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松浦弥太郎さんが考える、友だちの増やし方「孤独を恐れず、敵をつくる」

松浦弥太郎(エッセイスト)

2025年03月07日 公開

松浦弥太郎さんが考える、友だちの増やし方「孤独を恐れず、敵をつくる」

嫌われると好かれるはコインの裏と表で、嫌われるから好かれるし、好かれるから嫌われる。『暮らしの手帖』元編集長でエッセイストの松浦弥太郎さんはこのように語ります。年齢を重ねても成長を続けられ、友だちが増えていく人は、どんな心がけをしているのでしょうか。松浦さんのご著書『明日がいい日になりますように。』より紹介します。

※本稿は、松浦弥太郎著『明日がいい日になりますように。』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

幸せとは人と深くつながること

憧れ、目的、人生の旅のゴールを考えると、僕はこう思います。「人と深くつながれる人間でありたい」これはまた、僕がなにを幸せと思うかの答えでもあります。

僕はいろいろな人と深くつながることが、いちばんの幸せです。充分に年を重ねたとき、妻、子ども、友人、まだ両親が生きていれば両親とも深くつながっていたいと思います。自分のまわりにいる人たちと、今よりいっそう深くつながっていたら、僕はすごく幸せだと思っています。

生きていく以上「お金はいらない」とは言えませんが、お金をたくさん稼いで貯金をするより、人と深くつながるほうが大事だと思っています。逆説的ではありますが、人と深くつながらない限り仕事もうまくいかず、結局お金も増えないでしょう。

人と深くつながるには、いろいろな方法があります。たとえばこうして書いている本を通して、読んでくれるあなたと深くつながることもできると感じています。

つながりの触媒となるのは、感動です。共感といってもいいでしょう。僕の発信するメッセージが読者のみなさんの心を動かすことができたとき、つながりができます。もっと身近なことで言えば、自分が感動したことを伝えれば伝えるほど、つながりは深まります。

たとえば自分がとても感動し、どうしても「ありがとう」と伝えたいとき、僕は手紙を書きます。情熱を込めて感動を伝え、つながりを持ちたいからです。手紙というのは、感動を伝える非常に優れたツールだと感じています。「こんな人と自分が会えるはずはない」と思っている人にも、手紙を出すことでコミュニケーションがとれるのですから。

大谷翔平やビル・ゲイツにも手紙は出せます。出した時点で一つのコミュニケーションですし、返事がないとは限りません。自分に情熱さえあれば、感動は伝えられるのです。

深くつながる幸せを求めて、これからも僕は、たくさんの手紙を書くつもりです。

 

友だちが欲しいなら孤独を恐れない

「味方が欲しかったら、敵をつくれ」

一人で仕事を始めたとき、僕は父にこう言われました。細かい説明はなかったけれど、それは「自分の意思をはっきりさせる」ことだと僕は解釈しました。自分から敵をつくる必要はないけれど、敵をつくること、孤独を恐れて曖昧な態度をとってはいけないと。

「友だちのいない不安と寂しさ」を抱えている人がいたら、僕は同じ言葉を贈りたいと思います。

「味方が欲しかったら、敵をつくれ」

もちろん、マナー、礼儀作法、思いやりは守ります。そのうえで、人にどう思われるかを気にせずに、自分を素直に表現するということです。

誰かとしばらく自由に会話をするとしたら、僕たちはお互いに「自分と同じところ」を探しています。

「あの映画が好きなの?私も好き」
「休日はそうだよ、僕もよくいろんなところを歩いている」
「体を動かすと気持ちいいよね」

言葉に出すかどうかは別として、人は心のなかでお互いの言葉に「賛成!」「反対!」と小さな旗をあげて会話をしています。賛成の旗をかわすことは、友だちをつくるプロセスには欠かせない要素ですが、「○○をよくしている」「○○が好き」というお互いの意思表明がなかったら、成り立ちません。

