46年連れ添った夫から突然の離婚宣告 「もう無理」と絶望した医師が人生を立て直すまで【前編】
2026年03月25日 公開
人生には、これ以上耐えられないと思うほどの出来事が突然訪れることがあります。長い時間を共にした関係が終わるとき、信じていたものが崩れるとき、人はどのようにして立ち直るのでしょうか。
本稿では、幸せな人生を送るための人生哲学を『102歳の医師が教える 健康と幸せを保つ秘訣』に綴った医師のグラディス博士が、人生最大の試練に向き合ったときの経験を語ります。
※本稿は、グラディス・マクギャリー著『102歳の医師が教える 健康と幸せを保つ6つの秘訣』(&books/辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものの前編です。
「順風満帆」に見える人生の裏側
私がもう無理だと感じた瞬間について、お話しするときがきた。70歳近くになって、第5の秘訣(すべては先生)を試される、最大の試練がやってきたのだ。
80代の初めごろ、旅先で出会った人に、とても幸せそうに見えるから順風満帆だったんでしょうねと言われたことがある。私は笑って答えた。「どんなに大変なことがあったか、お見せしたいくらいよ!」
そのとき、人生でもっともつらい10年間から抜けだしたばかりだった。しかも私の苦悩は、公然になっていた。コミュニティの全員が、何があったか、細部に至るまで知っているようだった。ビルが私たちのパートナーシップを解消したこと。それも結婚とビジネス両方で。しかも私たちのクリニックの看護師といっしょになるために。
みんなが知らなかったのは、結婚生活を終わらせることを考えたのは、今回が初めてではなかったということだ。その話はほぼ誰にもしていなかった。オハイオに住んでいたときにも、もうひとり、別の看護師がいた。彼は認めなかったし、私も疑ってはいたものの、彼の言うことを信じていた。確実にわかっているのは、実は離婚届を半年間ずっと持ち歩いていて、すぐにでもサインしてほしいと、彼が突然私に切り出したことだ。当時、10歳に満たない子どもが4人いて、離婚は今ほど一般的ではなかった。私はショックを受けた。何も悪いことはしていないのに......。彼が兵役で不在だったときには子育てをし、他の州に駐在しているときはクリニックの運営もやってきた。
クリニックの看護師は、やはり他の州に病気の母親がいるということで、たびたびお見舞いに行くので、とくに大変だった。この話も疑わしかったことに、そこで気づいたわけだが。私は自分の立場から話をした。あの日、祭壇で誓い合ってから12年間、誓いを守ってきた。いっしょに人生を歩んできて、子どもたちを授かり、私はまだいっしょにいたいと思っている。何かうまくいっていないことがあるのなら、いっしょに解決したいと。
私たちはカンザスまで出かけて、1週間の集中的な結婚カウンセリングを受けた。そしてセラピストのアドバイスどおりに、もっとおとなしくなろうとした。ビルにとって私は我が強すぎるというメッセージを受けとめた。私の野心は、支配的に見えていたのだ。
ビルと私の関係は、アイデアを共有し、長い哲学的な議論を交わし、ビジネスパートナーとして、配偶者として、互いに協力し合うというものだったが、それは不健全だということだった。夫婦のお互いに対する態度として、間違っていると言われた。当時は1950年代で、女性は従順であるものという考え方を私も知っていた。ただビルと結婚したとき、彼は違うタイプで、違うタイプの妻を求めているのだと思っていたが、それは間違いだったようだ。失望し、混乱したが、それでも私はいい妻になろうとした。少しうしろに下がるようにして、彼にリードしてもらうようにした。
それからまもなく、彼はアリゾナへと私たちを導き、私たちは代替医療に興味を持ちはじめた。やっぱり!と私は思った。妻だけじゃなくて、ビジネスパートナーも求めているってことじゃない!私たちの仕事上の関係は強くなり、友情も深まった。
その後の数十年間で、ふたりとも大きく成長したと思う。いっしょにワークショップやセミナー、シンポジウムを主催し、ニュースレターを印刷して、封筒に切手を貼って世界中に発送した。私たちの経営していたクリニックは名が知られるようになり、成功を収めた。それにコミュニティの友人たちは、私たちの結婚を、ふたつの偉大な頭脳がいっしょになるとどんなことが可能になるのかを示すものとして見てくれていた。ふたりで夜遅くまで話し合い、お互いに理解や可能性を広げていった。
私たちはいいチームを組んで子育てをしていたし、アリゾナではめでたく、さらにふたりの子どもを授かった。結婚セラピストのアドバイスが、私たちをすばらしい人生の次のステップへと押しすすめてくれたように思えた。議論は彼に勝たせてあげ、公の場では彼に主導的な役割を任せていれば、私の活発で好奇心旺盛な性格は歓迎されていたのだ。子どもたちは成長して結婚し、孫もできた。人生は続いていた。
46年連れ添った夫の、想像もしなかった裏切り
そしてある日、最初に離婚を切り出してから35年後、ビルがある看護師を私たちの忙しいクリニックの管理者にするよう、働きかけはじめた。そうなると、私はリーダーシップの役割から退くことになる。この提案は、唐突な感じがした。
彼女はいい看護師だったが、どう見ても天性のリーダーシップがあるタイプではなかったし、あまり好かれてもいなかった。彼女を気にいっていたのは、ビルだけのように思えた。いっしょに出張に行ったり、オフィスで遅くまで残業したりしていた。私は何度か、ビルに彼女との友情について、質問した。働きはじめてからだいぶ深まったように感じたからだが、彼はいつでもそれを一笑に付した。
私は管理者の提案については難色を示し、ビルには、私たちが魂を探求するときに行くお気に入りのスポットであるオーク・クリーク・キャニオンに行って、彼女か私か考えてみるようにすすめた。もちろん仕事上という意味でのことだった。
週末のあいだずっと、私が知っている善良なビル・マクギャリーが我に返るよう祈った。自分のなかのふたりのグラディスも、何度も対話をしていた。まだ闘いたいと思っている小さなグラディスと、彼女を正しい方向に導こうとする聡明なカウンセラーのグラディス博士だ。グラディスは怖がっていたが、グラディス博士は、何が起ころうとも、乗りこえられると確信していた。
次に起こったのは、想像を超えた最悪の事態だった。少なくとも当時はそう思えた。ビルは帰宅すると、突然手紙を渡してきた。私たちの6人の子ども全員と、クリニックの理事会にも、すでに同じ手紙を渡し終えていた。そこには、彼の魂はひとりになる必要があり、その結果、彼と私は離婚すると書かれていた。私にはまったくの初耳だったが、他の人たちはみんな知っていたのだ。こうするのが正しいんだ、魂の本質的な部分なのだとビルは言った。私の魂の道は考慮されなかったということだろう。46年間、結婚していたのに。