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勝負を決めるのは技術だけじゃない 井山、羽生、藤井から学ぶ、ぶれない「軸」と「スタンス」

一力 遼(プロ囲碁棋士)

2026年01月19日 公開

囲碁界で七冠を二度制し、圧倒的な存在感を放った井山裕太。彼の強さの源は、技術や戦略を超えた「信頼」と「スタンス」にある。勝負の世界で他者を圧する“オーラ”はいかにして生まれるのか。井山、羽生、藤井というトップランナーたちに共通する、ぶれない軸と精神のあり方を、日本を代表するトップ囲碁棋士であり、河北新報社取締役の一力遼氏がひも解きます。

※本稿は『AI時代の最善手』(PHP研究所)より一部を抜粋・再構成したものです。

 

「イメージに負ける」ということ

井山さんは2013年に六冠を達成し、そこから数年間はほとんどのタイトル戦に出場していました。特に2015年から2019年にかけては29回連続出場という驚異的な記録を残し、その間には二度の七冠を達成するなど、国内では圧倒的な一強時代だったわけですが、他の棋士との違いはどこにあったのでしょうか。

七冠を制覇していた頃の井山さんには、「どんなに苦しい碁でも最後には勝ってしまう」というオーラがあり、実際に逆転勝ちも多くありました。対戦相手や周りの棋士にそう思わせるのが強さであり、勝利を積み重ねることで獲得した信頼でもあります。これは羽生さんや藤井さんにも共通している点で、この「棋士間での信頼」が、囲碁や将棋など1対1で戦う勝負の世界では大きな影響を与えます。

五番勝負や七番勝負で行われるタイトル戦では、シリーズが開幕してから決着がつくまで2か月以上かかることもあります。野球の日本シリーズやワールドシリーズも七番勝負と同じく4勝すれば優勝ですが、野球の場合は10日間ほどの短期決戦なので、その点が大きな違いといえます。

囲碁や将棋では一つの対局にかかる時間が長く、さらにタイトル戦では数か月間同じ相手と顔を合わせるため、「この相手には勝てないかも」と思ってしまうと、面と向かって相対することが精神的な負担になってしまいます。逆に相手にそう思わせることができれば、それだけでも精神面ではかなり優位に立つことができるといえます。

私もタイトル戦が同時進行して井山さんとの対局がひたすら続く中で、一局の逆転負けから「あの碁を負けるようでは勝てるイメージが湧かない」「これから一生勝てないかも」という思いが湧いてきてしまいました。そうなると自分の能力を疑うようになり、パフォーマンスが落ちてまた負けて......と、どんどん悪循環に陥ってしまうことになります。

「棋士間での信頼」について、さらに補足します。囲碁は盤上の変化の数が約21×10の170乗とほぼ無限にあるため、一局の中で多かれ少なかれミスは必ず出ます。最近ではAIの影響により、観戦者は評価値を見て「この場面でミスが出た」と分かるようになりましたが、以前は可視化できなかったため、対局者が打った手の意味を咀嚼する必要がありました。

仮に、ある局面でAという手を選び、それが明らかな悪手だったとします。もしAと打ったのがそれほど強くない人であれば、相手は「ああ、ミスしてくれてこちらが有利になったな」となるでしょう。

一方、Aを打ったのが井山さんだと、相手は「気づかなかった打ち方だけど、何か深い読みに裏付けられているのかも」と警戒し、ミスを咎めることができなくなります。すると悪手だったAが好手に変わり、結果的に勝利を呼び込む一手になるケースもあります。

羽生さんも終盤で指す一手が「羽生マジック」と呼ばれ、幾多の勝利を手繰り寄せてきました。周囲から信頼されることは、それだけで大きなプラスとして作用するのです。

 

トップランナーのスタンス

井山さんや羽生さん、藤井さんに関しては、他にも共通する強みが多くあります。特徴的なのは「目先の結果に一喜一憂しない」というスタンスで、これは「勝利にこだわらない」とは少しニュアンスが異なります。強いて言えば、「こだわるけど、とらわれない」というイメージでしょうか。

井山さんからは「常に自分が打ちたい手を選択する」という信条を感じることがあります。「囲碁は自分が打ちたいように打てるゲームだから当然なのでは?」と思うかもしれませんが、実は結構難しいことなのです。

例えば中盤で自分がリードしている場面で、相手が勝負手(局面を複雑にさせる打ち方)を仕掛けてきたとします。多くの場合、対応は以下の2通りに分かれます。
①守備を固めてリードを保ち、最後まで逃げきる展開を目指す
②その場面での最強手を選び、差を広げて勝ちに行く

