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生き方

現実をドラマと捉える...松下幸之助も語った「何をしても上手くいかない状況」の乗り切り方

高橋宏和(量子力学コーチ)

2024年10月11日 公開

人生を歩んでいれば、一度は"どん底"の状態に陥ってしまうこともあるかもしれません。量子力学コーチの高橋宏和氏は、そんな時は感情と出来事を切り離して考えることが有効と話します。

著書『【量子力学的】運命をひらく7つの習慣』では、人生を好転させるための習慣が紹介されています。その中の一節をお届けします。

※本稿は、高橋宏和著『【量子力学的】運命をひらく7つの習慣』より内容を一部抜粋・編集したものです。

 

すべての出来事を柔軟にとらえる

水が器に合わせて柔軟に形を変えるように、出来事も柔軟にとらえるようにしましょう。ものの見方を柔軟にとらえることで運命がひらかれていきます。

ただ、人間にはこのときに邪魔をしてくるものが備わっています。それが「感情」です。ある1つの出来事には必ず感情が伴ってやってきます。ゆえに人間は、「この出来事があったから、こんな感情になった」と出来事をとらえてしまいます。

その感情がポジティブであれば良いこと、ネガティブであれば悪いこととして表出してしまうのです。
例えば、雨が降ったとします。誰かと出かけようとしていた(デートの予定がある、バーベキューを開催する、バイクでツーリングに行くなど)場合、その雨はテンションが下がる原因になります。逆に、日照り続きの農家の人にとっては恵みの雨で、感謝の対象となるでしょう。

ですが、「雨が降った」という出来事そのものには、良い・悪いはありません。ただ、雲の動きでそのタイミングにその場所で雨が降っただけで、ニュートラルなものです。ということは、出来事に良い・悪いのレッテルを貼っているのは、私たち人間側ということになります。

そして悪いことでいえば、すべての出来事をネガティブに考えるとネガティブのスパイラルに陥ってしまいます。「明日は出かける予定がある→雨が降って最悪だ→自分はツイていない(運が悪い)→ツイていない自分は何をやってもうまくいかない」というループがいつの間にか形成されてしまうのです。

ですから、まず大事なのは「出来事」と「感情」を分離することです。一旦は出来事をニュートラルなものとしてとらえる――これが第一のステップです。

 

万物は陰と陽。必ず「もう1つの側面」が存在する

いきなり「ニュートラルにとらえる」といわれると、ハードルが高いと感じるかもしれません。そう簡単に感情は切り離せないものだからです。

それならば、ある出来事に対して感情が生まれるとき、あるいはその前の時点でも、すべての物事には「もう1つの側面」があると考えてみてください。「明日は我が身」や「人間万事塞翁が馬」というように、幸が不幸に、不幸が幸にいつ転ぶかがわからないので、一喜一憂しないようにすることです。

ここで、目に見える世界と見えない世界について考えてみましょう。目に見える世界は「陽」であり、目に見えない世界は「陰」です。

世の中はすべて「陰と陽」でできており、必ずもう1つの側面があります。上に示したものは「陰陽太極図」といわれるもので、白が「陽」、黒が「陰」を表しており、天地万物あらゆるものは陰と陽のバランスによって成り立っていることを示しています。

世の中はまさに、この太極図のようにできているのです。ですから、まずは出来事に対して感情が起こったとしても、一旦落ち着いて、「その出来事のおかげでどんなもう1つの側面があったか」を考えるようにしてみましょう。

例えば、子供の頃にいじめられた経験があったとします。これはとてもネガティブな出来事だと思いますが、一方でいじめられる人の気持ちがわかったり、優しくなれたりします。

乗り越えることができれば、将来はいじめで困っている人を助けたり、撲滅運動のような使命にもつながっていったりするかもしれません。

一見するとネガティブな出来事が、世の中の役に立つ糧になり得ることもあるのです。このように、出来事をプラスにもマイナスにもとらえる量子思考の考え方は、柔軟そのものです。一側面だけではなく、いろいろな観点から見ることでモノの見え方は変わってくるのです。

