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生き方

うつ病は“才能”なのか? 「不幸な人生」が自己責任でない理由

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2011年03月24日 公開 2023年07月26日 更新

社会には幸福な人生を歩む者も、そうでない者もいる。生涯不幸な人生から抜け出せないのは“自己責任”なのだろうか。幸福か不幸は考え方の問題ではない――加藤諦三著『「自信が持てない人」の心理学』から、現代の幸福論について言及している一説を紹介する。

※本稿は加藤諦三著『「自信が持てない人」の心理学』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

 

幸福か不幸かは“才能”

優柔不断な人間というのは、欲深い人間なのだと思う。少しでも得をするほう、少しでも楽なほう、少しでも有利なほう、そちらを選ぼうとして決断できないのであろう。

少しでも損をするのはいやだ、少しでも無駄をするのはいやだ、そんな気持ちが強すぎて、決断できないという面があるのではなかろうか。もうひとつある。優柔不断な人間は不幸なのではないか、ということである。

昔、学生時代によく三木清の『人生論ノート』を読んだ。いくつかの言葉が記憶に残っているが、その中のひとつは、幸福は力である、という言葉である。幸福な者は勇気もあるし、決断力もある。そのような気がしてならない。

不幸な人間が幸福になるために、勇気や決断力が必要なのである。ところが、人とはまことに皮肉な存在で、幸福になると決断力が出てくる。不幸な人間が幸福になるために必要なのが、前向きの姿勢である。

それなのに、人間は幸福になると自然と前向きの姿勢になる。不幸になると、いつの間にか後ろ向きの姿勢になり、後悔ばかりしている。

何かをすればしたで、「ああ、あんなことさえしなければ」と後悔ばかりしているし、何かをしなければしないで、「あの時ああしてさえいれば」といつまでも後悔している。

Don't try to saw Sawdust!(おがくずをのこぎりでひくな!)とカーネギーの本にある。いつまでも過去にとらわれている。前に進めない。逆にあきらめの早い人というのがいる。やってしまったことは仕方ないとあきらめて、今、自分のできることをする人である。幸福な人なのだと思う。

株に手を出した主婦が、損をしてたちなおれなかったりする。「ああ株さえしなければ......」といつまでも悔んでいて、何も手につかない。おそらくもともと不幸な主婦なのであろう。

欲求不満耐忍度という言葉がある。人によって、欲求不満に耐えられる人もいれば、耐えられない人もいる。望んだほどよい成績をとれなくても、また元気で生活を始める中学生もいれば、悲観して自殺する中学生もいる。

また元気で生活を始める中学生のほうが、基本的なところで幸福なのであろう。うつ病的人間の考え方の特徴は、うつ病の研究者アーロン・ベックによると自分に欠けているものを自分の幸福に不可欠と考えてしまうことである。

これなども、うつ病者というものがいかに不幸であるか、ということであろう。不幸であれば不幸であるほど、自分にないものに気をとられる。不幸であれば不幸であるほど、自分に欠けたものが大切なものに感じてくる。

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「足るを知る者」が幸福なのではない

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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