何かと忙しい現代人。特に日本人はせっかちな人が多く、ぼーっとした時間をつくるのが苦手なのだそう。時間に追われてしまうと「テンパって」しまう。テンパると集中力が落ち、仕事やプライベートにまで支障が出ます。
精神科医の西多昌規氏は、この「テンパり」を減らすために、“まとまった”時間を生活の中につくることを薦めている。
※本稿は、西多昌規 著『「テンパらない」技術』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「テンパる」は老若男女にかかわる大問題
「テンパる」という言葉を、若者がよく使うようになりました。当初は多くの若者言葉と同様にすぐに消えていくかと思われましたが、今では年配層にも浸透し、市民権を得てきていると言ってもいいくらいです。
この言葉「テンパる」とは簡単に言うと、
「目一杯の状態になる」
「いっぱいいっぱいになる」
といったことでしょう。日常会話では悪い意味で用いられることが大半です。
「あわてて動揺する」
「焦る」
「のぼせる」
など、余裕のないさまざまな場面で使われるようになりました。
この「テンパり」ですが、いつもバタバタしていて落ち着きがない、予定を詰め込みすぎてスケジュール管理に四苦八苦している、約束には必ず遅れ気味で息を切らせながら登場する……といった状況が想像できます。
「テンパって」くれば、仕事は雑になってしまい、締め切りも危なくなってきます。集中力も落ちてしまい、効率化からはほど遠くなります。残業や休日出勤などで、貴重なプライベートの時間まで侵蝕されかねません。
もっとも危険なのは、「テンパる」ことで、「キレて」怒りを爆発させやすくなってしまうことです。余裕がなくなって自分に歯止めがかけにくい状態になってしまうとも言えます。
「テンパる」は若者用語かもしれませんが、むしろ分別のついたいい歳をした人が「キレて」しまい、せっかくの人生を棒に振ってしまうケースも増えてきています。「テンパる」は老若男女にかかわる大問題といっても過言ではありません。
わたしは、精神科医として患者さんを診療するかたわら、研修医や医学生教育にも携わっていますが、若手医師、学生にも「テンパっている人」は大勢います。かくいう自分自身も、若い頃はかなりの勢いで「テンパって」いたことがもちろんあります。
ベテランとなってきた今現在でも、まったく「テンパらない」わけではありません。
そういうわたしが解説するのはおこがましいかもしれませんが、拙著『「テンパらない」技術』では、わたしなりの臨床・教育の現場からの経験、脳科学、精神医学的な研究の知識から、 「テンパらない技術」について、現代日本の社会的事情も交えながら説明しています。
「テンパらない技術」を知っておけば、まったく「テンパらない」聖人君子になるのは無理かもしれないですが、 「あまりテンパらない人」にはなれます。
テンパってしまったら…「一時戦線離脱」をはかる
古代ギリシャの著述家プルタルコスは、著書『怒らないことについて』の中で、こう記しています。
「泰然自若としていること、それが無理なら静かなところに逃れてそこで休むこと」
どうしても落ち着いていられなくなって「テンパって」しまうようならば、 現場をいったん離脱して一休みする のが、今も昔も良策のようです。
まじめな日本人は、修羅場でもなんとか踏みとどまって解決を、と考えがちです。半泣きになっても、なんとかまとめようというところに、まじめな国民性がうかがえます。
しかし、無理に踏みとどまってあがいていると、かえって感情がエスカレートし、自分ではどうしようもない危険な状態に陥ることもあります。自分はなんとか大丈夫でも、相手がテンパって、キレてくるようならば、誘爆してしまいかねません。
シチュエーションによって異なるでしょうが、少しの時間でも修羅場を離脱できるならば、少し頭を冷やしてくるほうがうまくまとまる確率が上がると思います。
■いちばん簡単で実行しやすい離脱方法は?