誰かが映画を好きだと言ったら「私も」と言う。実は好きじゃなかったら、そうは言わずに「へえーそうなんだ」と曖昧に笑っている。逆に自分からは「○○が好き、○○は苦手」といった意思表明を一切しない。

あなたは、こんな態度をとっていませんか?誰のことも肯定して、笑顔でいるけれど、自分の心は開いていないのですから、友だちができなくて当然です。

「八方美人」あるいは「なにを考えているのかわからない人」とされ、自分から友だちを遠ざけてしまうでしょう。

意思表明することを、必要以上に恐れることはありません。信号を渡る、ただこれだけでも人となりはあらわれます。「走って渡るなんていや」という人もいれば、「急いだほうがきびきびしていていい」という人もいるのです。

生きている以上、たとえなに一つ言葉を発しなくても、何パーセントかの人はあなたに対して「嫌い」というジャッジを下しているもの。嫌う人をゼロにしようとして、「好き」と言ってくれるもっとたくさんの人を失ってはいけません。

「こんなことを言ったら嫌われるかもしれない」

人と違うこと、仲間はずれにされることを恐れれば恐れるほど、友だちはできなくなります。嫌われると好かれるはコインの裏と表で、嫌われるから好かれるし、好かれるから嫌われる。これが人間関係の原理原則だと知っておいたほうがいいと僕は思います。

自分自身について考えてみても、原理原則どおりになっているなと感じます。文章を書いても、書店を経営しても、「好きです、いいですね」と言ってくれる人もいれば、「松浦さんのことは大嫌い、鼻につく」と言う人もいます。これは当然の反応です。

仮に、ほめてくれる人ばかりだったら不自然です。自分のやっていることに誰も彼も無関心で、なに一つ届けられていないと恐ろしくなります。

自分の意思を素直に表明することは、「あれが嫌い、これは苦手」と、好き嫌いや嗜好を押し付けることとは違います。ことに友だちが欲しいなら、自分の価値観をわかってもらえるよう、心を打ち明けることが大切です。

「私はこんなことを大切にしている」
「自分の時間はこんなことに使いたい」

人は共通点でつながると述べましたが、共通点にもいろいろあります。子どものころは家が近いという共通点、同じクラスだという共通点でつながっていたかもしれませんが、大人の友だちであれば、心の共通点でつながりたいなと思います。

女性の場合、「子どもがいる、いない」「仕事をしている、していない」といった共通点で友だち関係が成り立つこともあると聞きますが、物理的な条件や生活環境は、時とともに変わっていきます。

また、ちょっとしたトラブルでほどけてしまう、ゆるい絆だという気もします。意見が対立したとたん、オセロゲームみたいにパタパタと、味方から敵に変わってしまうかもしれません。

逆に、お互いの価値観に共通点を見いだせている友だちであれば、意見が対立したとしても「それは違うよ」「今回は君が間違っている」と言い合えるし、「ああ、あなたの言っていることもわかる」「教えてくれてありがとう」と、一緒に成長していけるでしょう。そうでない友だちは、友だちにカウントできないということかもしれません。

ソーシャルネットワーク時代だからこそ、友だちをつくるには、外に出て行くのがいいと思っています。メールではなく、電話ではなく、人と会い、笑顔で挨拶し、目と目を合わせて話をする。直接会うことこそ、友だちづくりの大原則です。

友だちをつくる力というのは、生きる力でもあります。孤独を恐れず、ひるまず、敵をつくりましょう。共感される素直さと勇気で、味方をつくりましょう。

 

成長し続けるために語学を学ぶ

今日が面白くて、明日も面白い。

そんな日々がずっと続けば、幾つになろうと成長し続けられると思っています。面白く日々を過ごすには、自分に刺激を与え、挑戦し、ちょっと困ったり、うんと頑張ったりするといい気がします。

