「"他責思考のダメダメ新人"だった」。女性向けキャリアスクール「SHElikes」を運営するSHE株式会社代表取締役の福田恵里さんは、大学卒業後に入社したリクルートでの日々を、そう振り返ります。
現在では、累計25万人を超える登録者を集めるサービスへと成長させ、政府主催の「日本スタートアップ大賞2025」審査委員会特別賞を受賞するなど、起業家として注目を集める福田さん。しかし、SHEを創業するまでには、自分の未熟さと向き合う時間がありました。
本稿では、リクルートでの武者修行時代からSHE創業に至るまでの道のりを、著書『『私なんか』を『私だから』に変える本』より紹介します。
※本稿は福田恵里著『『私なんか』を『私だから』に変える本』(日経BP)より一部を抜粋・再構成したものです。
今につながる、あの2年間
新卒で入社したのが、多くの起業家を輩出しているリクルートだ。将来的に起業するための"武者修行"として、この環境に身を置くことを選んだのだ。
入社後は、1年目に「ゼクシィ」、2年目に「リクナビ」のUXデザイナーとして働いた。正直に言うと、会社員としての私はかなりポンコツ。少なくとも自分の中では「仕事ができないやつ」という感覚がずっとあった。
「なんで上司は数字の話ばかりするんだろう」
「もっとユーザーのことを見ればいいのに、ロマンがない」
仕事はできないのに、不満だけは一丁前。今、経営者の立場になってから振り返ると、典型的な"他責思考のダメダメ新人"だったと思う。
キラキラしたスタートアップの世界にどっぷり浸かって、なまじっか自分でビジネスもかじる程度の経験をしてしまったがために、地道な分析や丁寧な仕事よりも、「もっと大きな仕事がしたい! 早くみんなに認められるような成果を出したい! 」。そんな恥ずかしいくらい尊大な感情があったのだと思う。だから、どこかいつも窮屈で、自分の力が出せていないような感覚があった。
でもそんな生意気な新人に、リクルートという会社は、大切なことをたくさん教えてくれた。
一つは、「二項対立を超える」ということ。
リクルートの当時のビジネスモデルは、「リボンモデル」と言われていて、「必要な情報を求める個人ユーザー」と「企業クライアント」がマッチングする場(プラットフォーム)を提供していた。つまり個人と企業、両方のニーズに向き合っていかなければいけない。
当時toCサービスばかりに触れていた私は、「ユーザー(個人)ファーストだけが正義だ」と信じきっていた。マネージャーが見ている世界の視座を全く理解できておらず、一辺倒に「ユーザーへの理解度が足りていない」と不満を抱えていた。
経営者になった今なら分かる。ユーザーも、クライアントも、日々の目標数字も、全ては絶妙なバランスの中で保たれている。その中で、当時のマネージャーたちは、どちらかではなくてどちらも取ること、二項対立を超えることの意義を教えてくれた。これは今の私が経営している会社の考え方の基礎にもなっている。
さらに印象的だったのが、「仕組み化・型化」の徹底だった。
例えば、「戦略的カオス人事」。「この人がいなくなったら終わる」と思われるエース人材を、あえて別の部署に異動させる。一時的に混乱は生まれるが、そこから新しいリーダーが育ち、組織としての新陳代謝が起きていく。その仕組みが、意図的につくられていた。
ほかにも「君はどうしたいの?」という問いが口癖のように常に投げかけられたり、Will(やりたい)・Can(できる)・Must(やるべき)を整理し、ベン図が重なる部分に集中するという考え方が、組織全体に浸透していた。
そうした環境の中で、ビジネスの土台となる考え方や、組織のつくり方を学ぶことができた。
今でもリクルートイズムは、大いに参考にしている。意識的にも無意識的にも、私のスタンスや組織制度の随所にはリクルートの影響があると思う。学生のまま何の武器も持たずに起業していたら、おそらく今のSHEはなかった。
また、今一緒に働いているメンバーの中には、リクルートで出会った仲間もいる。仲間探しという意味でも、この場所で得たものは大きかった。
たった2時間で舵を切った
リクルートでの仕事にもだんだん慣れて、楽しくなってきた。起業するための力も、まだ十分に身についているとは言えなかったし、あと3年くらいはここで働き続けたいという気持ちだった。
そんな新卒2年目のある日、1人の女性に声をかけられた。
「一緒に起業しない? 」
リクルートの1つ上の先輩だった彼女とは、お互いの存在はなんとなく知っていた。どちらも社外で、女性をエンパワーする活動をしていたからだ。
中目黒のスターバックスで、話しているうちにすぐに気づいた。
目指している世界が、あまりにも同じだったのだ。
この出会いは、運命かもしれないと思った。彼女と一緒にやれば、とんでもない世界が待っている気がする。
スキルはまだ足りていない。起業の準備もまったくできていない。でも、今を逃したらこんなチャンスはもう二度と来ないかもしれない。
彼女と話したのは、たった1〜2時間だった。それなのに、店を出る頃には、退職して起業することを決めていた。まさか、こんなことになるなんて想像すらしていなかった。
退職の意思を伝えると、上司や周囲の人たちは本気で引き止めてくれた。
「2年間、休職という形にしてチャレンジしてみたらどう?」
「うまくいかなかったら戻ってくればいいよ」
そんな提案までしてくれた。そんなおいしい話があっていいのかと思ったし、心からありがたいと思った。
もちろん、一切迷いがなかったわけではない。
でも、周囲が示してくれた選択肢は取らなかった。退路を断ちたかったのだ。「リクルートの福田恵里」ではなく、「福田恵里」個人として、もう一度ゼロからやり直したかった。
会社を創ると決めてからは、毎日がわくわくと希望で溢れて仕方なかった。どんな事業をつくるか、どんなメンバーを集めるか、資金調達はどうするか。毎週ミーティングを重ね、さまざまな話をした。
リクルートの中では、新卒に毛が生えた程度の知識とスキルしか持ち合わせていなかった当時の私にとっては、すべてが新鮮で知らないことばかりだった。
分からないことが、一つひとつ、分かるようになっていく。
その実感が、たまらなくエキサイティングだった。
初めての登記。
初めての弁護士さんや社労士さんとのアポ。
初めての投資家へのプレゼン。
初めての会社名決定とビジョン策定。
連日徹夜、休日も返上して起業準備に没頭した。
気づけば、大学生の頃に感じた、白いキャンバスに自由に描ける感覚がよみがえってきていた。ゼロから世界を塗り替えていけるこの先の未来に、あのときの高揚感が重なっていた。
そして、2017年4月11日。晴れて、SHE株式会社は誕生した。
創業日は社名とかけている。
社名にはいくつか候補があった。2人とも、「女性の可能性を解放したい」という想いは強く一致していたので、それにちなんだ名前にしたいよねと話していた。また、「ウーマン」や「レディー」といった直接的な言葉ではなく、「ちょっと気になるあの子」「憧れのあの子」といった、抽象的で余白のあるニュアンスを込めたかった。
共同創業者のイニシャルが「S」、私が「E」。その間を「H」でつないで、この名前に決めた。