 

陽中の陰、陰中の陽でどん底からも脱出する

「考え方はわかったけど、それでもどん底にいる人には通用しないだろう」

ここまで読んでみて、そんな風に思われたかもしれません。確かに、柔軟になるといっても、どん底状態の人はその境地にはなれないかもしれません。「もうダメだ」「人生これまで」と感じてしまったときに、いきなり出来事と感情を切り離すのは難しいでしょう。

少し私の話をすると、2023年に仕事でニューヨークへ行きました。その際に不注意で私は眼鏡を踏み壊してしまいました。私の視力は0.01なので眼鏡がないと何も見えません。作り直すにもレンズがなく、日本に帰るまでそのまま過ごさなければいけなくなりました。

さらに、レストランで食事をしているときに、シーフードを食べた直後に歩けなくなり、その後、車いす状態になりました。そのままニューヨークで3日間を過ごすことになり、予定していたことが何も楽しめなくなってしまったのです。

結局、日本に帰ってからクリニックで検査などをしましたが、原因不明でした。その後、足の裏が膿んでいることがわかり、治療して歩けるようになりましたし、眼鏡も作り直しました。ですが、ニューヨークで過ごした3日間はまさに、どん底の精神状態でした。そのとき、私が考えたのが「陰中の陽、陽中の陰」でした。

先ほどの太極図を思い出してください。陰陽それぞれの中に魚眼のような白丸と黒丸が描かれています。これが陰中の陽、陽中の陰で、「どん底でもうダメだと思ったときの救いの手」を表しています。

ネガティブで、どん底で苦しい中でも必ずそこには陰中の陽があり、それに気づければ陽転させることができます。私の場合は、「目の不自由な人の気持ちを知る機会」「足の不自由な人の気持ちを知る機会」と考えました。

結果的に助かったので「結果論ではないか」と思われるかもしれませんが、それでも陰中の陽に気がつかないと終わってしまうので、あきらめずに陰中の陽があることを知り、アンテナを張ることが大事なのです。

 

この世界は「仮想空間」と考えてどん底を乗り切る

どん底を乗り切るためのもう1つの考え方は、この世界を「仮想空間である」ととらえるやり方です。

世界が仮想空間である可能性については、拙著『「量子力学的」強運の方程式』(SBクリエイティブ)に詳しく書きましたので、ここでは一部を紹介します。

オックスフォード大学のニック・ボストロム教授が提唱した「シミュレーション仮説」では、人類が生活するこの世界はすべて「シミュレーテッド・リアリティ(現実と区別がつかないレベルでシミュレートが可能)である」としています。

原子の構造の話を思い出してもらいたいのですが、原子の中心には原子核があり、その周りを電子がグルグルと回っています。原子のサイズは 10−8cm(10の−8乗/約1億分の1cm)の大きさしかなく、原子核はさらに小さく10−13cm(10の−13乗/約1兆分の1cm)の大きさしかありません。

原子のサイズを東京ドームだとすると、原子核はパチンコ玉1個分くらいのサイズです。残りは空洞で、原子の99.9%はスカスカの状態といえます。

つまり、実態は"あるようでない"のです。そして、この世界の実態は、あるようでない現実と区別がつかないレベルでシミュレートされた世界だと考えれば、どんなことが起きても「シナリオ上のイベントに過ぎない」と考えることができます。

松下幸之助さんも、やりきれないときの心の持ち方の1つとして、「現実の社会というものを、一つの芝居、ドラマと考える」といっています。さらに、松下幸之助さんは「波瀾万丈手に汗にぎるといった芝居のほうが見ていて面白いのはいうまでもありません。(中略)無事平穏な世の中で演じられるよりも、激動の社会を舞台にくり広げられるほうがはるかに興味があり、味わい深くもあるでしょう」と
もいっています。

もちろん、だからといって現実に起こっている状況や感情は仮想ではありません。ですから、どん底でいいというわけではなく、最悪のときにそう気づけることで打ちひしがれずに済む、ということなのです。

 

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