炙り出された権力闘争の激化

 中国東部、浙江省温州市で、7月23日夜に起きた高速鉄道同士の追突事故は、40人が死亡、約190人が負傷する大惨事になった。鉄道省は生存者救出や原因究明よりも事態の収拾を急ぎ、事故車両の一部を現場付近に埋め、2日後に運転を再開した。このため、遺族や内外メディアから「証拠隠滅」と激しい批判を浴び、再び事故車両を掘り出す醜態を演じた。

 鉄道省は事故原因を、落雷で信号設備に故障が発生したうえ、列車運行センターのソフトに欠陥があり自動停止装置が作動しなかったと説明しているが、国務院(政府)は事故調査チームを設立し、さらに詳しい原因の究明に乗り出した。その一方で、当初、鉄道当局に攻撃を浴びせたメディアに対する統制を強化し、補償金の増額などを通じ犠牲者、遺族の「口封じ」に躍起となっている。

 事故対応の経過をみると、「民意」を恐れた中国政府が事故に取り組む姿勢を正したとは、とてもいえない。共産党指導部の人事を一新する来年秋の党18回大会に向けて、党の威信を回復する狙いと、人事をめぐる党上層部の暗闘激化が浮かび上がってくる。

張徳江副首相の失態

 事故発生直後、現地には国務院安全生産委員会主任で、鉄道を所管する張徳江副首相が「胡錦濤総書記、温家宝首相の委任で」(国営新華社通信)派遣された。順当な人選にみえるが、高速鉄道は中国が世界一の速度、総延長を誇り、各国に輸出をもくろむ国威をかけた事業である。初の大事故が内外の注目を集めるのは必至で、過去の災害や重大事故の例からみても、温家宝首相自らが事故処理の陣頭指揮に当たるのが自然だった。

 危惧されたとおり、張副首相は生存者救出よりも現場処理と運行回復を優先し、鉄道省が事故車両の一部を埋めるのも認め、危機対応の未熟さを露呈した。

 犠牲者やメディアからの批判が政権不信を広げるのを恐れた政府は、温首相が事故から5日後の7月28日、現場を訪れ深々と頭を下げ犠牲者に追悼の意を表し、内外記者との会見に応じて事態の沈静化を図った。このなかで温首相は、「病気で11日も床に就き、今日医者の許しを得て来られた」と言い訳した。しかし、じつは事故翌日の7月24日に、温首相は北京で河野洋平前衆院議長と会談し「昨晩は事故対応でほとんど眠っていない」と語ったと報じられており、現場での発言は明らかに事実に反する。

 重大な高速鉄道事故になぜ、張副首相が派遣されたのか。それは来秋の党18回大会で、現在9人の党最高指導部、政治局常務委員のうち、胡総書記、温首相ら7人が68歳を超えた者の任命を認めない定年制で引退することと関係がある。65歳で現在、政治局委員(16人)の張副首相は、次期政治局常務委員の有力候補で、現場派遣は、その手腕を試す意味があった。

 2001年4月、海南島沖上空で米偵察機が中国軍戦闘機と接触、米機は海南島に不時着、中国機は海上に墜落し飛行士が行方不明になる事件が起きた。翌年に党総書記引退を控えた江沢民国家主席は、直後に予定どおり南米歴訪に出発し、後事を胡錦濤国家副主席に委ねた。

 胡氏は国内に反米感情が渦巻くなか、米国から謝罪と受け取れる表明を引き出し、米偵察機を返還した。事態収拾に成功したことで、胡氏は、くすぶる反発を制し翌年の党総書記就任を確実にした。

 これに比べ、張副首相は高速鉄道事故の処理に失敗したことで、その指導能力に大きな疑問符が付いた。

 張副首相は吉林省の延辺大学朝鮮語学部から北朝鮮の金日成総合大学に留学した異色の経歴をもつ。広東省トップの党書記だった02年11月、新型肺炎(SARS)が発生したが、張氏はこれを公表せず、のちに広東から北京にまで感染が拡大する事態を招いた。

 この責任を問われ、当時の衛生相、北京市長は更迭されたが、本来なら真っ先に責任を追及されるはずの張氏は無事だった。それは党幹部を養成する中央党校で研修した時期に同室だった江沢民前総書記の庇護があったため、というのが定説である。その後も張氏は目立った業績を挙げたわけでもないのに、08年には副首相に出世を遂げた。