相手が断りにくい理由で、中座するのが賢明です。お腹が痛くなって「トイレ」が、いちばん難癖をつけづらい理由でしょう。現実に、ストレスの影響をいちばん受ける臓器は、胃や腸などの消化管なのですから。
構成員が一人抜けることで、修羅場の雰囲気も多少変化する場合があります。もちろんさらに険悪に……という場合もありますが、まずは自分が少しクールダウンすることで、修羅場にいい変化を与える可能性もあるわけです。
「テンパり」は伝染すると言いましたが、落ち着きも伝染する要素を持っています。だれかが落ち着けば、事態打開の道は開ける可能性がアップするのではないでしょうか。
自分の怒りの沸点に近づいた、まさに「テンパってしまった!」ときには、とにかくその場からの離脱を試みましょう。現場で爆発して炎上するよりは、トイレで壁に当たっていた方が、被害を最小限に防げます。
氷上の格闘技と呼ばれるアイスホッケーでは、選手同士が熱くなる場面がしばしば見られます。ラフプレーをして反則を取られると、リンク外に一時的に出されてしまいます。「そこで頭をちょっと冷やして出直しなさい」ということですね。
「テンパっている」場面でも応用できるのが、このテクニックです。逃げ出すのはなかなか難しいとおっしゃるかもしれませんが、そのあたりのズルさは持っておきたいものです。
離脱中に、自分の高まった興奮の熟を下げておきましょう。その方法は、あなたのお気に入りのものでかまいません。いったん離脱したあとが、勝負といっていいでしょう。
ただし、このテクニック、使いすぎはおすすめできません。逃げてばかりでは、信頼を失ってしまいますし、現代のプルタルコスの祖国のようにたいへんなことになってしまうかもしれませんよ。
テンパらないために…週に一度は「まとまった時間」を作る
ビジネスや勉強法の本では、「コマギレ時間」の使い方を強調している本が目立ちます。ビジネスパーソンから主婦、学生まで、現代人は多忙です。まとまった時間を取ろうとするのは絵に描いた餅で、現代人には結局用事のスキマにあいた「コマギレ時間」しか取れないのかもしれません。
それでも、あえてわたしは「まとまった時間」を、週に一度は取ることをおすすめします。理由はシンプルで、じっくり思考を重ねる、ゆったりリラックスしてアイデアを練る、といったことは、「コマギレ時間」ではムリだからです。
「わたしはコマギレ時間を使うのも下手だから」と謙遜される人もいるかもしれませんが、たとえば電車に乗っている人を見てください。みなさん俯(うつむ)いて本や新開を読んでいたり、携帯かスマートフォンを見ていたりする人がほとんどです。「コマギレ時間」を、駆使している人々です。
日本人は、せっかちです。ちょっとの空いた時間をなにもしないでボーッと過ごすのが苦手な人が多いように思えるのです。
しかし、「コマギレ時間」ばかりを使った仕事、勉強では、限界が見えてきます。たとえばわたしの場合、一般書の執筆やメールの返信などは、まさに「コマギレ時間」をフル活用すべき内容です。
しかし、学生への講義の準備や、特に学術論文を執筆するときは、「コマギレ時間」では不可能です。論理的な組み立て、文献を当たる、図表を工夫するといった作業は、まとまった時間単位が必要だからです。
したがって、ノイズを断って、じっくり時間を確保したうえで取り組むようにしています。取りかかって2、3時間ほど進めたところで、ようやく軌道に乗ってくるのです。
学者にとってまとまった時間が必要なように、経営者をはじめビジネスパーソンにも、将来の構想やアイデアなどを練るための、まとまった時間をキープすることが必要です。「コマギレ時間」の使い方ばかりに目がいっていては、アイデアのスケールが小さくなってしまいます。
■「コマギレ時間」の奴隷にはなってはいけない!
「コマギレ時間」は、いつも時間に追い立てられて「テンパっている」、精神的に貧困な現代人を象徴している概念なのかもしれません。「コマギレ時間」をうまく活用するのは現代人にとって必要ですが、「コマギレ時間」の奴隷になってしまってはいけません。
週のうちできれば平日に、平日が難しければ休日でも、じっくり静かに考え事をしたり読書をしたりできる時間枠を、キープしましょう。
ゆったり好きな音楽を聴いてコーヒーを飲みながら、ハードカバーの本を読んだり将来の構想を練ったりと、「コマギレ時間」ではできないことを試みるのです。
10分の「コマギレ時間」を10回繰り返すのと、100分をまとめて使うのとでは、経過時間は同じでも質は明らかに異なります。
戦国武将の武田信玄は、トイレの中で戦略や国内統治について熟考を重ねたと言われています。いざ戦場では「コマギレ時間」の活用の名手だったと思いますが、雑音を断ちきってじっくり考えることの重要性は、戦国時代もネット時代の今も共通していると思えるのです。