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松下幸之助 日本初の「週休二日制」導入~使命としての「働き方改革」

渡邊祐介(PHP理念経営研究センター代表)

2018年12月25日 公開 2022年11月02日 更新

人間観と社会観から

ただ、日本初という週休二日制の導入も、松下幸之助の働き方改革においては、そのごく一側面にすぎない。追求すべきは社会の繁栄と人々の幸福であり、その実現に向けた働き方を模索することを、産業人である経営者にも従業員にも求めたのである。

経営者の責務としては、まず企業本来の使命を果たさなければならない。

「企業の本来の使命は、良い品を安く豊富に供給するというところにあります。ですから、コストをできるだけ合理化するため、経営のあらゆる面で徹底的に経済性を追求し、生産性を高める努力をすることが求められてきます」(『企業の社会的責任とは何か?』1974年、PHP研究所刊〈非売品〉)

生産性を高める努力は政府からの要請があって行なうものでもなく、本来、経営者が創造的に追求すべきことである。その上で、人間にとって労働がどのような意味を持つのかを考える、というのが幸之助の視点であった。

幸之助の随筆に、「働き方のくふう」という一篇がある。生産性の向上という点で、それは経営者だけの問題ではなく、労働者自身の問題なのだという。
 

働き方のくふう

額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。それは東海道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようにテクテク歩いている姿に等しい。東海道五十三次も徒歩から駕籠へ、駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと、日を追って進みつつある。それは、日とともに、人の額の汗が少なくなる姿である。そしてそこに、人間生活の進歩の跡が見られるのではあるまいか。

人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。

それは創意がなくてはできない。くふうがなくてはできない。働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。創意がほしいのである。額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。
(『道をひらく』〈1968年、PHP研究所刊〉)

この一文は最初、1952(昭和27)年に書かれている。幸之助が「週五日制」導入を宣言する8年も前のことであり、ここからも元来、人間の可能性の追求が社会の繁栄につながるという人間観と社会観を総合的に持っていたことが明らかであろう。

ことに幸之助は、人間が本来みずから進歩を求め続ける存在であることを信じてやまなかった。だからこそ、働き方に関して、社員に様々なアプローチをし続けたのである。

「綱領・信条」(1929〈昭和4〉年)、「産業人の使命」(1932〈昭和7〉年)、「松下電器の遵奉すべき精神」(1933〈昭和8〉年)を表明・闡明したのも、事業の使命を明確にすることで、社員に生きがいを感じてもらいたい、産業人として望ましい仕事への心がけを涵養してもらいたいという一念からであろう。それが個人の幸福実現にもつながるからだ。

今でこそ、「モチベーション」「動機づけ」という言葉が重要視されているが、幸之助は、使命感を持ち、働き方を工夫する一面に、内発的な動機づけの向上を求め、他方、休日を増やす宣言をすることで外発的な動機づけを向上させる努力をしていたことになる。

そうした社員の動機づけに関する訴えも、繰り返すようだが、単に利益を上げたいがゆえの生産性向上のためではない。みずからが営む事業が、人間の働き方の進歩により、社会にさらなる繁栄をもたらすのだという信念にもとづくものであり、その意義や思いを常に社員と共有したいという姿勢によるものであったろう。

経営者にとって、働き方改革は政治や社会の要請で迫られるものではなく、本来、自身の経営哲学によってみずから志向するべきものであることを指摘しておきたい。

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