(写真:Shu Tokonami)
体が大きくて、子どものころから世間に弾かれることに怯えていた伊集院光と、「世間に合わせようと思ったことはない」と語る解剖学者・養老孟司が、「世間」に対する自らの思いを語り合った。
※本稿は養老孟司,伊集院光(著)『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
僕は体がデカいことで世間からズレたんです
【伊集院】僕には子どものころに「世間とのズレ」を恐れるようになったはっきりした理由があって、それは体が突出してでかいことです。もちろん、外見なんていうのは、人間のいろいろある要素の中の一つにすぎないのだけれど、単純に見た目が変わっていることは相当きついですね。
人間って外観上異質な存在を排除するじゃないですか。子どものころの僕は制服ひとつとっても人と違う、僕だけ学校指定のジャージが入らない、短パンも入らない。
だから自分だけ微妙に色が違う。それは合わせようとしても絶対的に合わせられない。外観はけっこう大きな要素で、人が見て分かりやすい順に大変だと思います。
でもこれは諸刃の剣で、外見的に平均からこぼれた連中は、それを利用して個性的な仕事につきやすいというメリットがあります。でも逆に潰されてしまう人間もいっぱいいるはずです。
外見と折り合いをつけて成功しているパターンと、まったく折り合いがつかずに排除されるパターンと両方あるんじゃないかなと思います。
【養老】伊集院さんは、折り合いをつけたほうですね。
【伊集院】でも、いつ排除されるか分からない怖さは常にありますね。体がでかいと、周りがみんな幼いときにはすぐリーダーになれるんです。単純に「大きいやつは強い」と思うのでしょう。
ところが、しばらくすると「待てよ、体がでかいイコール強いわけじゃないぞ」ということが分かってくる。そうすると、途端にでかいやつがいじめの対象になる。
こいつを狩ればトップになれるということなのか、反動がすごいです。体がでかいことのメリットは幼稚園時代までで、小学三年ぐらいからデメリットが始まるんです。
幸い僕のクラスに自分よりもちょっとでかくて弱いやつがいて、猛烈にいじめられていたんです。当時は校内暴力やいじめがひどかった時代で、いじめられている理由はただ「でかいのに強いわけではないのがバレたから」だと思います。
それを見ていて、「次はおれの番なんじゃないか」という恐怖がすごかったです。だから常に周りの様子をうかがって、合わせて合わせて……。