「本当は27番がよかったんですけど...」会見で見せた、大谷翔平とトラウトの関係性
トラウトとの友情
大谷の向かいで右側のロッカーを使っているマイク・トラウトが、ミニバスケットゴールにシュートを始めると、すぐに大谷も加わって競い出す。
ジャンプシュートのフォームが、大谷にとってのウォームアップにもなる。そしてトラウトにロッカーの近いジャスティン・アプトンが割って入り、トラウトを下してシュート大会を制する、という光景もロッカールームの一幕だ。
トラウトは、その太い腕をしょっちゅう大谷の肩に回すことで知られている。二人はスプリング・トレーニングでも一緒にいることが多く、トラウトの運転するゴルフカートに大谷が飛び乗ってグラウンドを走りまわる姿も見られた。
顔を合わせるとすぐに笑みを交わす二人の友情は、大谷の入団前から始まり、強固なものとなった。自身の結婚式の準備で忙しいはずのトラウトが、ビデオ通話で大谷に入団をすすめてきたという経緯もある。
このことに大谷は心を動かされ、以来エンゼルスのスター選手と注目の新人選手のあいだに絆が生まれた。トラウトは自分以外の選手がスポットライトを浴びても妬んだりせず、大谷の入団を心から喜んだ。
大谷ものちに、トラウトを祝福することになる。すっかり彼と親しくなっていた大谷は、入団会見の際にトラウトの結婚を祝うコメントを述べ、さらにとっておきの一言を放つ。
なぜ背番号17番を選んだのかと訊かれると、トークショーのコメディアンのように、「本当は27番(トラウトの背番号)がよかったんですけど、埋まっていたので17番にしました」と言ったのだ。
会場は爆笑に包まれ、大観衆は一人残らず笑顔になった。カテラ通りを1マイルも行けばディズニー・リゾートがある街で、大谷はこの日エンゼル・スタジアムを夢と魔法の国に変えたも同然だった。
大谷は野球史に新たな軌跡を残すべく、エンゼルスのユニフォームを着て歩み出した。
このチームはジーン・オートリーを始め、ボー・ベリンスキー、ディーン・チャンス、ジム・フレゴシ、クライド・ライト、アレックス・ジョンソン、ノーラン・ライアン、ロッド・カルー、レジー・ジャクソン、ヴラディミール・ゲレーロといったスターを生み出してきた。もちろんマイク・トラウトも偉大な先人たちと肩を並べることだろう。
先人たちの足跡は確かにこのチームに残されている。誰もがエンゼルスのユニフォームを着ることに誇りを持っていたが、それは1930年代にベーブ・ルースのルームメイトだったジミー・リースにとっても同じだっただろう。
ベーブ・ルースの再来と言われる大谷を、エンゼルスの元コーチであるリースが目にしていたらどうなっただろうか。92歳でこの世を去るまで、得意のノックに精を出していた陽気なリースは、誰よりも大きな声で大谷に声援を送っていたに違いない。
オフシーズン、にわかに期待を高めて騒ぎたくてたまらないエンゼルスファンも、スタジアム前で行われた大谷の入団会見の前には静まり返らねばならなかった。
しかし、すべての人々の記憶に残るあの6語を耳にしたあとは、誰一人として歓声を抑えることはできなかった──"ハイ、マイ・ネーム・イズ・ショーヘイ・オオタニ"