責任転嫁のつけは必ず回ってくる
心理学者のヘレン・ニューマンとハーヴァード大学のエレン・ランガー教授の離婚に関する研究によれば、結婚に失敗した原因をもっぱら別れた相手のせいにする人たちは、いろいろな原因を考えることができる人たちに比べ、より長く苦しむということである。そのことをエレン・ランガー教授は自分の著書(*)の中で述べている。
このことは苦しんでいる人間、悩んでいる人間について考える時の一つのヒントになる。つまり常に責任逃れをして生きてきた人は、そのつけをきちんと払わされているのではないかということである。
つまり責任逃れをして生きてきた人は、自分の責任は自分の責任として物事を処理してきた人よりも、日常生活で苦しんでいるということである。責任転嫁の得意な人がいる。何か面白くないことがあるとすぐに人の責任にする。
何でも人の責任にして生きていれば、その場その場は楽である。何でも悪いことがあると「おまえのせいでこうなった」と相手を責めている人がいる。その場は相手を責めることで気持ちが楽になるかもしれないが、やはり生きることは最終的には悩みが多くなるであろう。
子供が健全に育たなかった時に、「おまえの育て方が悪い」と奥さんを責める夫が日本には多い。しかしその場は夫は心理的に楽をしても、その姿勢は結婚生活を苦しいものにする。つまり結婚生活は、奥さんにとってよりも夫にとってのほうが苦しいものになる。
子供が望ましくない行動をした時に、「社会が悪い、学校が悪い」と言うのも同じことである。いじめ事件が起きた時に皆で「学校が悪い」と責任を学校に押しつけるのは簡単であり、我々親にとってその場は心理的に救われる。
しかし実はそれでは何も解決していないことが多い。そればかりか、そうした責任転嫁をしていると親子関係でいつまでも苦しみから解放されない。
あるいは家庭内暴力の子供が親に向かって、「おまえの育て方が悪い」と親を責めることがある。こういう子供はもちろんであるが、生きているのが苦しい。あるいは先生の教え方が悪いと、先生の教え方に責任転嫁している学生は学校生活が辛いのである。
何でもかんでも悪いことがあると人のせいにして、他人を責めている人を見ると、あれだけ何でも人のせいにできれば、生きるのが楽だろうと思うが、実は逆なのである。彼は周囲から見るとなんて迷惑で、なんて勝手な人なんだろうという気がするが、本人は周囲の人よりも苦しんでいる。
ある三十代も半ばを過ぎた既婚の男性が、若い独身の女性と恋をした。彼には子供もいた。そして離婚をしてその恋人と結婚した。その結婚に彼は心の奥底で良心の呵責を感じていた。心の底の底で彼は別れた子供が可哀相だった。
ところが意識の表面では彼は離婚、結婚、恋愛、すべての責任をその若い女性に押しつけた。子供に可哀相な思いをさせているのは自分の責任なのに、恋人のほうを責めた。「おまえのために、結婚してやった、そのおかげで子供が悲しい思いをしている」と恋人を責めた。
彼は何をしても、自分が悪いといって自分で責任をとれない。その若い恋人と一緒になりたかったのは自分なのに、それを認められない。相手がそれを望んだとして、相手を責めた。子供が可哀相なのは、結婚したがった恋人の責任だと恋人を責め続けた。離婚の原因をつくった恋をしたのは自分なのに、それを認められない。
彼は生涯責任転嫁をし続けた。そして生涯苦しみ続けた。彼の苦しみは年をとるにしたがって激しいものになっていった。彼はいつも怯えていた。誰と会っても虚勢を張ったり、迎合したり、いつもビクビクしていた。それよりも最後はどう生きていいかもわからなくなり、苦悶のなかで生きていた。
重荷から逃げるにしろ、責任転嫁にしろ、その場が楽なことは最後には大きなつけとなって本人に返ってくる。
*Ellen J. Langer, Mindfulness, Adison-Wesley Publishing Company, Inc. 1989.
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。