 現在の指導部には、胡総書記の出身母体である党青年組織、共産主義青年団の常任幹部出身者を中心とする「共青団グループ」、上海市党書記から中央入りした江氏が率いる「上海グループ」、さらに次期総書記就任が確実の習近平国家副主席を筆頭とする革命元老・国家指導者二世らからなる「太子党」の三派が鼎立している。

 このうち、上海グループは派閥後継者とみられていた陳良宇上海市党書記が06年に汚職で失脚したため、張副首相が後継者として浮上した。しかし、派閥の総帥である江氏は7月1日の党創立90周年式典に出席せず、その後、死亡説や危篤説がメディアで流れても、姿を現わすことができず、健康状態が悪化しているのは間違いない。

 後ろ盾である江氏の表舞台からの退場と、今回の鉄道事故で張氏の政治的将来には暗雲が立ち込めたが、最高指導部入りの希望が潰えたとみるのは早計だろう。能力に不安があっても最高指導部に入れることで、現政治局常務委員の多数派を占める上海グループの面子を立て、重要な職務を与えなければ、上層部の攪乱要因になる恐れはない。共青団、太子党どちらの派閥にとっても都合のいい人材ともいえる。

計画経済「最後の要塞」

 張副首相と並んで、今回の高速鉄道事故の“敗者”が鉄道省であることはいうまでもない。広大な国土の中国で、鉄道事業は兵器や兵員を大量輸送する軍事上の役割を担ってきた。高速鉄道網の広がりは、その速度を飛躍的に向上させると期待されている。このため、鉄道省は軍と同じように、内部に公安、検察、裁判の機構をもち、外部から干渉しにくい「独立王国」と化していた。

 中国では共産党政権の成立以来、鉄鋼や電力、石油、通信など基幹産業は政府各部門が直接、経営してきた。しかし、改革・開放を通じ国有企業の独立採算化や株式会社への改組が行なわれ、政府と企業の分離が進んだ。ところが鉄道省だけは、鉄道網普及の必要や軍事上の役割を理由に、鉄道経営を手放すことに抵抗してきた。政府が経済活動を支配する「計画経済最後の要塞」と呼ばれる。

 時代遅れの体制は組織をよどませることを如実に示したのが、今年2月、「重大な規律違反」があったとして更迭された前鉄道相の劉志軍氏(58歳)だ。中国メディアによると、劉氏は高速鉄道の設備投資や駅周辺開発をめぐり、山西省の女性企業家(55歳)から約300万元(約3600万円)の賄賂を受け取った疑いがもたれている。鉄道相在任の8年を通じ、劉氏は鉄道利権に群がる業者などとの癒着で100億元(約1200億円)規模の財をなしたという香港の報道もある。

 湖北省出身の劉氏は19歳で保線作業員となったが、苦労を厭わぬ姿勢を買われ29歳から幹部候補生として2年間、西南交通大学に派遣された。その後も現場に通じた幹部として順調に出世を重ね、瀋陽鉄道局長から鉄道次官を経て、03年、鉄道相に就任、「保線作業から大臣に」とうたわれた。

 劉氏を次官に抜擢したのは、江沢民氏が上海市党書記を務めていた当時、上海鉄道局長だった韓杼濱鉄道相で、劉氏自身も鉄道を使った視察を好んだ江氏につねに付き従い、関係を深めた。高速鉄道網の拡張に力を注ぎ鉄道相時代に延長した全国の鉄道18,000kmのうち、7,500kmを高速鉄道が占める。劉氏は総延長とともにスピードも世界一にこだわったが、のちに鉄道省の元高官から、独自の高速化技術はなく海外から導入した鉄道の規定速度を無視したにすぎないと告発された。

 劉前鉄道相の腐敗は06年、兄の威光を背景に保線作業員から高官にのし上がった実弟の劉志祥・元武漢鉄道局副局長が、汚職などで、事実上の無期懲役に当たる執行猶予付きの死刑判決を受けたとき、すでに問題にされていた。国会に当たる全国人民代表大会(全人代)でも、劉氏の罷免を求める意見が公然と出されたが、劉氏は江氏との人脈や高速鉄道建設の実績を武器に危機を乗り切った。

