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生き方

ツチヤ教授の人生相談「ものは考えよう」

土屋賢二(お茶の水女子大学名誉教授)

2012年11月12日 公開 2022年08月08日 更新

※本稿は『われ悩む、ゆえにわれあり ツチヤ教授の人生相談』より一部抜粋・編集したものです。

 

わたしは悩むのが得意だ。

だが、悩みはわたしの専売特許ではない。悩みはだれにでもある。本書『われ悩む、ゆえにわれあり』で取り上げた相談は、同じ状況に置かれたらほとんどの人が抱く悩みだ。

だからわたしは回答を考えながら、同じ悩みを抱き、同じように苦しむことができた。

実際、考えてみれば、人間が生きているかぎり、悩みはどこまでもついてまわるものだ。この世界は人間が悩むようになっている。その悩みから抜け出すのは簡単ではない。

悩みから抜け出すには、深く根をおろしている、ものの考え方を改めなくてはならないからだ。 

人生は本来、楽しいものだと思うが(子供や子犬は何もなくても楽しそうにしている)、勝手な思い込みによって苦しみや悩みがいくつでも簡単に生じるのだ。

人生相談の回答には、慰める、叱るなど、色々なスタイルがあるが、いずれも基本は、相談者の考え方の転換をうながすものだ。わたしのやり方は「説得」である。わたしの回答に多少でも納得してくれることを願っている。

 (「はじめに」より一部抜粋/写真は2007年頃の著者)

 

運のよし悪し

最近、あまりにもツイていないことばかりが起きます。宝くじが当たらないのはともかく、歩道を歩いていて自転車にぶつかられたり、新しい靴を履いてお出かけしたら急な大雨で靴が台無しになってしまったり、また、満員電車で運よく座れたのに頭の上で大きなクシャミをされたり...。たいしたことではないのかもしれませんが、自分の運の悪さを感じずにはいられません。

人にはもって生まれた運の強さや弱さがあるのでしょうか。土屋先生は、運・不運を感じたことはありますか。(埼玉県・会社昌∵27歳・女性) 

 

わたしも運に恵まれない人間の1人です。運さえよければ伴侶に恵まれ、本も売れ、転ぶこともなかったと思います(よく転ぶのです)。

でも、運のよし悪しは簡単に判定できるでしょうか。

たとえば評判のラーメン店に行くと、運悪く長い行列ができており、がまんして長時間並んだ結果、自分のところまでで麺がなくなったのでラッキーだと思ったら、一緒に食べた餃子が運悪く当たって入院し、そこで幸運にも美人看護師と親しくなり、結婚すると、運悪くとんでもない悪妻だった場合、幸運なのでしょうか不運なのでしょうか。

競馬で運よく勝ち続けたために、医師になる夢を捨ててギャンブラーになり、晩年無一文になって孤独死する人や、宝くじで1等が当たったのがもとで争いが起こって不幸な目にあう人は幸運なのでしょうか。

あなたのように自転車にぶつかられても、地震などの災害にあったわけではなく、暴走するダンプカーに轢かれることも隕石の下敷きになることも地雷を踏むこともなくてすんだのは幸運だったと言えます。

たとえどんな災難にあっても、そもそも生まれてきたことが、とてつもない幸運なのです。あなたの両親が出会い、それぞれの両親もそのまた両親も...と無数の出会いの結果あなたが生まれたのですから。

生まれてきた幸運に比べたら、自転車がぶつかったとか靴が台無しになったなど、不運とも言えません。そういうことを経験できるのも、そもそも生まれてくるという幸運があるからです。

どんなことでも、経験できたということだけで信じられないほど恵まれていると考える境地に達した人もいるのです。

そういう人から見れば、運がいいかどうかに一喜一憂するのは滑稽に見えるのではないかと思います。

しかし不運にも、わたしもあなたも、そういう境地に達していません。その場合には、運を上手に利用してはどうでしょうか。運には生きるのがラクになる活用法があるのです。

それは、自分が成功したときは実力のせいにして、他人が成功すると「運がよかっただけだ」と考える方法です。そうすれば、ひがむこともねたむこともなくなります。

自分が成功したのは他人より優れているからですが、他人が成功したのは、その人自身が優れているからではなく、サイコロの目がそろうのと同じように、たんなる偶然の結果だと考えるのです。

また、自分が失敗したときは、自分の落ち度だと考えるのではなく、運のせいだと思えば落ち込まないですみます。病気や事故に見舞われても、自分に責任があるのではないかと思い悩むのではなく、全部を運のせいにするのです。

さらに進んで、自分に都合のいいことも悪いことも、自分の身にふりかかったことすべてを運まかせにすれば、悩みは格段に減ると思います。何事も運のせいにすればラクに生きられるのです。こう利用すると運は便利です。運というものがあって幸運でした。

[格言]
運・不運にこだわっても意味がない。
すべて運のせいにするのが、運の正しい利用法だ。

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