「足るを知る者」が幸福なのではない
私は以前よく、自分にないものではなく自分にあるものに気をむけろ、と書いた。私にはこれがない、あれがない、とないものばかり数えあげないで、私にはこれがある、あれがある、と考えろ、ということである。
私にはお金がない、とお金のないことばかり考えて、不幸になる人がいるような気がした。そこで私は、私にはお金がないけれども健康がある、と考えたほうがいいと主張したのである。
私は美人ではないけれども友達がいる、という具合である。確かにその通りだと思うが、今考えてみると、どうも幸福な人は、自分に欠けているものをあまり問題にしないようである。
つまり、自分に欠けているものを問題にしないから幸福なのではなく、幸福だから問題にしない。お金がないから不幸なのではなく、もともと不幸だからお金のないことが気になる。
幸福は力である。幸福な人間は「ない」ということに耐えられるのである。お金がないといって朝から晩までブツブツと不平をいっている主婦もいるし、その中でなんとかやりくりして笑顔をたやさない主婦もいる。
われわれはそのような場合、よくできた主婦、といういい方をする。確かによくできているが、基本的なところで幸福なのであろう。小さい頃、親からありのままの姿を受け入れられた、結婚して夫に心から愛されている、こんな人が「よくできた人」といわれているのではないか。
小さい頃、親から一方的な感情を押しつけられ、結婚してからも夫の人間不信に悩まされている人が、そんな、よくできた人になれるであろうか。私はそんな神様のような人間がいるようには思えない。
夫婦仲がよくて幸せな妻のほうが、子供の幼児的依存心からくるわがままに耐えられるのではなかろうか。子供の自然の成長を待てる母は、幸福な人であるに違いない。
例えば、私の友人で借金を毎月返している人がいる。しかし彼は、借金のことはあまり考えない。逆に、毎月の返済が終ったら、今返している分のお金で何を買おうかと、買うもののことばかり考えているのだ。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。