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反田恭平「将来的には音楽の学校を作りたい」

反田恭平(ピアニスト)

2022年08月02日 公開

 

奈良から世界へ、クラシック音楽を発信する

僕は黙っている子ではなかったので、親との衝突は激しかったです。高校では本格的に音楽をやりたいと思いました。音楽教室の友達と3年間一緒に過ごしたかったし、習いたい先生がいたからです。

すると父親に「そんな中途半端にやっている子には高い学費は払わん、コンクールで1位になるのが入学の条件だ」と言われました。それで、半年ちょっとの間で受けられるコンクールをすべて受けて全部で1位をとって、賞状を「はい」って見せました。「約束」って。

負けず嫌いなんですよね。それに昔から、好きなように、好きな人たちのために、好きな時間に、自由に弾きたかった。

高校の3年間では、バッハやベートーヴェンなど、小さいころには退屈と思ってしまって手を出せなかった作品をみっちりやりました。一番練習した時期だったかもしれないですね。とにかく猛練習しましたが、その分、失ったものもけっこうありますよ。友達と遊ぶとか、普通の高校生がやるようなことを。

高校3年生のときに出た日本音楽コンクールで運よく1位になれて、それを機に留学したりコンサート活動を始めたり、オファーをいただいてプロデビューもできました。

注目を浴びるようになって気づくことはたくさんあります。自分は怖いもの知らずだったなと。1つのコンサートのために、こんなにたくさんの人がかかわっているんだなと知って、緊張もするようになった。それまでは、舞台袖では緊張していてもステージでは平気だったんですが。

デビューして2年が経ったころ、自分の夢に向かって準備をするべく独立を決めました。音楽しかやってこなかった人間ですので、社会人として仕事をするようになって、知らないことが多すぎると実感したんです。一般常識もですし、確定申告などお金のことも、人との接し方も。

全部用意してもらえて、「あなたはピアノを弾くだけ」というのはありがたいですけど、表舞台に立つ人間として、いろんな人がどうやって支えてくれているかを知ることが必要だと思いました。人と仕事をするというのはとても大事なことだと思うし、音楽を届けるっていうのは、そういうことだと思うんです。

独立する少し前、自分の夢、将来学び舎(学校)を作りたいという夢に向かって始動しました。2018年に同世代の弦楽器奏者を集めダブルカルテットを立ち上げ、翌年には17人の室内オーケストラ(現ジャパン・ナショナル・オーケストラ)にしました。

2021年にはこの室内オーケストラを株式会社化し、スポンサーである企業の応援のもと、奈良を拠点に世界に発信していくために運営を始めました。このオーケストラは、学校を作ったときにとても大切な役割を果たします。

オーケストラや学校を運営していくためには何が必要なのか。多くの優れた人材が必要になる。そのため──自分の夢を実現させるためには、自分自身がもっと有名にならないといけない。

まずは僕がソロのピアニストとして活動して実績を残して、またぜひ来てくれと言われたときに、オーケストラも一緒に行くことができるように。じつは、そのためのショパンコンクールでした。

5年に1度の開催で年齢制限が30歳以下という最後のチャンス。どんなにプレッシャーがあろうと、出るしかなかったし、勝ち取るしかなかった。ファイナリストを目標にしていたので、3次予選を突破したら楽になりました。

用意した17曲すべてを弾けるのは500人のうち12人。その達成感がすごかったです。全部弾けたことにまず感謝。最後は楽しく弾けて、幸せな40分間でした。

コンクールの前はピアノをやめようかなと思っていたこともあったんです。実業家・経営者にシフトチェンジするほうがいいんじゃないかと。それでも、やっぱりショパンコンクールに出たことはとてもよかった。道をひらくためにも必要なものでした。

2位をとれて、とても感謝しています。地球の裏側にいる人からも応援のメッセージをもらったりオファーが来たり、今まで行ったことがないところにもこれから行くことになると思っています。

過程も大事なんですけれども、やっぱり5年、10年と経ってしまえば、だれも覚えていない。コンクールの結果はパスポートみたいなもので、これからこのタイトルを持って、今までは出会えなかった人や、僕のことに気づいてもらえていなかった人とも会うことができると思っています。

 

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