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「海軍の全兵力を使用いたします」で決してしまった“戦艦大和の命運”

半藤一利(作家)

2021年08月11日 公開 2022年06月27日 更新

 

米軍の沖縄上陸

硫黄島の壮烈な戦闘と玉砕に、日本国民の涙のかわかない4月1日、ものすごい大兵力を投じて、米軍は一気に沖縄への上陸作戦を敢行してきました。戦艦十数隻をはじめ艦艇1,317隻、航空母艦に載っかった飛行機1,727機。上陸部隊は海兵隊2個師団、陸軍部隊2個師団を基幹とする18万2000人。

ひしめき合う上陸用舟艇に、嘉手納沖の海面は埋まりました。防衛省や沖縄県の資料によると、結局、沖縄攻略作戦に従事した米軍の総兵力は、54万8000人にのぼったといいます。

迎え撃つ日本陸上部隊は、牛島満中将が指揮する第32軍6万9000人余、大田実少将の海軍陸戦隊8000人余の、合計7万7000人でした。寡兵もいいところです。仕方なく満17歳から45歳までの沖縄県民2万5,000人を動員しました。

男子中学校の上級生(満15歳以上)1,600人もこれに加えられます。さらに女学校の上級生600人も動員されました。これが「ひめゆり部隊」「白梅部隊」としてのちに知られるようになったのは、ご存じのとおりです。

沖縄を占領されれば、つぎは本土決戦です。その準備はできていませんから、とにかく沖縄で時をかせいで頑張ってもらうしかないのです。といって、制空権・制海権を奪られていますから、本土から陸軍の大部隊の援軍を送ることはもうできません。

さらに読谷、嘉手納、小禄、伊江の沖縄の日本軍の飛行場は、すでに猛攻撃をうけて壊滅しています。いきおい本土の九州を各基地として、飛行機による十死零生の特攻攻撃をかけるほかはないのです。

大本営はここに沖縄防衛のための天号作戦を下令、杉山元陸相は全国民にむけて勇ましい談話を発表しました。

「肉を斬らせて骨を断つ。これが日本剣道の極意である。戦争の極意もまた然りである。かならず敵を殲滅して宸襟(天皇の心)を安んじ奉る」

軍艦をほとんど失っている海軍もまた、敵の骨を断つべく、できるかぎりの総力をあげて天号作戦を実施しました。すなわち4月6日の天一号作戦を皮切りに、動ける攻撃機を結集しての特攻に総力をあげたのです。

 

戦艦大和の運命

このとき問題となったのは、まだ戦闘力をわずかに保持して瀬戸内海にその巨大な姿を浮かべている戦艦大和をどうするか、でありました。大艦巨砲の戦いではなく、制空権の奪い合いの戦いとなっている太平洋戦争では、巨大戦艦の使い道はもはやほとんどありません。

といって、このまま降伏して、戦利品としてアメリカにとられて、ハワイ沖に浮かぶ戦勝記念館などの見世物になった、なんていうことは、海軍にとっては、耐え難い屈辱以外のなにものでもありません。

さりとて、水上部隊最後の決戦として、航空特攻作戦の成否にかかわらず、沖縄への突入戦を強行すれば、目的地到達前に壊滅するのは決定的です。

いちばん強かった案としては、本土決戦に備えて陸上に押しあげて、でかい大砲を敵の上陸船団目がけてボカンボカンと撃って終末を飾ろう、というものであったと思います。

それが最高の使い道ではないかと。海軍中央部では大激論がかわされました。が、結局は、及川古志郎軍令部総長が天号作戦について昭和天皇に奏上したさいに、天皇が質問しました。

「航空部隊だけの総攻撃なるや」

これにたいして、「海軍の全兵力を使用いたします」と、及川が答えたことが万事を決定してしまいました。戦艦大和の運命はここに定まったのです。

連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将が、このことを徳山沖に在泊していた大和に赴いて、大和を中心とする第二艦隊司令部に説明したのが4月6日早朝のこと。第二艦隊司令長官伊藤整一中将は、この無駄な作戦をなかなか承諾しなかったといいます。

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戦艦大和と沈んでいった伊藤長官

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