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うつ病、パニック障害...心の病をつくる、進化した「人間の想像力」

広岡清伸(精神科医)

2024年07月10日 公開 2024年12月16日 更新

現代には、うつ病やパニック障害、統合失調症など様々な「心の病」があり、発症となる要因も仕事や人間関係など様々です。誰にでもなるリスクがあるなかで、一体どんな仕組みで私たちは「心の病」を発症してしまうのでしょうか? 精神科専門医で広岡クリニックの理事長を務める広岡清伸氏のお話を、書籍『心の病になった人とその家族が最初に読む本』からご紹介します。

※本稿は、広岡清伸著『心の病になった人とその家族が最初に読む本』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

ネガティブとポジティブのせめぎ合いから、心の病が生まれる

さて、心とは何でしょうか?

患者さんにもよく聞かれることですが、私は、「心とは、著しく発達した脳である」と話しています。脳には、恐れや怒り、喜び、悲しみ、驚きといった感情をつくる「情動中枢」や、呼吸や心拍、体温、消化、排尿・排便といった生命活動をコントロールする「自律神経中枢」など、私たちが生きていくために必要なあらゆる機能を支えるシステムがあります。

「心」とそうした脳のシステムは密接に関連しています。このことがよくわかるのが、心の病によって体に現れる症状です。眠れなくなったり、食欲がなくなったり、おなかがゆるくなったり、吐き気がしたり、ふさぎこんだり、心臓が異常にドキドキしたり......。

クリニックを訪れる患者さんも、そうした症状をよく口にします。私たちは、この心を起点にして、ものごとを考えたり、感じたり、誰かと話したりしています。

私は、心には2種類あると考えています。ポジティブな成分である「平常心」と、ネガティブな成分である「不安心」。自分の心の中で、2つのうちどちらが中心にあるかということで、ものごとのとらえかたはまったく変わります。

自己の中心が平常心にあるときは、ものごとをポジティブにとらえたり、考えたりしますが、不安心にあるときはネガティブにとらえたり、考えたりします。どちらが楽しく生きられるかといえば、もちろん平常心です。

だからといって、不安心が不要というわけではありません。自己の中心が平常心にあり続けると、危機管理ができなくなるからです。自己の中心が不安心にあるからこそ、危ないものや怖いものなどに気づき、対策を考えられます。不安心には、私たちが安全に生きるための警報装置の役割があるのです。

「平常心」と「不安心」そのどちらが中心になるのかを決める条件のひとつは、そのときの感情や体調などです。心は情動中枢や自律神経と連動しているため、気持ちが前向きだったり、体調が良かったりすれば自己の中心は平常心にあるし、逆なら不安心にあります。体調がいいときは優しいのに、悪くなると不機嫌になる人がいるのは、そのためです。

そしてもうひとつは、人生における様々な経験を通じて、平常心、不安心のどちらが自分の中で大きくなっているのか、ということです。

極端に差があると、大きいほうが中心になる確率が高くなります。つまり、不安心の成分が大きくなればなるほど、自己の中心が不安心にあることが多くなり、ものごとをネガティブにとらえたり、考えたりすることが多くなるということです。それが、病んでいる心の状態です。

 

不条理な人間社会に生きる私たちは、誰でも心の病になるリスクがある

心の病の元凶となるのは、心の中で大きくなっていく不安心です。平常心も、不安心も、生まれてからのさまざまな経験を通して蓄積されていく記憶によってつくられます。楽しかった、うれしかったといったポジティブな記憶が多くなれば平常心が大きくなるし、裏切られた、怖かったなどといったネガティブな記憶が多くなれば不安心が大きくなります。

そういう意味では、心の病は、人として生まれ、生きてきたことによって発症する、「生活者の病」と言えます。不安心は大きくなっても困りますが、まったくなくなっても困ります。上記で述べたように、危機管理ができなくなるからです。それでは、私たちは、いつから不安心を持つようになったのでしょうか。

それは、地球上に人類が誕生したときからです。地球上の表面にはびこるように形成された生物界は、強いものが弱いものからエネルギーを奪って生き残っていく、弱肉強食という不条理な世界です。そこには、危ないことや怖いことを認識する不安心は欠かせない成分です。

これを触ったら熱かったから、触らないようにする。あの動物に噛まれたら痛かったから、次は逃げる。危機を危機と認識できないと、すぐに命を落とすことになります。

つまり、不安心とは、生存を脅かされることで生まれるものなのです。ただし、この頃の不安心は、心の病をつくるほどのものではありませんでした。というのは、生存競争に勝ち残るためだけの成分だったからです。生存本能だけで生きていた時代は、おそらく、心の病など存在しなかったと考えられます。

 

他者への想像力が不安心を増大させる

他の動物と比べると小さく、力も強くない人類が、不条理な生物界の中で生き残ってきたのは、著しく脳が進化し、知覚領域を超える思考力を身につけたからです。それを、私たちは想像力と呼んでいます。想像力を獲得したことで、未来のことを考えられるようになり、相手のことを考えられるようになり、生存競争を勝ち抜くための戦略が一気に進化します。

