上村愛子さんが振り返る現役時代 「メダルには届かなくても、一片の悔いもない」
2025年01月15日 公開
元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表の上村愛子さん。5回のオリンピックでメダルには届かなくても、心から「やりきった」と思えた理由とは? お話を聞きました。(取材・文:鈴木裕子)
※本稿は、月刊誌『PHP』2024年1月号より、一部編集・抜粋したものです。
一片の悔いもない
現役を引退して、今年で10年になります。当時、取材を受けるたびに「一片の悔いもない」と答えていましたが、今振り返ってみても、その言葉に嘘はありません。
スキーを始めたのは3歳のとき。両親が長野でペンションを経営しようと引っ越した先がスキー場に近かったこともあって、自然と滑るようになりました。性格的にのめり込むタイプなのか、滑ることが楽しくて夢中になって、暗くなるまでずっと滑っていたことを覚えています。
小学生のころからアルペンスキーを続けていましたが、中学2年生のときに家族で旅行に行ったカナダで、フリースタイルスキーのモーグルの世界大会を見たことをきっかけに、モーグルに転向しました。単純に「かっこいい!」と思ったんです。
当時、日本ではモーグルをやっている人は少なく、同世代の子はあまりいませんでした。そんな中で、4年後の長野オリンピックに出場する選手を探している、長野の子を強化したいということで、スキー連盟の方から声をかけていただきました。
いきなりトップの選手たちと一緒に練習をさせてもらい、競技会にもどんどん連れていってもらうという、最高に恵まれた環境の中で、モーグル選手としての日々が始まりました。
毎日一つひとつ進歩していく
モーグルとは「コブ(凹凸)」のことで、コブが深い斜面を、ターンや空中でのエア演技をしながら滑っていく競技です。スピードが求められるアルペンスキーとの違いに最初はとまどいましたが、「このコブを越える」という目標が目の前にあるので、昨日越えられなかったコブが今日は越えられた、明日はあのコブも越えられるはず......と一つひとつ進歩していく自分が実感できるのがうれしかったですね。
また、リフトに乗っている人が、コブをビュンビュン越えて滑っていく子供を見たら、「すごい!」と思うだろうなって、半分目立ちたい気持ちもあって(笑)、どんどんハマっていきました。
モーグル競技自体、自分に向いていたのだと思います。国内だけでなく海外の大会でも上位に入賞できるようになり、1998年の長野オリンピックに出場できることが決まったときは、自分でもびっくりしました。そして、自分自身はもちろん周りの人たちの期待も上回る7位入賞という結果を出すことができたのです。
ただ、それまでは単純に「楽しい、おもしろい」という気持ちで滑っていたのが、周囲の期待が大きくなるにつれ、プレッシャーを感じるようになりました。なかなか思うような結果を出すことができない時期が続いて苦しんだこともありました。
でも、「ダメかもしれないけど、がんばろう」という気持ちになったことは一度もありません。「いつかは金メダルを」という強い思いでいました。オリンピックでメダルに届かなくても、4年後にまたチャレンジできるという状況を前向きにとらえ、自分を信じて「次もきっと出場する」と。修正点を見つけて、それを一つひとつクリアして練習に励んでいました。
そうやって20年間、モーグルという競技を続けてこられたのは、若いころは「次はメダルを獲れる」という若さゆえの自信がありましたし、何よりも競技を続けるほどにモーグルの奥深さを知ったからです。
モーグルは採点競技なので、たんに上手に滑ることができればいい、技が決まればいい、というものではありません。それを審査員がどう評価するかが重要なのです。競技を続けていくうちに、技の見せどころがだんだん理解できるようになり、審査員からいい評価をもらうにはどうすればいいのかを考えるようになりました。
モーグルは場所やコースによって雪質やコースの固さが変わりますし、毎回滑るたびに天気や気温も変わります。そういう状況の中で、いかに納得のいく滑りをし、なおかつ高い評価を得るにはどうすればいいのか。
そのためのトレーニングの仕方、食事、メンタル面のコントロールなど、パズルのピースを一つひとつ集めてつなぎ合わせていく感覚が、とてもおもしろかった。
それが、モーグルをやめなかった大きな理由だったのではないかと思います。
心から「やりきった」と思えた
私は、5回もオリンピックに出場しながら、結局、どの色のメダルも獲ることはできませんでした。多くの人は「オリンピックに出たら、メダルを獲れないと地獄なんじゃないか」なんて思うかもしれません。
でも、最後となったソチオリンピックが終わったときは、心から「やりきった」「ここまでがんばってきてよかった」と思えたのです。とてもすがすがしい気持ちでした。
ソチの次のオリンピックとなると、私は38歳。その年齢での出場は叶わないだろうなと思っていました。体力的にむずかしいということもありましたし、若い選手がどんどん出てきて、審査員も彼らが見せてくれる新しい技に期待している。たとえ自分がベストを尽くしても、必ずしもいい評価は得られないかもしれないという思いがありました。
だから、「ソチが最後、今度こそ金メダルを獲りにいく」と意気込み、自分でもこれ以上はできないと思うくらいの準備を積み重ねることができました。
競技当日は、自分のすべてをかけ、納得のいく滑りができました。だから、負け惜しみでも何でもなく、「やりきった」と思えたのです。結果は4位で、あと一歩というところでまたしてもメダルには手が届きませんでしたが、自分で考え、自分の体と心を作り、技を作ってきて「ようやく最後にオリンピックで戦える選手になれた」という喜びが大きかったのだと思います。
現在は、直接モーグルに関わる機会は少ないのですが、オリンピックの際には解説のお仕事をいただいたりしています。新しい技を次々と生み出す若い選手たちの演技を見るのは大好きで、モーグルのワールドカップが開かれると、テレビの衛星放送にかぶりつきで昼夜逆転の生活が続きます。
また、スキー競技をしていた人が集まって「雪を守りたい」と立ち上げた、一般財団法人冬季産業再生機構のアンバサダーとして活動をしています。昨年は、その一環として『ゆきゆきだいすき』という絵本の作画を担当させていただきました。
引退後は東京で暮らしていたのですが、コロナ禍をきっかけに長野の山に行く機会を増やしました。リフトを使わず自力で登って、自然のままの地形を滑るバックカントリースキーを楽しんでいます。また、現役時代から好きだった写真を再開し、すばらしい雪山の景色に出会った驚きを撮影して、SNSで発信したりしています。
私はやはり、スキーを履いて滑ることがいちばん好きで、どんな形であってもスキーや雪に関わっていたいんでしょうね。スキーや雪に嫌な思い出がまったくなくて、「一生好き!」と思えるのも、あきらめずにモーグルにチャレンジし続けたからこそなのだと思っています。
【上村愛子(うえむら・あいこ)】
元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表。1979年、兵庫県生まれ。3歳からスキーを始める。'94年にアルペンスキーからモーグルに転向し、'98年から2014年まで、オリンピックで5大会連続入賞。'08年、ワールドカップ年間総合優勝、'09年世界選手権優勝。