 08年3月の全人代では、胡総書記の側近で次期首相の最有力候補とされる李克強副首相の指揮で、鉄道経営を鉄道省から分離し、運輸、航空、鉄道事業を監督する「交通省」を設立する機構改革が検討された。前年の党17回大会で政治局常務委員入りを果たした李氏にとって初の大仕事になるはずだったが、劉鉄道相は「ネットワーク整備が遅れた中国の鉄道は独立した鉄道省が必要だ」と力説し機構改革案を葬り去ることに成功した。

 08年に起きた金融危機で成長を維持するため拡大された投資と融資は鉄道事業に重点が置かれ、高速鉄道整備が加速した。しかし、それは鉄道利権のパイをいっそう膨れ上がらせることにもなり、ライバルたちから劉氏が追い落とされる皮肉な結果につながった。鉄道省は、政府と企業を分離し腐敗の構造を解体しようとする温首相、李副首相らの改革にとって、「宿敵」ともいえる抵抗勢力で、今回の事故は打撃を与える絶好の機会になった。

 張副首相が現場で失態を演じたとき、中国メディアは党中央宣伝部の指示さえ無視して鉄道省に集中砲火を浴びせた。事件の背景を編集者や記者たちが熟知しており、鉄道省をいくら攻撃しても、激しい報復を食らう恐れはないとわかっていたからだ。温首相の登場は事実上「撃ち方やめ」のサインだった。

 鉄道省に解体を迫る攻撃は、来秋の党18回大会で党最高指導部を退く温首相に代わり首相に就任する李克強氏が引き継ぐだろう。それは党・政府内にビルトインされた利権構造に乗っかるかたちで勢力を伸張してきた上海グループにとって大きな痛手となるはずだ。

アモイ密輸事件主犯の送還

 上海グループのみならず、次期総書記の習近平氏にも禍を及ぼしかねない大事件が、鉄道事故の陰で起きていた。

 事故が発生した7月23日、福建省アモイ市を舞台にした巨額密輸事件の主犯として指名手配されていた頼昌星容疑者(53歳)が逃亡先のカナダから送還され北京に到着し、中国当局に引き渡された。頼容疑者らは1990年代に総額530億元(約6500億円)相当にのぼる自動車や精製油、たばこなどを密輸し、「建国以来最大の密輸事件」と話題になった。

 中国当局が捜査に着手した99年、頼容疑者はカナダに逃亡し「政治亡命」を求めていた。カナダ政府は頼容疑者が死刑になる恐れがあるとして中国への引き渡しを拒んできたが、中国側が死刑にしないことを約束して、ようやく本国への送還が実現した。

 この事件では、元公安次官が収賄罪で死刑判決を受けるなど、多くの政府当局者が重刑を受けた。事件当時、福建省は、いずれも江総書記側近の賈慶林氏が党書記、賀国強氏が副書記を務めていた。しかも賈氏の夫人は頼容疑者が支配する会社の役員に就任し、密輸事件への関与さえ取りざたされた。

 捜査をめぐっては当時の朱鎔基首相が徹底捜査を命じ、自らの側近の政治責任が問われることを恐れた江氏は捜査に圧力をかけた。頼容疑者はカナダでジャーナリストの取材に、自分は「党のナンバー1と2の権力闘争のスケープゴートにされた」と語っている。

 アモイ密輸事件の捜査当時、福建省の省長を務めていたのが、次期総書記の習近平氏で、習氏は江氏と朱氏が激しく対立した事件を「漂亮(ピヤオリャン、美しく)に処理」(党幹部)して双方の面子を立てたという。そのバランス感覚を買われ、習氏は上海グループ後継者だった陳良宇氏が失脚後の上海市党書記を引き継いだ。それから半年もたたないうちに、胡錦濤氏が意図した共青団出身の李克強氏への最高権力継承を阻むことを狙う党内勢力に推され、習氏は07年10月の党17回大会で李氏より上位の政治局常務委員となり、最高権力の後継者の立場を獲得した。

 アモイ事件の捜査が政治的圧力と首謀者の海外逃亡で挫折したことによって、江氏側近の賈、賀両氏は政治生命を保った。その後、賈氏は毛沢東、周恩来、!)小平氏らが主席を務めた政治協商会議の主席、賀氏は党内の腐敗を摘発する党中央規律検査委員会のトップにそれぞれ上り詰めた。