相手の動きを読んでわなを仕掛けたり、手に入る材料で武器をつくったり、戦況を分析して守ったり、攻めたり......。想像力を駆使することで、ただ相手を力でねじ伏せればいいと考える他の動物たちの脅威に打ち勝ってきたのです。

人類が進化の過程で獲得した、この想像力が、実は、心の病をつくる大きな要因にもなりました。というのは、生存競争に勝ち残るための想像力を、敵である他の動物だけでなく、協力して戦ってきた仲間にも働かせるようになったからです。

想像がポジティブなものなら、愛情が深まり、連帯感が強くなり、信頼感が増します。逆にネガティブなものなら、猜疑心が生まれたり、不信感が芽生えたりします。ちょっとした相手に対する怒りが、恨みや憎しみに変わることもあります。

想像力が心の病をつくることになったのは、想像力を働かせることで、ポジティブな成分も、ネガティブな成分もより強くなったからです。要するに、平常心、不安心ともに肥大化させることになったのです。

心にとって平常心の肥大化はうれしいことですが、不安心の肥大化はネガティブ思考を深刻にします。不安心が大きくなれば、それだけ自己の中心が不安心にあることが多くなるからです。

そもそも想像力は、人を不安にさせるものです。なぜなら、想像力を働かせて未来のことや相手のことを考えると、わからないことだらけだと気づくからです。人間は、知らないことに対して、不安や恐怖を感じやすいところがあります。

みなさんにも、知ることで不安が消えた、怖くなくなったという経験があると思います。私たちは、人に対しても、社会に対しても、それだけ想像力を働かせて解釈するところがあるのです。

 

病の発症を抑えるためには「平常心」の強化が重要

精神科医が行う心の病の治療は、不安心の肥大化を抑えながら、弱っている平常心を強くしていくという戦略になります。心の病から回復するには、どちらも欠かせない治療です。

不安心の肥大化を抑えるためには、「心の病は脳の病である」という視点からのアプローチが必要になります。

具体的な治療方法は、「薬物療法」です。薬を使って、脳の神経の働きを正常化し、脆弱化している脳の機能を回復させることで、情動中枢の異常反応をなくします。平常心が弱体化していない場合は、脳の状態を整えるだけで症状がおさまる場合もあります。

実際、薬物療法だけで社会復帰されている人はたくさんいます。「心の病は心の病である」と言う専門家の中には、薬は効果がないという人もいますが、脳の機能が回復するだけでも発症のリスクは減ります。

弱っている平常心を強くするのが、「心の病は心の病である」という視点からのアプローチになります。具体的な治療方法は、「精神療法」です。医師が患者さんのポジティブな成分に働きかけて平常心を大きく、強くします。

平常心を強くするためにも、薬物療法は必要です。というのは、不安心の肥大化を抑えられると、平常心に自己の中心があることが増えるからです。ポジティブにものごとをとらえられる状態でなければ、患者さんの平常心を大きくすることはできないのです。

「心の病は脳の病である」と言う専門家に抜け落ちているのは、脳の機能は回復しても、心に蓄積されている不安心が消えているわけでも、小さくなっているわけでもないということです。

とくに重い症状が現れている人は、日常生活を送れるようになっても、なかなか消えないし、小さくなりません。そのため、薬で症状がいったんおさまっても再発することになるのです。平常心を強くするという点では、薬は無力なのです。

薬物療法と精神療法の効果を同時に得られる治療。それは、「環境療法」です。

医師としては、職場でのストレスが原因と考えられるなら、「誰かにカバーしてもらいましょう」「有給休暇を使って少しのんびりしましょう」「思い切ってしばらく休職してはどうでしょうか」などとアドバイスすることしかできませんが、環境を調整することで脳の疲労を回復させたり、平常心を強くしたりすることは可能です。

私は、心の病からの回復には平常心の強化がもっとも大事だと考えています。心の病をつくる不安心をどうやって小さくするか、どうやって消すかに着目したくなりますが、自己の中心が不安心にあっては、何をやっても患者さんはポジティブに受け取れないからです。

平常心で生きる力をつけてもらいたい。それが、私の治療の基本方針です。その結果、不安心が心に与える影響が小さくなり、だんだん形骸化していって、気がついたら消えてしまっている。そうなっていく患者さんの姿を、私は毎日のように見てきています。ただし、平常心を強化していくのは、あくまでも患者さん自身です。精神科医は、それ支援する立場なのです。

 

著者紹介

広岡清伸(ひろおか・きよのぶ)

精神科医

精神科専門医、指導医、精神保健指定医。広岡クリニック理事長。富山県高岡市出身、早稲田大学中退、日本大学医学部卒業。東京大学医学部付属病院研修医、堀ノ内病院、関東労災病院などを経て1992年に横浜市港北区に広岡クリニックを開設。患者の目線に立って治療する独自の「肯定的体験療法」が評判を呼ぶ。今まで診察してきた患者は1万人を超える。著書に『日本の臨床現場で専門医が創る図解精神療法』(鳥影社)、『広岡式こころの病の治し方』(日経BP社)などがある。

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