
15歳でのプロ宣言からわずか2年で車いすテニスの四大大会で優勝。パリ・パラリンピックでも金メダルを獲得し、世界ランキング1位の座に輝いた車いすテニス界のニューヒーロー、小田凱人(おだ・ときと)選手。
9歳の時に左股関節に骨肉腫を発症し、つらい闘病生活を送っていました。しかしある日、「車いすテニス」と出会ったことで運命が大きく変わります。書籍『夢を持つ、夢中になる、あとは かなえるだけ 車いすテニス小田凱人』より当時のエピソードを紹介します。
※本稿は、小田凱人監修,秋山英宏著『夢を持つ、夢中になる、あとは かなえるだけ 車いすテニス小田凱人』(Gakken)を一部抜粋・編集したものです。
スポーツ用車いすに、初めて乗る
凱人の運命を大きく変えるできごとがありました。
名古屋医療センターでは、一か月に一度、パラスポーツの体験会を開いていました。「障害があっても、スポーツができるんだよ」と、子どもたちに伝えるイベントです。病気とたたかう子どもたちに、元気を取りもどしてほしいという願いをこめて、おこなっていました。
このイベントで、凱人は、初めてスポーツ用の車いすに乗りました。いっぱん用の車いすは背もたれが高く、補助する人が車いすをおすためのグリップもついています。スポーツ用車いすには、それらがなく、競技をするためだけに作られています。
タイヤは、「ハ」の字に角度がついています。ななめにタイヤを付けることによって、ターン(向きや進む方向を変えること)がしやすくなります。タイヤの外側にはハンドリムがあり、プレーヤーはこれを回して車いすを走らせます。このことを「こぐ」ともいいます。
この日、入院していた患者さんたちが体験したのはフライングディスクでした。ディスク(円ばん)を投げて、得点を競うものです。凱人が夢中になったのは、ディスクを飛ばすことより、スポーツ用車いすに乗ることでした。
(ずんずん進むな。)
凱人は、その乗り心地におどろきました。ふだん、病院の中で乗る車いすとはちがって、少しこぐだけでスピードが出ます。また、「ハ」の字になったタイヤのおかげで、車いすをターンさせやすいのです。
最初は、抗がん剤治療のための点てきをつけたまま、かんごしさんが、車いすをおしてくれました。まだ、足がよく曲がらなかったので、のびた足が、ういたじょうたいでした。それでも、凱人は、車いすに乗るのが楽しくてたまりませんでした。
ただ、点てきがあると、どうしても車いすを動かしづらくなります。凱人は病院の先生にたのみました。
「点てきを外してください。」
「治りょうだから、外すわけにはいかないよ。」
「どうしたら、外してくれますか。」
凱人はかんたんには引き下がりませんでした。抗がん剤を体に入れたら、できるだけ早く、にょうといっしょに体から出さなくてはなりません。そのために、点てきで水分をたくさんとるのです。
お医者さんは凱人に説明し、「点てきの代わりにスポーツ飲料をたくさん飲むなら、外してもいいよ」といってくれました。もちろん、凱人はこう答えました。
「飲みます!」
凱人はもともと、人にああしてほしい、こうしてほしいと、ねだる子どもではありません。でも、このころから、お医者さんに「これだけがんばったら、○○をしてもいいですか」と、きくようになりました。それくらい、スポーツ用車いすに乗りたい、体を動かして遊びたいという気持ちが強かったのです。
小さいころから活発で、BMXも乗りこなしていた凱人にとって、スポーツ用車いすに乗るのは、それほどむずかしいことではありませんでした。
スポーツ用車いすは、曲がったり、回ったりする操作がしやすかったので、乗りこなすむずかしさよりも、楽しさが上回っていました。
まさしく、自転車やスケボーに乗るときと同じ感覚です。じょうずに操作すれば、車いすがそのとおりに動いてくれるので、楽しくてなりません。「ハ」の字にタイヤがついた車いすは、「マシン」という言葉がぴったりでした。
(車いすって、かっこいい。これだな!)
こうして、スポーツ用車いすは、凱人にとって大事な仲間になったのです。
心をつかんだ国枝選手のプレー
名古屋医療センターでリハビリを担当していたお医者さんは、スポーツが好きで、パラスポーツについての知識も豊富でした。先生は凱人がサッカーをしていたことも知っていました。そこで、パラスポーツに興味を持つにちがいないと考え、車いすに乗っておこなう競技について、教えてくれました。
(おれは、つえがあれば歩けるから、ふだん、車いすには乗らない。なのに、車いすを使うスポーツをしてもいいの?)
パラスポーツについて、いろいろ教えてもらった凱人は、まず、そのことにおどろきました。
下半身に発生した骨肉腫では、手術で足を切断しなければならない人もいますが、手術のあと、つえを使わずに生活している人もいます。凱人も、病院内では車いすに乗っていましたが、リハビリをおこない、つえを使って歩くことができるようになっていました。
「下肢(足)に障害のある人は、車いすに乗って、パラスポーツができますよ。」
先生が教えてくれました。
パラスポーツには、下半身に障害がある人が車いすを使っておこなうものがいくつかあります。選手たちの障害の種類はさまざまで、日常生活でも車いすを使う人もいれば、ふだんは義足をつけている人もいます。さらに、車いすを使わずにテニスをする人もいます。これは「立位テニス」として、世界大会もおこなわれています。
(やれるっていうんだったら、やるしかないでしょ!)
車いすを使ってスポーツができるとわかった凱人は、次のしゅん間には、自分もちょう戦してみたいと強く思いました。もともと、部屋の中で静かにしているのは、好きではありません。凱人はすぐにパラスポーツをインターネットでけんさくし、次々と動画を見ていきました。
(これだ!)
そのえいぞうを見たしゅん間、強くひかれるものがありました。
凱人の心をがっちりつかんだのは、車いすテニスの国枝慎吾選手でした。動画は、2012年ロンドン・パラリンピックの車いすテニスで、国枝選手が、金メダルを取ったときのものでした。これが、凱人の車いすテニスとの出合いでした。