 党内には反発が渦巻き、賈氏は03年の政治協商会議で主席に選ばれたが、対立候補のない信任投票にもかかわらず、得票率は92.8%にとどまり、前任者の李瑞環氏が5年前の主席選で獲得した得票率99.2%を大きく下回った。賀氏は07年10月の党17回大会で中央規律検査委書記に選ばれたが、直後に行なわれた規律検査委指導部の引き継ぎで、前任者の呉官正氏は自分のあいさつが終わると、後任の賀氏の話も聞かず式を中座し立ち去った。前年に江氏側近の陳上海市党書記の汚職を摘発したばかりで、硬骨漢の呉氏はアモイ密輸事件の責任を逃れた賀氏の就任に対する不満を爆発させたのであろう。

 来年に党大会を控えたこの時期に、中国がもっとも嫌う司法判断への「内政干渉」まで受け入れ、頼容疑者の引き渡しを実現したのはトップレベルの政治判断によるのは間違いない。頼容疑者はカナダで応じた取材で賈氏ら党上層部との深いつながりをほのめかしている。中国当局が収集した証言や証拠に基づく厳しい取り調べで、さらに多くの事実が明らかになるだろう。

 中国の国情からいって、それが公表されるとは思えないが、賈氏や賀氏の後任人事をめぐる発言権を制約するには十分な脅威になる。また、事件捜査を「美しく」処理したといわれる習近平氏にも隠然とした圧力になろう。胡総書記は李克強氏への最高権力継承を阻まれ、自らは総書記を辞任しても、!)小平、江沢民両氏に倣い2年間は軍事委員会主席に留任し、共青団系の指導者を最高指導部に進出させて影響力の確保を狙っている。次期最高指導部の構成をめぐる駆け引きで頼容疑者を手中にしたことは、高速鉄道事故以上に有力なカードになるのではないか。

日本の政府・経済界よ、対中戦略を練り直せ

 高速鉄道事故、アモイ密輸犯の送還、さらに江氏自身の健康悪化によって上海グループの凋落は決定的になった。次期最高指導部に存在が許されても政治的影響力は限られる。

 来年の党大会で選出される指導部は、習近平氏がトップの太子党と、胡錦濤・李克強両氏が率いる共青団グループの二派が対峙する構成になろう。太子党は中国最強の既得利益集団である。幼少のころから高級幹部住宅で特権的生活を送り、大学進学や留学も思いのままだ。

 権力の世襲を嫌った毛沢東、!)小平時代は政界進出を制限されたため、主に経済界へ進んだが、それによって経済権力を手中に収め、いまや国有大企業の八割は太子党が牛耳るといわれる。相互に対立もはらんでいるが、既得利益の侵害には協力して対決する。

 次期党大会では太子党が最高権力を手中に収めることになる。これに比べ、家庭的背景や党・軍内に強力な後ろ盾をもたない上海グループは所詮、江沢民時代のあだ花にすぎなかった。

 強力な太子党に対し、共青団グループは高速鉄道事故にみられたように、党幹部の特権や極端な格差に反感を強める民意と、それを代表するメディアを味方に付け対抗するほかない。それは、必然的に中国社会の権利要求や社会運動を活性化させることにつながる。

 党最高指導部に対立があり、それぞれの勢力が相手に打撃を与えるため一定の範囲で民意を動員することになれば、1990年代末から2000年代にかけて活発になった主要国に対する排外的な動きや、日本をはじめとした進出企業を標的にした労働争議、消費者運動も激しさを増す恐れがある。昨年、中国各地で日系企業を襲った賃上げストライキの波は、じつは温首相の指導下で、所得格差是正を掲げた国務院が外資企業のストライキを黙認したことが原因だ。

 外資企業で働く労働者の賃上げや権利要求は今後いっそう強まり、すでに東南アジアの中進国を凌駕する水準に達した中国の労働コストはさらに高まることになろう。廉価で物言わぬ労働力を目当てにした中国進出は、もはや過去の話になった。

 中国の社会、経済的構成は貧富の格差が広がり階層分化が進んで激変している。すでに一枚岩ではなくなった共産党指導部の対立は、こうした階層対立を背景に深まる可能性が高い。日本の政府、経済界はこうした中国の奥深い内情に目を凝らし、中国に対する戦略と付き合い方を練り直すときである。

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