①、②のどちらが勝ちやすいかはケースバイケースで、棋士の中でスタイルが分かれる部分でもありますが、井山さんは②を選択することが圧倒的に多いのです。

人間の心理上、①を選ぶと次に踏み込まれた場面でも守る展開を選びたくなるため、どんどん気持ちが守りに入り、リードは縮小する傾向になりがちです。その展開で逆転負けを喫したら「あそこでもっと頑張れたのに妥協してしまった」という後悔が生まれてしまいます。

一方、②の選択肢は局面が複雑になるため、逆転の余地を与えるハイリスクな打ち方です。しかしすべて最強に最後まで押し切ると、相手に「粘ってもこの相手には跳ね返される」という印象を与えることができます。先述の通り、タイトル戦では同じ相手と数か月にわたって対局を続けることになるため、同じ1勝でも「どのように勝つか」が大事になります。「緩んでくれるから付け入るスキがある」と「勝負を仕掛けても完璧に跳ね返された」とでは、それ以降の対局に心理面で大きな差が生まれてくるのです。

井山さんはその姿勢をずっと貫き、タイトル戦の最終局などの大一番でも実践し続けたことで、今でも第一線で活躍し、周りの棋士からも尊敬されているのです。

羽生さんとは直接お話しした機会はありませんが、『直感力』(PHP新書)をはじめ多くの本を読み、その考え方に影響を受けています(実は自宅にある自己啓発書の中で、最も多いのが羽生さんの書籍です)。

印象に残ったのは、棋士人生をマラソンにたとえ、「常にトップを走るよりも、トップ集団に居続けることが大事だ」という考え方です。ナンバーワンでなくても、集団について行ければいつでもトップを狙うことができる。約30年間にわたりタイトル戦に出場し続け、今なおタイトルを狙える位置で活躍されている羽生さんならではの重みのある言葉です。

藤井さんとは、新聞の企画などで3回対談させていただく機会に恵まれました。最初にお会いしたのは、藤井さんが14歳で四段になったばかりの頃でした。

一般的には驚異的な読みの早さと正確さ、圧倒的な勝率や数々の最年少記録が注目を集めることが多いのですが、個人的に一番凄みを感じるのは、どれだけ周りからの期待や注目度が高まっても、本人の中での「軸」が全くぶれないことです。

ほとんどの棋士は(自分自身もそうでしたが)、プロ入り後の目標にリーグ入りや棋戦優勝、タイトル獲得を掲げます。具体的な目標を設定したほうがモチベーションを保ちやすいため、一般的なアプローチといえるでしょう。

一方、藤井さんにとっての「軸」とは、将棋の真理を追究すること。こちらはより根源的なアプローチですが、果てしない道のりでゴールが無いため、真似することは容易ではありません。

タイトル獲得などを目標にすることのメリットは、そのゴールに向かって最大限のエネルギーを注ぐことができること。しかし、その目標を達成すると、私が棋聖獲得後に体感したような「燃え尽き症候群」になってしまい、次に進むべき道を見失ってしまうことがあるのがデメリットです。

藤井さんの場合、将棋を指すことの目的は盤上の可能性を探求することであり、タイトル獲得はゴールではなく、あくまで通過点と捉えている印象を受けます。どれくらい先にあるか分からないゴールに向かって走り続けるという考え方は、羽生さんとも共通しているといえます。ちなみに、先ほどの勝負手への対応については、藤井さんも②で勝利への最短経路を目指すタイプでしょう。

これは囲碁や将棋に限った話ではなく、他の分野にも当てはまります。受験についても同様で、「この大学で、この分野を学びたい」と明確な目的を持っている生徒は、大学生になった後も高い関心を持って勉強を続けられるでしょう。しかし、厳しい受験競争を突破して大学に入ることがゴールとなっている場合には、大学での学びを重視しなくなってしまいます。

スポーツの世界でも、オリンピックに出場する選手は4年間死に物狂いで練習を重ねて本番に臨みますが、その反動で大会後に燃え尽きてしまい、競技を続ける気持ちが湧かなくなってしまうという話はよく聞きます。

一方、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手は、「野球が上手くなりたい」という気持ちを軸に据えてプレーしているように見えます。藤井さんと同様に、大谷選手にとってもホームラン王やMVPなどのタイトルは通過点で、誰も見たことがない景色を見るための挑戦を続けているのでしょう。

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