作家の岸田奈美さんは、ダウン症を抱える弟、認知症を発症した祖母、そして大病を克服後から車椅子生活となった母との四人家族。中学生のときに父が急逝、奈美さんは「私が一家の大黒柱にならなければ」と大学時代から学業と仕事を両立しながら、孤軍奮闘してきました。
やがて、笑い飛ばすしかないほどの痛みや悲しみ、抱きしめたくなるやさしさなど、岸田さんを取り巻く悲喜こもごもを、インターネット上で記事コンテンツを手軽に掲載できる"note"で発信し始めます。
つらく悲しい場面であってもどこか温かさを感じる文章に、自身を重ね合わせて、泣き笑いしながら読んだという方も多いのではないでしょうか。
2023年春、新たなエッセイ本『飽きっぽいから、愛っぽい』(講談社)を上梓した岸田さんに、家族間で授受される"愛"について、またご自身の次なる活動についてお話しいただきました。〈取材・文=柴山ミカ、イラスト=セコリ〉
どんな親もどこかで子どもに傷をつけている
母は、弟の「こういうところがいいのよ」とか「こんなところがかわいいの」とか、自分の意見を私に押し付けるようなことを全く言わず、余計な先入観も与えない人でした。
それでも「なんで弟ばっかり」っていう気持ちがくすぶっていた幼い私は(当の本人はよく覚えてないんですけれど)、弟が転ぶとすぐ駆け寄るのに、私には転んでも自分で起き上がるように諭す母に向かって、「私より良太が好きなんや!私なんていらんのやろ!」って泣きじゃくったらしくて。
母は、障害がある弟のことで、いつかいじめに合うかもしれない娘に、強く生きて欲しいと自立心を促したつもりが、「自分は愛されていないのでは」と感じさせてしまったことを猛省したらしいです。
以来、弟には「もう良太が一番好きやで」、私には「奈美ちゃんが一番好きやねん」って、ハグなんかしながらはっきりと伝えてくれるようになりました。それを我が家では「奇跡の二枚舌外交」って呼んでいます(笑)。
どんな親もどこかで必ず子どもに傷をつけていると思っています。暴力や暴言がなかったとしても。そして、誰かと関わるときに、その自分の傷がさらけ出されてしまう。つまり性格を形作っていくわけですよね。
それは、人で埋めようとしてもうまくいかないんですよ。何が原因でこういうことに傷つくのか、どういうときに苦しくなるのか、自分のことを丁寧になぞってわかってあげる。そうやって向き合っていくしかないんですよね。
「あなたのために」は「お前のせいで」と紙一重
大学生になり、福祉系ベンチャーの立ち上げに参画した私は、当時は必死で「車椅子生活になった母のために」という使命感で頑張っていました。ところが、学業との両立は想像以上の激務で、何度も倒れそうな私の姿を見ていた母は「自分のせいで」と、めっちゃつらかったよなって今は思うんです。
愛だと思って懸命に注いでも、実は受け取る側からしたら愛じゃないこともある。「あなたのために」は「お前のせいで」と紙一重なんです。
善意だったはずが、自己犠牲を伴うといつか「お前のせいで」という悪意に変わるかもしれない。もし「あなたのために」って思ったのであれば、どんな困難にあったときでも、相手には絶対言わないという覚悟を貫かないと、と思っています。
エッセイにもいろいろ書きましたが、弟のやさしい行動って、本人がやりたいからやっているだけなんですよ。ダウン症でうまく喋れなくても、気持ちはちゃんと伝わっている。弟と過ごした時間ってやっぱりいいよねって記憶が残っているんです。
相手がやりたいからやっていることが、自分にとってすごく嬉しいことだっていうのが、きっと一番いい関係なんだなって。「あなたのためにやってあげている」っていうのとは、やっぱり違うんですよ。
相手が覚えてもいないような言動で救われたり、心底安心したりもする。受けた側は詳細に覚えているんです。それに気付いてからは、母に愛してもらった分を母に返すというより、いつか受けた言葉が嬉しかったから、私はいつか誰かにそれを贈ろうって。
受け取った愛は、自分のところで止めておきたくない。いいものであればあるほど、次へと流したくなるんです。形を変えてまた別のところで生かすことで、愛が広がっていくほうがいいと思いませんか?