僕の挑戦であり、ちょっと困ることであり、時にはうんと頑張ったりすることは、語学の勉強です。英語、フランス語、中国語の3カ国語のレッスンを受けています。

若いうちは友だちと遊ぶことが刺激になり、毎日の面白さになっていました。ところが年をとればとるほど忙しくなり、なかなか頻繁には会えません。

毎朝走って、語学を学ぶ。理容店に行き、歯医者に通い、映画を観みたり本を読んだりする。もちろん仕事もありますし、夕食の時間は厳守しなければなりません。健康のために早寝早起きを守るのももちろんです。こう考えると日々は「自分の予定」がびっしり詰まり、人が立ち入る余地がないほど忙しいとわかります。

年をとって暇というのは本当に悲しいので、この「大忙し!」の状態はむしろ歓迎です。だから僕は「友だちに会えないぶん、自分で学んだり成長したりすることで、刺激や面白さを得よう」と考えている面もあります。

「いっぺんに3カ国語なんて、大変じゃないですか?」

驚かれることもありますが、続けてみるとマラソンと同じで、意外とできてしまうものです。英語は2週間に1回。フランス語と中国語は週に1回。早朝や空き時間を利用して、個人レッスンを受けています。

夕食後に1時間確保してある読書の時間に、英語、フランス語、中国語の本を読んだりもします。

「勉強しているだけあって、だいぶ読めるようになってきた!」と思う日もありますが、そんなことはごく稀で、めきめき上達なんてわけにはいきません。まさに牛歩というところです。

若いころに比べると記憶力が衰えているので、憶えては忘れてしまうこともあります。それでも、やらないよりはずっといいでしょう。ゴールはまだまだ先なのですから、辛抱強く同じことを繰り返すと覚悟を決め、じっくりやるつもりです。

時折、「英語のブラッシュアップはともかく、なぜフランス語と中国語を選んだのですか?」と訊たずねられます。英語はグローバル時代の共通語なので必要性を考えるまでもないけれど、そのほかの言語を2つもというのが疑問なのでしょう。

しかし、「英語ができる=グローバル」というのは、少し早計のような気がします。僕たちは日本でずっと生き、日本の文化を学んできましたが、世界には違う文化がたくさんあります。これからはもっと新しい文化を学びたい。仕事にしても、趣味にしても、友人関係にしても、外の世界に自分が窓を開かない限り、なにも変わらないし、つまらない。そんなふうに感じています。

外の文化にふれるツールとして、英語以外の言葉で自分に必要なのが、僕の場合はフランス語と中国語だということなのです。

フランスにはしょっちゅう仕事で行っていたのに、言葉ができずに苦労しました。もしもフランス語でコミュニケーションがとれたら、フランス文化から学べることは、きっとたくさんあるはずです。日本人にない発想や理念、伝統があるのにリベラルなライフスタイルは、きっと大いなる刺激となるでしょう。

僕には中国人の友人が多くいます。今は英語で話していますが、もし中国語でコミュニケーションがとれたら、中国四千年の歴史からくる奥深い知恵を学ぶことができるかもしれません。ビジネスにおいても中国はこれからうんとかかわっていく国なので、学んでおけば心強いと思います。

どんな言語を選ぶかは人それぞれでいいと思いますが、あきらめたらおしまいです。

「外国語なんて面倒くさいからいいや。日本人とだけつきあっていればいい」

こうした思考に陥ったとたん、これからの人生は成長する旅ではなく単純に年老いていく歳月となります。

年をとればとるほど、語学の勉強は必要性を増します。新しい文化を学んで若々しく成長を続けるためにも語学は必要ですが、日本の文化を知ち悉しつし、その文化を世界に伝える役割を果たすには、語学が不可欠だからです。

日本の豊かな文化を、年齢を重ねた大人が、いろいろな言語を通じて世界に与え続ける。これもまたグローバルな生き方ではないでしょうか。

 

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